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渋沢栄一生誕の地、深谷を自転車で観光してみた(子孫登場)

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さて、こんにちは。まりもです笑

いやぁ、今日もみんな1万円札が好きですか?うんうん。わかるよ。私も千円札、五千円札とあるけれど、やっぱり1万円札が好きですから。

まりも

数ある紙幣の中で、1番可愛いよな????

はい。でもまあ、そんな1万円札ですが、1万円札の顔も新しくなります。それが「渋沢栄一」ですよ。

2024年には新しい1万円札の顔になります。そして、そんな渋沢栄一、まともな教育を受けた人間であれば、1度は聞いたことがあるでしょう!笑

王子製紙や第一国立銀行、帝国ホテル……日本の錚々たる企業の誕生、発展に貢献した人物です。

帝国ホテルのバイキング

そんな渋沢栄一の出身地……

それが、

です。実は渋沢栄一って埼玉県出身の「サイタマー」だったんですよ。知ってた?

そんな渋沢栄一の街とも言える「深谷市」に1泊2日で行ってみたので、その様子を今回はお届けしますよんっ!

1日目(深谷駅周辺、グルメなんかも堪能)

深谷駅に到着

何はともあれ、最初に紹介したいのが「深谷駅」でごぜぇます!笑

私の嬉しそうな顔が映っていますね。(なぜ青天をつくポーズをしなかったのだろう?馬鹿なのか?w)

つまらないポーズをとるまりも氏

駅からしてめちゃくちゃ綺麗ですよね。どこかの駅に似ている!と思ったら、そう……東京駅(→東京駅周辺をぶらり散歩してみた!雨の日に歩くのがなんか好き。)です。

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東京駅の様子(すごい似ているでしょ?)

そう。実はこの深谷駅は1996年の改修時に東京駅をモチーフにして建築されたもの。似ていて当然というわけです。

そして、東京駅もまた「モチーフ(諸説あるが)」がある。それが、アムステルダム中央駅です。

アムステルダム中央駅(セントラル)は危険?実際に歩いてみた感想を書いていく。という記事で紹介した駅。

私も2019年かな?に現地に行きました(テロが起きた場所でもある)

ちなみに、深谷駅にも「渋沢栄一の街臭」はたっぷり。なぜならレンガ作りだから。

深谷駅の外観

日本で最初の煉瓦製造工場を作ったのが「渋沢栄一」ですからね。

日本煉瓦製造という会社の設立に関わった渋沢栄一。その影響もあり、深谷市にはこのようなレンガ作りの建物が多いってわけよ。

ちなみに深谷駅に降りた感じはこんな。

隣の駅は籠原駅と岡部駅

ホームには意外と学生が多くて、「あれ?意外と学生の街なのか?」という印象。

学生たちが休憩所にたくさんいる

学生良いな〜!僕も学生に戻って青春かましたいよ〜〜〜!!(中高6年間男子校ですが???)

自転車を借りて煮ぼうとうへ

さーて、深谷観光をしていくわけですが、私は「自動車運転免許」を持っています。しかし、やっぱり旅と言えば「自転車or徒歩」ですよね。

まりも

車は大人が使うもんや!(もうアラサーだけどw)

ということで、私は「ふっかちゃん横丁」という謎の横丁にある雑貨屋さんで自転車を借りることにした。

駅から徒歩5分くらいのところにあるのがふっかちゃん横丁。見えてきたぞ。

ふっかちゃん横丁が見えてきた

さて、ここからは気合をいれなければ。どんなレンタサイクラーが出てくるかわからん。気合をいれて店へ向かう。(ハァハァ)

自転車を前に興奮するまりも

はい。右手に映っておりますのが私、まりも(:自称自営業、29歳、独身)でございます。カメラを構えて不審者感半端ない。

警戒心とは裏腹に店主は愛想笑いこそしないが、心優しい60代くらいの男性。自転車もちゃんと貸してくれた。

錆びついた感じが何とも良い味を出している

自転車のサドル部分をやたらと丁寧に拭く店主が一言。「ごめんね、ちょっとの間に鳥のフンがついちゃって」と。

鳥のフンとは不快でしかないが、ここは私、まりもの人間力を試されている気がした。そこで私は……

まりも

いやいや!全然大丈夫っすよ〜!

