人生に悩む君へ

父親が突然亡くなったという人に伝えたい事

生きているとあまり実感が湧かない事なのかもしれませんが、誰でも最終的には死んでしまうんだよね。

亡くなってしまうのが私たち人間に背負わされた定めでもあると思う。格好よく言えばな??笑

どんな美人もブサイクも最後には亡くなってしまうわけよ。

でも、自分の父親が突然亡くなる事ってなかなか受け入れる事が出来ない事だよね。

まりも

痛いくらい、苦しいくらいわかるよ。

死というものが存在する事はわかっていてもそれがなんとなく遠い国の出来事のような感覚を持っている人って結構いると思うんですよ。

私も以前はそう思っていました。「まあ、あんまり自分には関係ないな!」って思っていたんですよね。

でも、ある日突然父親が亡くなってしまった。

あんなに辛い事があるのか?と思う程に辛い出来事でした。

けどさ、きっと同じような境遇の人っていると思うんですよね。今回はそんな父親が突然亡くなったという人のために書いてみる事にした。

実体験をリアルに書いたから、疲れてしまうかもしれないけど、読んでみて欲しい。辛いかもしれないけど、生きて欲しい。絶対に。

亡くなるのはある日、突然の事

あれは、私が当時付き合っていた彼女とカフェ(日暮里駅のエクセルシオール)にいた時の事でした。

今は既に店が変わり、タリーズになっている。

店は悪くないが、何となく今でもこの店に行くのがつらい

当時の私は大学生。付き合っていた彼女が「京成スカイライナー」を使って千葉方面に帰るというので、日暮里駅にいたわけです。

スカイライナーって快適ですよね笑

いつもと同じような飲み物を頼んで、いつもと同じような会話を彼女としていたんですよ。

何も変わらない平和な日常だった。

そんな時、ふいに携帯を取り出すと

「着信10件」となっていたんですね。発信元は母でした。

母からそんなに電話が来る事なんて今までなかったから、不思議でした。

なんだろう?」って思いながらも、おそるおそる電話してみると、

「お父さんが死んじゃった…」と

最初は意味がわからなかった。

何を言っているの?

ん?

と思っていました。あんなに強くて筋肉質なお父さんが死ぬわけない、と。

本当に理解が出来ませんでした。

人間って動揺すると、頭が真っ白になるって言いますけど、本当ですね。

父親が亡くなったなんて急に言われても全然理解する事なんて出来ないんです。

まりも

頭がおかしくなって、全然何も考えられなくなりました。

私は「ごめん」とだけ当時の彼女に言い残して、飲んでいたコーヒーを彼女に渡した。コーヒーを渡された彼女は「これくらい飲んでいきなよ」なんて言ってきたけどそれどこじゃなかった。

日暮里駅のこのエスカレーターをかけあがった。

急いでも仕方ないのにかけあがっていました

急いで、家に向かい、母親から、警察から電車の中で電話を取り、全ての事情を聞いたんですね。

その時も全然理解出来ませんでしたよ。昨日まで元気だったのになんでいきなり亡くなるなんて事になったのか?

全く理解出来なかったんです。

警察からは「お母さんはまともな精神状態ではないので、あなたに電話しました。」と言われました。

その時の私はやけに冷静だったので、

警察の方の話を聞く事が出来た。なぜだろう。悲しいはずなのに、なぜだろう。自分でもあの時の自分はよくわからんw

父親が突然亡くなった人にしかわからない、息子の独特な心境なんだろうね。

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悲しいという感情すらも曖昧になる

これも体験した事がある人、いるんじゃないかな?

って思っているんですけど。

自分の父親が亡くなったって事実って体験した人にしかその感覚がわからないと思うんですね。

想像は出来ると思うんです。「父親が亡くなったら、なんとなく悲しいんだろうな」という悲しい想像は誰にでも出来る。

まりも

子供の頃、親が死ぬことが怖かったし、想像したことだってあったよ!

みんなもきっとあるでしょ?「もしも親が亡くなったら」という妄想をした夜。怖くなった夜。あるでしょう?

でも、想像していたものとは違っていた。

もっと、もっと痛かった。心が壊れてしまいそうだった。

亡くなると、その後すぐに葬式の準備をしなくてはいけません。

本当に忙しいんですよ。そして、お金をたくさん取ってやろう!って思っている葬式屋が家にやってくるんですね。

と高いプランをおすすめしてくるわけですよ。

これもこれで辛い事なんです。

まりも

ただでさえお金ないし、路頭に迷いそうなのになんやねん!っていうw

でも、これが終わってようやく葬式の時になると、とてつもなく孤独な気持ちになるんですね。

この前までは3人でいたのに、なんでいまは2人なんだろう?なんで?

