人生に悩む君へ

孤独を知っているから、誰かとずっといた方がずっと楽しい。

最近の若い人たち、いや、私もまだ29歳だから若いと言えば若いのだけど……まあ20代前半とかの人たちは「1人の時間が欲しい」と言う。

その気持ちはわからなくはない。誰にだって1人になりたい夜があるし、私にもある。

例えば、大学生の頃なんてよく飲み会に行っていた。で、何なら合コンなんかにも参加した。そこでは気を遣うわけですよ。

そしたら、その後に地元に帰ってきて、駅から5分くらい歩いたところにある「牛乳瓶」が目印のローソンに深夜の1時くらいに寄ってみる。私は緑のたぬきよりも、赤いきつねが好きなので、赤いきつねを買う。

そんでもって、近くの公園に行って、1人でうどんをすする。すするすするすするくんです……。

その瞬間が好きでもあった。だから、私にも1人になりたい時があって、1人が楽しい時もある。

けど、父親が死んじゃって、すごい強い孤独の味を知った。そこからは「1人になりたい」よりも、「誰かといた方が良いな」と思うことの方が多くなりました。

そんな話をしようと思う。

1人になりたいという贅沢病

1人になりたい」なんて贅沢病だよなぁ、と思う。今はTwitterでもインスタグラムでもLINEでも何でもある。

だから、すぐに誰とでも繋がれる。あるいは「繋がれるような気がする」わけですよ。でも、私が子供の頃なんてそもそも「プリペイド携帯(1000円予め支払うと、1000円分まで使える携帯)」しかなかったし、

24時間、誰かから連絡が来るようなネット文化も存在しなかった。1990年代ですから、まだ「ドットコムバブル」とか言われるくらいの時代です。そこまでネットも発達していなかったわけですよw

堀江貴文さんとかが、わっしょいわっしょい!と楽しくやっていた頃ですねぇ。

私からすると、「人と一緒にいる」という大きな価値だったわけ。けど、今の子供たち、若い人たちは本当に「人と会うとか面倒だし、1人の時間が欲しい」と思っている。

これはね、何だかとても贅沢な気がする。贅沢な病、贅沢病じゃないか?と思う。

社会全体として、「人との接触ってそこまで重要じゃないよな?」みたいな流れになってきている。「1人の時間の充実」が人生において最も重要なことであると思われている。

けど、そんなこともないんじゃないかなぁ?なんて思ったりする。そりゃ、誰かと一緒にいると疲れることはある。喧嘩したりもする。

そりゃ、1人でどん兵衛くらい食べたい時もあるさ。でも、うーん、極端な例を言うけれど、「ずっと1人」なくらいなら「ずっと誰かといる」方がマシだと思うし、孤独の味なら馬鹿みたいに知っているから、

誰かという苦痛の方を選んでしまうかもしれない。だって、多少疲れたとしても、やっぱり楽しいし、孤独を味わう必要もなくなるからさ。

1人でいたい。1人になりたい。そう思う人たちはいて、私もそういう瞬間がある。孤独を求める瞬間と言うか。

でも、だからといって「1人になりたい」とずっとは思わないなぁ。そう思っちゃうのはさ、「誰かと一緒にいられる」という「」が存在するからであって、だからこそ「1人になりたい」という「」が強くなるだけであって……。

1人の時間、孤独な時間をたっくさん、お腹いっぱい経験したら、「もうあの時間はいらないよ」と思うはずよ。うん。

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孤独を知っていたら、1人になりたいなんて思わない

1人になりたい瞬間は誰にでもある。そりゃわかってるさ。久しぶりに1人の時間が欲しくなった男、まりもです。でも書いている通り、私にもめっちゃある。

けど、その上でやっぱり「ずっと1人でいる必要はないし、1人になるのは嫌だなぁ」と思ったりもする。

なんて言うのかねぇ。別に常に誰かにいて欲しいわけでもないんですね。たまには1人になりたい。けど、究極の2択を考えるのであれば「誰かと一緒にいたい」になるというか。

私くらいの年齢、それこそアラサーくらいだとまだ親は生きているわけよ。離婚とかして片親になることはあっても、死ぬ人ってのはそこまで多くない。だからね、「いつも話していた人が突然消える」という人生最大の孤独を経験しない。

だから、みんな「1人になりたいんだよぉ〜」としきりに言う。まあ、今の時代感みたいなものもある。孤独であること、1人であることが1つのアイデンティティみたいになっとるもんなぁ。

私なんかは「1人になりたい」なんて言うだけ言うけど、なんだかんだ誰かとご飯食べている。笑

定期をなくした友達と一緒にいる私。笑
実は全部水という

でも、最近の人たちは本当にネットで完結させようとしたり、リアルでの出会いってのを「まぁいいや」と捨ててしまったりする。それがね、私にとっては「すごく勿体ないこと」のように思うわけ。

親がいなくなっちゃって、友達にも中々会えなくなっちゃって、「寂しいなぁ」と毎日、赤坂の土地で泣けてきた記憶がある。

ゲーテが「涙とともにパンを食べたことのある人間でなければ、人生の本当の味は分からない」なんて言っているけど、私の場合は「涙と共に松屋を食べたことのある……」だなw

うん。まあね、だからその当時はすごく悲しかったし、寂しかった。人生ってなんだろうな、と考えた時期もあった。

そんな私からすると、あえて孤独を選んだり、1人を選んだりするのはちょっと寂しい行為だなぁ、と思っちゃったりする。

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どれだけ喋って、どれだけ笑ったか

生きているならさ、どーせ生きているからさ、めちゃくちゃ笑いたいじゃん????

え?みんなおバカなの?怒るより、悲しむより、笑っている方が良いじゃんか。そう、私は純粋に思っちゃう。寂しいのとか、1人で悲しいのとか、そんなのはさ、もう嫌になるくらい知ってきて、自分の中の寂しさ、孤独、苦しみとは向き合ってきたわけよ。

そこからさらに「もっともっと!!!」と孤独を欲するのは私の場合は違うな、と思う。孤独のおかわりなんていらないよなw

そんなのはさ、大好きな人たちが死んだ後でたっぷり堪能することになるかもしれないわけだから、今はもっと人との触れ合いというか、人と出会うことを大切にしたいよね。

リアルな世界で話して、笑って、下ネタ言って。笑

お前、馬鹿だな〜〜〜〜〜」と言いながら、美味しい餃子の1つでも食べて、帰り道にちょっと「ああ、今日も人疲れしたわ〜」くらいがきっとちょうど良いのよ。

男性なのでね、私。男性の寿命だと80歳くらいじゃないですか。今30歳手前だから、まああと50年くらいは生きられるとしよう。その50年間でさ、どれだけの人に出会えて、どれだけの人と笑えるのかなぁ?なんて思うんよね。

20代前半の頃の寂しくて、つらくて、孤独な日々はもういらないのよ。だからね、今の時代とこれからの人生はできるだけ人と関わっていきたいなって。

YouTubeやっていたり、ブログやっていたりするのも、結局は「人との関わり」が欲しいからってのがあると思うな。だって、ウェブの世界にいれば誰かしらと繋がれるんだもん。そういう繋がりみたいなものが楽しかったりもするよ。

うん。誰かとずっといた方がね、やっぱり私の場合はまだ良いです。1人で部屋の中にいても、何も良いことはありませんから。

ではでは、まりもでした。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。