と答えた。まさにピエロである。

というわけで、フン付着済みのサドルに綺麗に洗った尻を乗せ、私は「煮ぼうとう店」へ向かう。営業時間は14時。しかし、現在時刻は1315分ほど。

血洗島までは自転車で30分。到着予定時刻は「13時45分」である。

まりも

間に合わなくね?????

昨今、通称「LO(ラストオーダー)」と呼ばれる制度がある。だから、閉店前に到着した時点で食べられなくね?とネガティブ思考の自分が脳内で囁く。

そんなネガティブを抱えながらも、フンつき最高級自転車で現地へと向かう。くっそ〜!ふんっ!!!(だめだ、おじさんだ……)

サングラスをしたものの、太陽光がアラサーの肌にダメージを与えてくる

ああ、来年で30歳だ。もうすぐオーストリアに行くのに、日本を楽しんでいるなw

はい、ということで、到着。みんな、見えるかい?もっと拡大しようか?

みんなの要望に応えて、アップするね?

奇跡が起きました。既に14時00分くらいにはなっていたのに、営業していた。煮ぼうとうの神が微笑んだ。

中に入ってみると、昔ながらの雰囲気漂う場所だった。

渋沢家大番頭の家だったらしい

私は冬でも半袖半ズボンで動き回る小学生の如く、自転車を漕ぎまくったのでぼーっとしてしまった。

普段はこういうところで注文しないのに、アイスコーヒーまで注文してしまった。

疲れ果てているまりも

さて、そうこうしていると、店の人の会話が聞こえてきた。

おばちゃんA

いやぁ、今日はまだ良い方よね〜

おばちゃんB

そうよ!先週までは本当に忙しかったんだから!

と。ええ、先週までは本当に忙しかったらしい。きっと、「青天を衝け」の放映日やその盛り上がりで客足も変わるのだろう。

吉沢亮の方が本人より格好良いな、とは思うが、メンタル面では渋沢栄一も超イケメン。

さて、そうこうしているうちに「煮ぼうとう」が到着した。なんとも美味しそう。

煮ぼうとう・とろろご飯セット(1100円)

渋沢栄一も愛したらしいからね、煮ぼうとう。まじでね、食べてみると美味しかった。優しい、優しい味なんだけど、「THE 和食」という感じで好きだった。

大満足するまりも

さて、てな感じでまあ時間もないですし、ここの隣にある「中の家(渋沢栄一誕生地、後に姉夫婦の家)」に行きましょう。

中の家が隣にあるので行く

さてさて、煮ぼうとうを食べて大満足のまりも。煮ぼうとうのお店の隣には渋沢栄一の誕生地であり、妹夫婦が住んでいた建物があるらしいので行ってみる。

旧渋沢邸でもあり、妹夫婦宅でもある

はい。ここが渋沢栄一が生まれた場所。中の家と書いて、「なかんち」と読む。感覚としては「友達の家」を「ともだちんち」と呼ぶのと同じである。

まりも

こう見えて、私、友達んちより自分ち

中に入りましょう。

青淵翁(=渋沢栄一)

中に入ってみると、さすが渋沢栄一。すごく大きくて立派な屋敷でした。

ただ、「嫌な感じ」はしない。やや無欲恬淡な傾向が強い渋沢栄一です。やはり妹夫婦の家も極端な豪華さはない。

自然の美しさを感じさせる大きな家と庭

もっと奥まで入ってみると、60代くらいの管理人さんが話しかけてくれた。「ここにどこから来たか書いてってね〜」と。

まりも

なるほど、これもコロナ対策である。

東京」と記入。すると、その後はやたらと「スタンプラリー」を勧められた。とてもありがたい。優しいおじちゃんだし大好きだ。しかし、スタンプラリーは好きではない。

丁重にお断りした。笑

はい。ということで、建物の中にはあがれないが、外から見物。

青天を衝け看板は入場できるのか(クゥ)