なんでなの?ってなるんですね。誰に聞けば良いのか、もわからない。心の中に浮かんだ答えのない問いだけが頭の中にこびりつく。

ただ、その時に実感が明確にあるのか?っていうと、そうではありません。

なぜか「自分の事を遠くで見ているような気分」になるんです。

そして、遠くで不幸な自分をナレーションしているかのような気分になるんです。

余りにも不幸な私は…」で始まるような悲しいナレーションを自分でしているような感覚になってしまうんですね。

物語の登場人物にでもなったような気分だった。

まりも

現実逃避でもあったのだろうね?

父親が亡くなったって現実が受け止められなかった。

受け止められるほど、きっと私は強くなかった。

私はあの時、自分が第三者でしかなかったんです。

不思議なものですね。

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家の借金の整理、そして会社分割

これなんですよね。

普通の人って父親が亡くなったら悲しみに暮れる事が出来るんです。

でも、うちの場合はそんなことありませんでした。なぜなら父親が経営者だったから。

しかも、多くの借金があったんですね。

会社なので借金がある事は当たり前の事なんですけど、

それでも、会社についてあまり知らない私と母にとってはあまりに大きな金額でした。

まりも

突然さ、借金を背負わされるとかテレビの世界のことだと思っていたよね?w

見た事がない社員や、関係会社の方々、大学生の私にとっては何もかもが新しいものとの出会いでした。

そして、そこから1年、私は忙し過ぎて記憶がない。大学生の夏休みなんて、思い出の宝庫じゃないですか。

でも、何も覚えていない。駅は何番出口から出ていたのか?そんな事すらわからない。

当時、1番私の生息地だった赤坂という東京のビジネス街

たまに本当に大変な時は自分の居場所を探して、赤坂駅近くにある「文教堂」へ逃げていたりもしたっけか。

今もまだある文教堂書店(すごく広いんだよ〜)

会社をどうしていこうか?って考えている中で会社分割をしたりとか、借金の返済をしたりとか親子で色んな事をしてきました。

だって、何もしなければ社員は路頭に迷ってしまいますからね。華の大学生?全くそんなことありませんでした。

仕事だらけの毎日。必死に考える毎日。授業なんて受けていられない。

また、借金があったので、当時はほとんどお金を使う事が出来ませんでした。

赤坂でも、全然高い食事とかはしなかったし、

大学がある時には、家にある米だけ大学に持っていって、大学の側のスーパーでアジフライとかメンチカツを一つだけ買う!という質素な生活をしていたんです。

この生活、父親が亡くなる前は考える事が出来ませんでした。

風呂もそうですよ。当時は水道代がもったいなかったので、

髪をぎりぎり洗える程度しか水を出していませんでした。ちょろちょろっと出して、全ての水を使うのです。

父親が亡くなるとこんなにも生活が変わるのか、と思ったものです。

とにかく忙しくて忙しくて大変な毎日を過ごしていたんですね。(まあ今も忙しいんですけど笑)

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父親が亡くなった事を受け入れなくても良いんです。

父親が亡くなったという事実を受け入れようとする人っていると思うんです。

現実に目を向けて頑張っていかなくてはいけない!と力んでしまう人ってたくさんいる。

でも、父親が亡くなった事を受け入れる必要なんてないんですよ。

私なんて未だに近くにいるような気がしています。ずっと側にいてくれるような気がしている。朝起きたら、「おはよう。お前、今日もよく寝たなあ。」なんて言われそう。

まりも

中学生の頃なんて、よく反発していた記憶があるよw

私が赤坂に通っている姿なんて想像もしなかっただろうし、私が会社のことをやっていることを天国で驚いているんじゃないかなぁ?なんて思ったりする。

こんなさ、サラリーマンしかいないような場所で大学生の息子が頑張っているなんて想像もできないっしょ?w

受け入れられない事を受け入れようとすると、人間ってどうしても苦しくなってしまう。

それに加えて、残された遺族も悲しみに暮れていますから、二重で辛いんですね。(→残された遺族の僕は残された悲しみを振り切って生きる

実際、しばらくは本当に受け入れられなくて、日暮里駅すら降りられませんでした。

日暮里駅前の様子

でも、だからこそ私は受け入れなくて良いと思うんですね。

思い悩む必要なんてないんです。

忘れられない事は忘れなくて良い。受け入れられないものを無理やり飲み込む必要はないのです。いつか、受け入れられる日が自然とやってくるから。

関連記事:気楽に生きるくらいで良いんだよ。

前だけを向いて強く生きろ!

