見えますか!関門橋の奥!関門トンネル人道!!!そう!!!人の道があるんです!!!!!!歩いて渡れる!!!!!!

この橋の下の海中にトンネルがあって、そこを歩いて渡れるようになってるんですね!
山口県の唐戸からとりあえずトンネルまで歩いた
今回は山口の下関から福岡県の門司(もじ)というところまで、この人道トンネルを歩いて渡ってみました。
今回は唐戸市場のある唐戸(山口県)から、人道トンネルの入り口まで徒歩で行きました…なかなか遠いですよ。確か歩いて20〜30分くらい。
下関はめちゃくちゃバスがたくさん走ってるのでちゃんと調べればトンネル近くまでバスで行けるはずです。歩いていけなくもないけどバスの方が楽だと思う笑

こういうの寄り道しちゃうんで、さらに時間食うんですよね笑
日差しも強くてぶっ倒れそうでした。
鎖国政策をしていた江戸時代ですが、公式に国交があった朝鮮国。1607(慶長12)年〜1811(文化8)年の間に朝鮮通信使は12回も来日しています。
最初に朝鮮通信使が来日した土地が下関だそうで、ここにその碑が建てられています。



その後もてくてく歩いていると今度は壇ノ浦古戦場が!!!!!


1185年3月24日に長門国赤間関壇ノ浦(今の山口県下関市)で行なわれた「治承・永寿の乱」、「源平合戦」における最後の戦い!!!!
この戦いでは平氏が擁立した「安徳天皇」(あんとくてんのう)が入水し、源義経が率いる源氏が勝利しています。

見所ありすぎて全然辿りつかないやんけ。

この向かいにやっと人道トンネルの入り口が見えます。

いざいざ人道トンネルの中へ!

徒歩で歩く場合は無料なのですが、原付50cc以下、自転車などが通行する場合は片道20円かかります。こちらの料金箱に投げ銭する仕組み。ザ性善説。

大きな業務用みたいなエレベーターに乗り込んで地下道へと降りていきます。
ディズニーシーのセンターオブジアース思い出す。


トンネルの長さは780m。景色がずっと変わらないもんで、なんかもう少し長く感じます。
海底約60mあたりにあるトンネルで、県境も海底の中にあるんですね。

最近はこのトンネル内をジョギングする人もいるのだそうで、「ジョギングしないでください」という張り紙がしてありました笑
なんかシュール笑
私が見かけたのは女性のジョギングしている人でしたが、トンネルの中をジョギングするってどういう意図なんですかね。日焼けしないからいいのかな?


やっと辿り着きました!
門司港側もエレベーター入り口のところはあまり下関と景色は変わらずでしたね。
ここから徒歩でさらに門司レトロを目指します。ふぅ。実はまだここからも遠いんだ。


2015年の投稿でしたがまだ営業してるみたい…という投稿をネットで見つけました。今はどうなんだろう?
なかなか入るのに勇気が要る見た目ですけど、、

バンビを横目に通り過ぎ門司レトロを目指しているとJANGLE BANANAという派手な看板が。
アスレチック系の施設かなぁ?なんて思っていたのですが


なんかここら辺そういうホテル多いんでしょうか。にしてもずいぶんポップだなぁ笑
門司港についてすぐ美味しい焼きカレーを食べました

いろいろなものを横目にやっとたどり着いた門司レトロエリア!
この辺りは外国貿易で栄えた時代の建造物が広がっており、大正レトロ調に整備されている観光スポットです。
国土交通省の都市景観100選、土木学会デザイン賞2001最優秀賞も受賞。

実は門司港、焼きカレー発祥の地らしいんですよね。
昭和30年代の福岡県北九州市門司港の栄町銀天街にあった「山田屋」という和食店(後に閉店)が焼きカレーを最初に作って出したお店らしく、今も門司港レトロ近辺では焼きカレーのお店が30店舗以上あるそうです。
中でもネットで探して評判だったお店『伽哩本舗 門司港レトロ店』さんにお邪魔しました。

二階にあって陽の入る雰囲気の良いお店だったし焼きカレーは間違いなく美味しかったのでおすすめです。
関連記事:【バイキングの王様】「帝国ホテル」のインペリアルバイキングサールがすごくなった。
アインシュタイン夫妻が訪れたという旧門司三井倶楽部へ
門司レトロに行ったら絶対に行きたいと思っていた観光スポット、旧門司三井倶楽部。
あの三井物産が接客などのために約100年前に建てた建物で、なんとアインシュタイン夫妻も宿泊したらしいのです。

早速中に入ってみましょう…!


この日はもう夕方だったので1階のレストランは閉まっていました。

思っていたよりはリーズナブルな会席もありますね…!
ちなみに……東京の麻布十番にも「綱町三井倶楽部」という東京版の三井倶楽部があります。

中の雰囲気は門司の方とは少し違います。

はい。では、門司の三井倶楽部の方に話を戻しましょう。
さて、アインシュタイン博士の宿泊したとされるお部屋は上の階です。


アインシュタイン夫妻が宿泊したのは1922年で、当時の状態のままメモリアルルームとして公開されています。





おしゃれなバスルームですなぁ。
やっぱり国際的に貿易やっていたところだから、洋風なところがたくさんありますね。


どうもお話の中の人というか、遠い存在のように感じていたアインシュタイン博士ですが、こうして飾ってある写真を見ると「本当にいたんだなぁ」という謎の気持ちになりますね。

ちなみにこの三井倶楽部の近くにある旧大阪商船も国の登録有形文化財に登録されています。

こちらももう閉館してしまっていました。。17時前に回りきる計算で観光しないとだめですね笑
門司港駅そのものも綺麗

門司港駅そのものもレトロ調の建物になっていて可愛いです。


ちっちゃい噴水みたいなのある。

ファミマも普段は緑に光り輝いているのに、レトロに合わせて茶色に。


この門司港駅は、関門トンネルが開通するまでは九州の鉄道の玄関口だったそうで、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わっていたそうです。
駅舎は重要文化財に指定されており、第二次世界大戦時は米軍の空襲を受け駅構内で3名が死亡するという歴史があります。21世紀の駅舎復元工事の際、機銃や爆弾の痕跡が発見されたのだとか。
歴史のある駅ですねぇ。
お土産には困らなさそう

門司港のど真ん中には海峡プラザという大きなショッピングモールがあって、ご飯を食べるのにもお土産を買うのにも困らなさそうです。


美味しそう。。
焼きカレーも門司が発祥らしいのですが、「バナナの叩き売り」も門司が発祥、とのことで有名みたいです。
日本にバナナが輸入されたのは明治36年ごろ、台湾の商人が神戸に持ち込んだのが始まり。
その後台湾が日本の領土だったのと、門司港がバナナの産地である台湾と最も地理的に近かったのもあって、大量にバナナが荷揚げされ、市場が設けられたらしいんですね。
まだ青いバナナの競りが行われて、引き取られたバナナは地下室で蒸されて黄色のバナナになり、市場に売り出されたそうです。
ただ途中で傷がついたり不良品となってしまったバナナをなるべく早く換金するため、露天商などの手を経てバナナの叩き売りがされたのだとか。
そんなこんなでお土産もバナナに関するものがとても多かったです。
関連記事:美浜アメリカンビレッジ!沖縄にあるアメリカ村がすごい。
ということで今回は下関から歩いて北九州の門司へ。門司レトロエリアもついでに観光してみました〜
とても歴史のある場所ですので歩いていて楽しかったです。
ぜひみなさんも海底の県境を徒歩で越えてみてはいかがでしょうか?