すると、ここで70代くらいのおばあさんから話しかけられた。(なぜか私は生きているだけで色々な人に話しかけられる)

あそこ、すごいわよぉ」と。

まりも

絡み方が雑すぎて何も伝わってこなかった

まあ、なんかあるんだろうな?と思いながら進んでみると、あった。いや、「いた」と言った方が渋沢栄一に失礼がないような気がする。

なんと、渋沢栄一、ご本人の登場である。

ちょっと渋い顔をしている渋沢栄一

すぐそこに渋沢栄一はいる。栄一は1931年に死亡したはず。それなのに、生きている……??

しかも、すぐそこにいるのに立ち入り禁止。何とも歯痒い。

しかし、すぐに気がついた。そう。彼、いや、「あれ」はアンドロイドなのです。

渋沢栄一のアンドロイド

渋沢栄一のアンドロイドが正座している。渋沢栄一自身も、死してなお、このような形で現世に残るとは思わなかっただろうね。

虚空を見つめている……と感じたけど、そこは「青天」ということにしておこう。

諏訪神社で踊れ

みんな、獅子舞は好きかい?僕はね、子供の頃、沖縄に行った時のホテルの宴会場で獅子舞が出てきてすごく怖かった思い出がある。

まりも

なんでそんな話をするのかって?

それはね、渋沢栄一がここで「獅子舞」を踊っていたからです。笑

渋沢栄一が獅子舞を踊っていた諏訪神社

そこまで大きな神社ではありませんが、渋沢栄一ゆかりの地。

諏訪神社の概要が書かれている

ここにも書いてある通り、「渋沢青淵翁喜寿碑」もある。

下の画像にあるのが喜寿を祝ったものです。喜寿だから、76歳を祝ってもらったんだな。

青淵(=渋沢栄一のこと)

まあ、ここは規模的には本当に小さい。ちなみに私以外に観光客は誰もいませんでした。ここはちょっとマイナーなのかな。

はい。ということでね?渋沢栄一が獅子舞を踊っていたという陽キャの痕跡が見えたので、次へ参りましょうか( ´ ▽ ` )

日が暮れてしまいますからw

誠之堂と清風堂という豪華なプレゼント?

さてさて、次は誠之堂(せいしどう)と清風堂(せいふうどう)という2つの建物に向かってみるとする。

どちらも同じ見学施設内にあります

この2つはどちらも「銀行員からのプレゼント」なんですけど、

栄一が銀行員からプレゼントされたのが「誠之堂」です。(→喜寿のお祝いでね?)

誠之堂の外観

渋沢栄一は日本にある多くの会社の創立に関わっていますが、日本最古の銀行である「第一国立銀行」の設立に関わり、第一銀行時代に頭取を務めたのが渋沢です。

でも、だからといってさ???こんな綺麗なものを献上されます……?w

渋沢だけに煉瓦造りになっていますw

こんな綺麗な玄関口でさ、しかも中もすごく綺麗というか、荘厳な感じというか。笑

これが部屋の中の雰囲気でございまっす!

部屋奥には渋沢の顔が……笑

これ、そもそもは「横顔」だったらしいんですけど、なぜか正面からの顔に変わったらしいんですよね。(気に入らなかったのかなw)

中の窓ガラスもステンドグラス的なものがあって、すごく綺麗なんだけど、描かれている絵柄はちょっと日本チックっていう。

なんかレゴみたいな顔してんな〜

ちなみに他にもこんな感じのドアがありました( ´ ▽ ` )

さて、で、次が「清風亭」なのだけど、これは第一銀行の2代目の頭取へプレゼントされたものです。

清風亭もなんとなく雰囲気が似ているよね

まあ今回は渋沢栄一を中心に紹介するので、こちらはそこまで詳しく説明しません。

中の様子です

元々はこれら2つの建物は「世田谷区」にあったのだけど、移築してきて深谷にあるという感じです。(どうやって移築したんだろw)

ちなみに敷地内には渋沢栄一とはまるで関係なさそうな遊具がありました。「もう29歳なんだから、遊んじゃいけない」とも思いましたが、衝動を抑えられず、遊んでしまった。

やっぱり公園の遊具的なものは楽CCCCC!!!!