父親が亡くなってしまうと、その悲しみによっていつまでも無気力状態になっている人っていると思う。

幸い、私は会社の事で忙しい毎日になってしまったのでそんなこともなかったんですけどね。

でも、それでも辛い時ってあったんです。

そして、中には父親が亡くなったという悲しみで自殺を考えてしまっている人もいると思うんですね。

旦那さんがなくなった人も同じような事があるかもしれません。(私の母親からしたらむしろこの気持ちだよね、当時は母親が本当に大変そうにしていた記憶がある)

大切な人が目の前からいなくなってしまう事、こんなに辛い事はないよ。悲しみで満たされた海の中に落とされたみたいで、

苦しくて、苦しくて、何も見えなくなる。

それくらい、心の中にいた大切な人、命が消えてしまう事は悲しい事なんだ。心が凍る。冷たくなってしまう。

現実じゃないような気がしてしまう。

父親が亡くなったという事は悲しい事実なんです。

それはそれは深い傷です。

痛い。

でも、下を向いていても仕方ないと思うんですよね。暗くなっていても仕方ないと思っているんです。

父親が亡くなってからもう随分と時が経ちました。

そして、今はこう思うんです。

「時が解決してくれる。生きていける。」

これは本当ですよ。いつまでも辛いなんて事はないんです。

父親が亡くなったら辛いですよね。その気持ち、痛い程にわかるよ。死にたくなるよね。何も楽しくなくなるよね。

父親との何でもない思い出が嫌なくらい脳内に浮かんできてしまうよね。走馬灯のように。オーストリアに連れて行ってもらってさ、今でもオーストリアが1番好きな国なのは父親の影響なんよな。

オーストリアの中心街に行った時の写真

でも、そんなこと言っていてもきっとお父さんは喜ばないんじゃないかなあ?

それでも、必死になって頑張っている姿を見たいんじゃないかなあ?

ってそう思う。

まりも

私はいま自分の好きな事を仕事にしています。

もちろん普通にサラリーマンとして働き続けるという選択肢もありました。

でも、今は好きな事で食べているんです。これって、父の影響が圧倒的に強いと思うんですよね。

父親が亡くなったからこそ、こんなに頑張っているんだと思います。

時間って有限です。だから行きたい場所に行くんだよ。

水の都「ヴェネツィア」の船着場

人生って一回きりです。だからやりたいことやるんよ。

日本一危険な国宝である「投入堂」へ向かっている私w

鳥取の三徳山、投入堂をわらじで登った。絶対に舐めて行ったらダメ。

だからこそ、人生賭けて努力してみても良いじゃないですか。

前向きに頑張ってみても良いじゃないですか。

父親が亡くなったという事実が悲し過ぎて何も出来ていない人、自殺しようとしている人、いると思う。それくらい悲しい出来事だから。

もうこのままずっと暗い人生なのかな?」と思ってしまう瞬間がきっとあると思うから。

でも、父親が亡くなった事っていつか必ず自分の強さになるんです。

だからこそ、諦めないで、頑張ってください。私は今はとってもとってもとっても(×100万回!!!!笑)幸せです。

毎日激動ですけど、それでも生きている。死にたくない。生きたい。生きている事が楽しくて、生きている。

最高に幸せな人生を送っています。

だからこそ、伝えたい、

前だけを向いて、強く生きろ!と。

悲しみの中で、目の前が真っ暗になった。亡くなった翌日、夢から醒める。

ああ、夢じゃないんだ。もういないんだ。

そう思ったら、涙が止まらなかった。ボロボロになるまで泣いた。でも、悲しみの中で生きている人こそ、生きて欲しい。

ひたすらに今を生きて欲しい。

生きて、生きて、命を大切にして欲しい。そう思うんだ。

ああ、今年もこんな季節だ。ああ、今年もまた1年経過したな。そう思いながら、私も少しずつ少しずつ生きているよ。辛さ、寂しさ、虚しさを抱えながら、もう歳を取らなくなった父が眠る墓前でみんなの幸せを願いながら生きているよ。

お墓参りにもたま〜に行っているよ

みんな、絶対生きてね。泣きながら笑っている馬鹿がここにいるからさ。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。