人生に悩む君へ

人と人は繋がりすぎた。だから僕らは虚しくなるんだ。

人と人が繋がる。それはとても良いことのように思う。インターネットというものが普及して、SNSなんかを通じて、他の人と簡単にコミュニケーションが取れる。

これは画期的だったよね。私は今、30歳なんだけれども、私が子供の頃……そうだな、12歳くらいの頃なんて携帯電話がまだ出たての頃で、

SNSなんてものは当然なくて、「着うた」とか「ワンセグ(携帯電話でテレビが見られる)」なんかが流行していた。あの頃は、「人と関わる」と言えば面と向かって会うことだった。

でも、それが今は違う。今はTwitterやFacebookなんかを使って、すぐに誰かと繋がることができる。

けど、けどさ?それで本当に幸せになったのか?というと、「もちろん!!!!」と笑顔で答えられない自分がいる。

つまりさ、私たちは繋がりすぎたのかもしれない。

1人分の感情しか処理できないのに

人間の感情というものはとても厄介だと思う。身体に左右されたり、気候に左右されたり。私は私という人間の身体をもって生きている。

もう30年も、だ。

でも、そんなおっさんの私でも私1人分の感情しか処理することができない。それなのに、今はSNSで簡単に人と繋がってしまって、

ひとたびスマホを広くと、他人の感情が自分の身体に流れ込んでくる。例えば、「あの有名人が死んでしまった」なんて情報が出て来れば、それに対して、自分以外の人たちが感情を吐露する。

悲しい。あんなに好きな人だったのに」と。そうやって発信者であると錯覚している私たちは自分の感情を誰かに発散しているわけだ。

でも、実際には違う。私たちは発信者ではあるが、同時に「受信者」でもある。例えば、「誰かが死んでしまった」という1件に関して、自分は1つのツイートしかしなかったとしよう。

それに対してどうだろう?自分のタイムラインには1つどころではなく、10、20と他人の感情が雪崩のようにドドドッと押し寄せてくるのではないだろうか。

これはね、私、普通のことじゃないと思うのよ。みんなは当たり前にSNSを操るようになって、SNSをやっていない人なんかがいたりすると、「時代遅れだな〜!」と笑う。

今、私はオーストリアのウィーンに住んでいるのだけど、ここでも状況は同じ。「インスタグラムやってる?教えてよ〜!」なんて会話をレストランにいたお洒落な男女集団がしていた。

それくらい誰もが当たり前にSNSで人と繋がっている。そしてそれを喜んでいるわけだ。でも、結局、人間ってのは自分1人分の感情しか処理できないような気がしている。

自分の弱っちいハートが生み出す感情でさえも自分で捌くのがやったなのに、他人の感情なんかに付き合っている余裕はない。

だからさ、みんなSNSとかさ、本当にいるん?必要なん?っていう。それが今、30歳のおっさんが思っていることでありんす。

関連記事:ある朝、きっと僕は誰かと「さよなら」をしてたった1人であくびをする。

寂しさは外に出ることでしか解消できないんだ

インターネットは居場所になる。それはその通りではあると思う。狭い意味では正しい。ただ、完全なものではないような気がする。

さっきも言ったけど、私は今、オーストリアのウィーンという場所に住んでいる。音楽の都と言われる場所だ。

どん兵衛を食べる私

日本の友達が連絡をくれることもあって、「結婚したよ〜!」なんて幸せな報告をしてきやがる。はぁ、私になんて報告をしてくれるんだ!笑

まあそんな友達が大好きで愛おしくて大好きでラブで!笑

ずっと付き合っている友達だからさ、やっぱり良いよね。でもさ、繋がっているようだけど、ちょっとした寂しさを感じることもやっぱりあるんだよ。

直接会いたいな〜」なんて思っちゃうことだってそりゃぁある。SNSなんかでは私の日常の写真なんかを投稿して、その「閲覧者」にはいたりするし、「SNS上のメッセージ」はくれたりする。

けど、直接ってのとはちょっと違うよなぁ。結局ね、人と人は繋がったけれど、技術革新は虚しさも作り出したんだよ。

人はやっぱり直接、人と面と向かって会わないといけないし、やっぱりSNSなんかじゃ心の隙間は埋まらないんだよなぁ。

最近だと、メタバースなんていって「現実世界は必要なくなる」なんて言うけれど、そうかな?と思う。

私は飲み会で面倒な奴に絡まれたり、朝4時くらいまで飲んで始発列車をブルッブル震えながら待つ「あのしょうもなさ」みたいなものこそ人間味があって良いな!と思う。

結局ね、外に出ることでしか色々なものは解消されないって。

関連記事:現実は残酷だ。そんなことは幼稚園児でも知っとるよ。

デジタルを抜け出して泥臭い街に出かけよう

いやぁ、やっぱり私は外が好きですねぇ。だって、人間って感じがするんだもん。こっち、ウィーンに住んでからもなるべく毎日外に出るようにしているよ。

だって、そうじゃなきゃ人生の意味がないじゃんか。

デジタルの世界で繋がれて良かったね、少し幸せになれるね。そうやって、ベンチャー企業の経営者は言う。でも、そうかなぁ。

そもそも私が子供の頃なんて、スマホなんてなくってもクッソ面白かったし、友達が近くの公園の池で落ちたり、近所のおばさんになんか急に怒られたり、

戸山公園でギター弾いていたら、「おい!禁断の遊び弾いてくれよ!え?弾けねぇのか!ダメだなあ!!!」なんて言われたり。笑

そういう土の匂いがしてきそうな環境こそが人間のいるべき場所でさ、それは電波で繋がるデジタル空間じゃないんだよなぁ。

ただ人とインターネットの中だけで繋がっていても、身体や精神を蝕まれるだけな気がしちゃう。自分の発信以上に他人の発信を受け止めなきゃいけないんだもん。

だからね、もっと外に出て、飲み会行って、馬鹿なことで笑って。そういう人生を楽しみましょうよって話。

なんにも難しいことは言っていない。時代は変わっても、人間の心なんてそう簡単に変わらない。私はどれだけ技術が発達しても、やっぱり外の空気吸って、美味い焼き肉を大好きな人たちと煙まみれになりながら食べるのが好きだな。

あ〜〜〜〜〜〜!!!!

やっぱり人間味よ!人間味!!!!

関連記事:走るのをやめた時、きっと僕の心も止まっている。

ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。