はい。ということでこの日はこんな感じで終了しました。

で、まあ2日目に向けてとりあえず深谷駅の方に帰ります。

P.S 途中の道で生卵の自動販売機を見つけた。

ピンク色ってのがやたらとアダルトな雰囲気を醸し出している

2日目(糸屋製菓店、深谷大河ドラマ館、煉瓦製造工場とか)

糸屋製菓店

さーて、朝からまりもです。おはようございます。渋沢栄一歴史散歩血洗島編も2日目になりました。

ホテルの朝食がなんか豪華。

ABホテルというホテル

深谷駅前には安いホテルが2つしかない。安い?失礼な。リーズナブルなホテルが2つもあるのだ。

周りにいる60代なんかを見ていると、「お金なんていくらでもあるからとりあえず高いところにいこう!」みたいなメンタリティを感じるが、なんか好きになれない。

当然、私も高いお店もホテルも大好き。ただ、安くいこうと努力するのもまた楽しかったりする。(わかるかい????)

ちなみに下の画像が朝食を食べている私、まりも。何とも言えず「老齢感」がある。そんな29歳。寝癖が目立つが、寝癖がつくだけの髪があるうちが華。

まりも

最近は周りでも頭頂部に不安のある人が多くなりました笑

すごく美味しかったです、ホテルの方々お疲れ様です。

というわけで、本日も自転車を借りたいわけですが、その前に1つ。「行列のできるお菓子屋さん」に行ってみることにした。それが今回の「糸屋製菓店」さんです。

糸屋製菓店

明治41年創業のちょぉおおお老舗。1908年なので、第一次世界大戦以前ということになる。すごすぎ。

中に入ってみると、感動した。なぜか?

それは、「午前中には売り切れる」と噂のあんドーナツが鎮座していたからです。(味を守るために大量販売はしないそうだ)

電話予約をすれば、当日限りで予約もできるらしい

あんドーナツももちろん人気なのだけど、こっちの最中だって負けていない。売り切れるらしい。

顔がやたらと怖い

嫌いな人と会っている時の私の笑顔そっくり。(良い意味でね?ん?)

さて、上方に時計はありますが、時刻は違うなあ。本当こう……歴史を感じる店内。

羹羊翁(右読みになっている)

千と千尋の神隠しのような内装になっている。

こんなに大きな糸、どこで売っているのだろうか

谷深」と書いてあって、何か最初はわからなかったが、「そうか、深谷じゃん」と納得。何でもかんでも右から左。

まりも

さて、私ももちろん購入してみました٩( ‘ω’ )و

最中とあんドーナツ。最中は今食べられないけど、あんドーナツはここらへんで食べよう。(どこでだ……??)

はい。とりあえず食べられそうなところに到着したので食べてみる。これが本当に美味しかった。

甘いけど、しつこい甘さではなかった

今まで食べたあんドーナツの中で1番美味しいんじゃないかな?と思った。まあ、あんドーナツというものをそもそもあまり食べたことがないんだけどな。そんなことはどうでも良い。ひたすらにウマイ。

まさかの草むらランチでした

草むらで食べていると、何だか小学生の頃を思い出す。友達の家の団地でよく駄菓子を食べた。駄菓子屋のおばあさんがもうそりゃ性格が悪くて困ったもんだった。

駄菓子屋のおばあ

うちは消費税まけてやってるんだから、袋なんてあげないよ

と言われ、生の「あんこ玉」を素手で持たされたのは良い思い出だ。おかげで手がベタベタになった記憶がある。

しかし今考えると、おばあさんには小泉進次郎並の環境意識があり、まさに「SDGs」の先駆者と言える。

ちなみにこれが最中の中身です。

大きい最中と小さい最中が両方入っているセットです

1人で食べるにはあまりに多いので、ご近所さんにも配った。現代では「人間関係が希薄化した」なんて言うが、そんなことはない。

笑いかけてくる最中がめちゃくちゃ怖い

ご近所で発見されれば、私のことを「あ、まりもちゃん!」とちゃん付で呼んでくる人がたくさんいる。アラサーにもなって「ちゃん」はやめてくれ。

まりも

おじさん、恥ずかしいよ〜

よく、おばさん同士が到底「ちゃん」とは呼べない相手を「さきちゃん」とか「きょうこちゃん」とか呼んでいるが、今年29歳になった私もきっと既にそのレールの上に乗っている。

10年後くらいには若者に陰で笑われるのだろう。

渋沢栄一記念館

さてさて、そろそろ「」に会いに行きますか、と。

昨日のことを思い出してみましょう。彼に会いましたよね?その「」とは、もちろん渋沢栄一ですよ。

昨日見た渋沢栄一のアンドロイド

これが昨日です。ただですね、やはりお子様の声としましては、「もっと喋っているところが見たい〜」というところでしょう。

まりも

ガキンチョはすーぐ動いているものを見たがるんだから!

子供ってのはだいたい日曜朝のアニメの見過ぎで「不思議な能力で何とかなる」とか思い込んでいたりするので、渋沢栄一の1人や2人、甦らせることができると思っている可能性すらあるぜ。

ちなみに私が当時好きだったアニメは、

どーでもいいな。本題に戻ろう。

そこで、今回は「別の場所にも栄一がいる」という情報提供があったので、向かってみる。

ネギ畑を見すぎて鍋がしたくなってきました

そう。渋沢栄一記念館でございますっ!

やっぱり栄一と一緒に写真は撮りたいよねぇ?なんかこの栄一、寸胴な感じがしてちょっとキャワイイ。

誰からの需要もない反目で写真を撮っているまりも

さて、さっき言った「別の場所でもアンドロイドが見られる」というのがここです。笑

で、予約していったんですよ。「Web予約」をしっかりとして、ガチアンドロイドの渋沢栄一が見たかった……。でも、私…..あちし……あたい……

まりも

遅刻しちゃったんよね??????www

本当に人として情けなくなるくらい遅刻しちゃうまりもです。(友達のみんなごめんw)

情けない話、仕事でも友達でも等しく遅刻してしまうクズなんです。うん。遅刻しちゃったんだ〜!

だから、「見られないかな〜」と思っていたのだけど……なんと!!!!

渋沢栄一の講話は聞けないけど、会える

ちゃんと会えたんですよね〜〜〜!!渋沢栄一の講演は聞けなかったんだけど、普通にちょっとだけしゃべるくらいの栄一さんなら会えたんです。笑

それがこれ。

ちょっと緊張気味に渋沢栄一の前に立つまりも

やっぱり渋沢栄一の前だと、どうしても緊張しちゃうね。学生時代なら、緊張して「トイレしてきていいですか〜?」なんて先生に言って、先生が「トイレが出てくるんですか〜?」なんて聞くパターンだ……。Oh!!!!

でも、私はコミュ力を親からもらっています。すぐに打ち解けることができました。

最初は「仲良くなれた!」と思った私ですが、どうにも「あの感覚」に陥る。そう。

嫌われてる!?」という感情であるw(よく学校で……おっとこんな悲しい話はやめましょう)

なんか切なくなってきました

手を振ってくれているのだけど、なんとなく横目で見てきて、ちょっと嫌われている感がある。僕はこんなにあなたのことが大好きなのに。何なら、中高時代からずっと仲良くしている友達、あなたの子孫ですよ???

とまぁ、私の声なんて聞こえないのか、すしざんまいの社長のようなポーズを取る栄一様。

すしざんまい!!!!

ここで私は「とある差異」を発見してしまった。それは前日に見た「栄一」と今日見た「栄一」がまるで違うという点。

比較してみたので見て欲しい。

なんと年齢が違うのだ。笑

右側はだいぶおじいちゃんになってからのものでしょう。

さて、でね?まあ次は「大河ドラマ館」に行こうかと思っているのだけど、その前に「日本煉瓦製造株式会社」という渋沢栄一が作った日本最古の煉瓦製造会社に行こうとしたわけ。

でも、あいにくやってなかったんよね。

日本煉瓦製造株式会社です

こんな感じで綺麗でしょ?でも、真ん中くらいに書いてある文字を拡大してもらえるとわかるんだけど、やってないんよw

これは次回絶対いきたいやつw

そう。本当はホフマン輪窯6号窯ってやつを見てみたかったんよ!洞窟みたいで面白いじゃん?うん。みんなが深谷観光をする時は絶対に見学してくれ。

良い子のみんな……おじさんと約束だぞ!!!!(この記事見ているの40代〜な気がする〜〜〜〜!笑)

青天を衝け「大河ドラマ館」へ

何かが流行すれば、それに付随して施設ができる。はい。世の常でございます。今回も吉沢亮さんという超イケメンが渋沢栄一を演じてくれたので、まあすごいことに。

まりも

で、無事、誕生したのが「大河ドラマ館」になります。

ドラマ館の横にはちゃんと1万円札がありましたよ。私が愛してやまない1万円札。1000円も5000円も良いんですけど、なぜか好きなんですよね〜( ^ω^ )

1万円札の見本がある!笑

中の入ってみたんですけど、予想以上に入場料が高くてびっくらぽん。(くら寿司)

引用:公式HP

中に入ってみると、マイボスマイヒーローにも出ていて、渋沢栄一のお姉さん役の「村川絵梨」さんがこちらに遊びにきていた記録みたいなものがあった。(結構ファンなので嬉しい。笑)

ぜひ村川絵梨を中心にドラマを見てね?w

ドラマのセットみたいなものがあったりとか、

あとは、作品の中で着ているような服が展示されています。

ドラマを見ている人には楽しい場所だよ!

こんなものがあったりとか、

ちゃんとお土産ゾーンもあって、「深谷ねぎスティックシュガー」なんてものが売ってました。渋沢栄一がねぎを持ってこちらに微笑みかけてくるw

人気がありそうなお土産でした

私はまぁ、お金がないので買いませんでしたが、友達がいる……うぅ……ちゃんと友達がいる人は買っていった方が良いぞ。(なぜだろう、目から汗が……)

さて、次の章が実はメインでごっざいますっ。(深谷周辺散策はここで終わりなり〜)

関連記事:柴又を観光してみたら、東京下町の原点を見たような気がした。

渋沢栄一の子孫に話を聞いてみた

子孫と私の関係

さて、私は中高6年間男子校で過ごしたわけですよ。知ってました????あの、男の園、女子にとってのエデンとして名高い「男子校」で過ごしたわけです。

で、そこで「とある人物」と中1の時に出会ってしまい、今もなお親交があるわけよ。まあ、簡単に言えば「友達」というやつです。今年で17年目?の腐れ縁ですかね。笑

え?「ともだち」って読み方した?「ダチ」だよなぁ。(そんなキャラじゃないですw)

公園でラーメンを食べている私たち

あ、この写真でも登場していますね。(中央がその渋沢子孫の海老原くん)これは母校近くの公園でカップラーメンを食べているところ。ええ、今回ね、そんな彼にインタビューをしようと思って、頼んでみました。

「渋沢栄一の子孫としてブログに登場してくれね?」と。笑

すごいラフな感じで誘ったんですねw

そしたら……

まりも

快諾してくれた!!!まじで良い人!笑

子孫と三田駅で待ち合わせ

というわけでね、今回は三田の税務署に用事があったので、三田駅に集合したんよ。あ、東京都の三田な??

三田駅に朝の8時20分に待ち合わせたのよ。んで、いつも遅刻している私が珍しく10分遅刻で到着したんですよ!!!!(それでも遅刻はするまりも)

そしたら、渋沢栄一の子孫である海老原氏、なんと30分も遅刻してきやがったわけですw

三田駅の地下からのろのろ歩いてくる渋沢家の子孫

普通さ、遅刻した奴ってめっちゃ急ぐじゃん?「えっほ!えっほ!」と。でも、めちゃくちゃゆっくりなの。

だんだんと近づいてきた海老原くん

ここまで近づいても、全然申し訳なさそうな顔はしない。挙句の果てには笑い始めた。

ニヤニヤする子孫

ったく。まあ、今回はインタビューなんで、許してあげよう。友達ってのも、長くなればなるほど緊張感がなくなって、遅刻が増えるものですw

今回は三田駅にある三田税務署?で用事を済ませてから、浜松町の方まで歩いて、「とあるマンションの中」まで移動した。

さて、ここからがインタビューの始まりである。右側が渋沢栄一の子孫である「海老原さん」になります。

で、みんな思うよな?「渋沢栄一の何にあたる人なの?」と。笑

海老原の家系図

子孫が直筆で家系図を描いてくれたので見てくれ。

すごい雑な感じに見えるが、勘弁してくれ。そう、つまりだね?海老原くんは渋沢栄一の玄孫にあたるわけよ。

孫の孫が海老原。海老原のおじいちゃんのおじいちゃんが渋沢栄一。これは結構近い子孫になるよね。正直、中学高校が一緒だったんだけど、昔はそんなこと1mmも知りませんでしたw

さて、そんな海老原くんですが、これからちょっと渋沢家の子孫としてインタビューに答えてもらいやす。

インタビューされてちょっと恥ずかしそうな海老原くん

渋沢栄一って何をした人?

そもそもさ、みんなの中で「あれ?渋沢栄一って何をした人だっけ?」とか思っちゃっている人もいると思うんですよ。で、まぁ、まずはそんな初心者のために「栄一さんって何をした人なん?」と聞いてみた。

すると、「銀行作ったり〜製糸場作ったり〜後は帝国ホテルとかも!」と言っていた。(普通にすごすぎるぞw)

ここで私は思ったわけ。「あ、じゃあ日本の人たちはだいたい傘下みたいなもんじゃない?」と。(めちゃくちゃ失礼な質問してみたw)

すると、子孫はめちゃくちゃ困った顔をした。

ただ、そもそも海老原さん曰く、「どの辺までが渋沢家が作り出したもなのかわからないくらい」らしい。

他の人に経営を預けるスタイルだったことを説明する子孫

栄一さんは「作って、他の人に経営を任せる」というスタイルだったため、渋沢家が経営を牛耳っていたというわけではないようだ。

最終的には戦後「GHQ」によって財閥解体が行われた過程で渋沢家にもメスが入った。

ただ、調査しにきた人たちが「これは本当に財閥なのか?」と疑ったくらいだったらしく、それはつまりどういうことか?というと、

私利私欲がなく、お金に興味がない人だった」ことから、他の財閥に比べて資産規模が小さかったみたいです。

それだけ、心から「日本のため」に頑張っていた人なんだな、と尊敬してしまった。

渋沢家の人はどんな仕事をしている?

あとさ、「渋沢家の人たちって何をしているのだろうか?」とか思ったりしませんでしたか?(私は気になりましたw)

すると、「いや、バラバラ……」と言ってものすごく困っていました。

めちゃくちゃ困っている子孫、海老原さん

まぁ、そりゃ当然ですよね。子孫と言えどもみなさん、色々なことをしているわけで。笑

沈黙が訪れた。笑

なので、「じゃあ、秀雄さんは?」と栄一の息子のことについて聞いてみた。

すると、

海老原さん「秀雄さんは田園都市株式会社(後の東急)を引き継いだり、東宝とか宝塚東京支部の会長かなんかも……一応色々やっていたっぽい!

と言っていました。

また、そもそも栄一というのは「分家の人」だったらしく、渋沢本家筋から考えると、澁澤龍彦(1928年〜1987年)が渋沢家では有名なのだそう。

作家として活躍した人で、日本に「サディスト、マゾヒスト」という概念を持ってきた人だったんだって。

ちなみに渋沢の本家筋は鼻が高い人が多いらしく、海老原くんの鼻は「本家っぽい」らしいw

やたらと自分の鼻を強調する海老原くん

で、今度は「海老原のおじいちゃんは?」と聞いてみたら……。

「祖父はテレビ局のプロデューサーをやっていて、ウルトラマンの元(ウルトラQ)になっている初代のプロデューサーをやっていたんだ」と言っていた。

ほんでまぁ、この流れでちょっと気になったのは……

玄孫はフリーター?

そう。やっぱり気になってしまったわけですよ。「あれ?じゃあさ、そもそも海老原くんは何をしているの?」と。笑

そう。実は海老原くん、渋沢家の子孫なのだけど、「コンビニでバイト」をしているのです。

そもそも、海老原くん自身も全然お金に興味がないらしく、フリーターをして「ただ生きていればいい」という感じだそうw

まぁ、たしかに中高6年間一緒だったけど、すごい散財しているとかも別になかったし、漫画とかはめちゃくちゃ買っていたけど、それくらいだったな。

海老原くんがブランド物をたくさん身につけてくるみたいなこともなかったしなぁ。

渋沢家だからこそのエピソードを教えて?

で、次は「渋沢家だからこそのエピソードとかないの?」とめちゃラフに聞いてみた。(すげぇざっくりとした質問w)

だってさ、やっぱり渋沢家に産まれたら、それなりに面白いことあるでしょ?と。笑

海老原さん「渋沢家の親戚で集まって、栄一に近い人たちが集まってきたりすると、徳川家の人の話とかになるね」と。

渋沢栄一はそもそも「危険思想の持ち主」だったのだけど、徳川慶喜(江戸幕府最後の将軍)にとてもお世話になって、助けてもらったという経緯があったみたいです。(そこらへんはドラマでもやっているかな?)

まぁ、とにかく渋沢栄一という人は人脈の広い人だったらしく、「○○藩の○○さん」みたいな話はよく出るそうだ。笑

また、「偉人の子孫が集まる会」みたいものが定期的に開催されるらしく、子孫たちが集まって秘密の会合を開いているらしい。笑

渋沢家のお宝とかはないの?

これも気になるよね。渋沢家だからさ、やっぱりお宝あるじゃん?と。こんな下世話な話、私しか聞けない。笑

で、聞いてみたら、「お宝って言えるかわからないけど……」と前置きをした上で、

「家にずっと飾ってある””がある」と。私からすると、「どう考えてもお宝だろw」と思ったけど、まぁ渋沢家の人間だとそうは思わないかもしれないよね。

てことで後日、見せてくれたのがこちらの「渋沢直筆の書」でした。

これ、どういうことが書かれているのか?というと……

なんてことが書かれていました。すごいね、かっこいい。私なんて、煮えくり返ってばかりの「Mr.煩悩」みたいな人間だから、尊敬しちゃいます。笑

まあね、今回はこんな感じでインタビューに答えてくれました。この記事では「インタビューの一部」しか掲載していないけど、動画では全編を公開しているのでぜひみてちょ( ´ ▽ ` )

https://www.youtube.com/watch?v=EFD8rFIp_1c

ということでね、海老原君ありがとう。

最後に海老原君から……

青天を衝け見てね!」(本人はほとんど見てないのにw)

ではでは。

関連記事:【函館旅行】3泊4日で割と全部まわる旅。

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