人生に悩む君へ

目的についてしか議論していないから世界は歪む。

まりもだよ。こんにちは!

Twitterとかにも全然写真をアップしていないけど、ピザとか色々ね、食べています。東京の神谷町という場所にあるイタリアン。

これがたまらなく美味しいのよねぇ。

 

 

さて、最近はSNSの更新を全然しなくなっちゃったなあ。私がSNSをやめた理由を書いてみるね。でも、昔辞める宣言をしていたわけですが、

まあ結局は細々と続けていたというか、やっていたんですよねぇ。あ、でまあ、そこに関連してこの記事なんですね。

Twitterなんかを見ていると、何か事件があった時に「犯人は悪い奴だから晒してやろう」とか「少年法は良くないから特定しよう」みたいなのがあるじゃないですか。

私みたいに顔出ししてやっている人じゃない、一般の他人というか、何でもない人の顔がネットに拡散されて、私刑に処されてしまう。

そんな風潮があるような気がする。もちろん、私だって人間だから犯人のことは嫌いだよ。でも、何かこう……「目的だけ」しか教えられてこなかったから、世界が歪んでしまったんじゃないかな?って思ったのよね。

 

「目的」さえ合っていれば良いという歪み

 

この「目的さえ良ければ良い」みたいな考え方に違和感を持ったのは、コロナが流行した時期からだと思う。思えばあれも2020年のこと。

もう2021年なだんて笑えるよなぁ。

コロナの時期にはさ、「なるべく他県にはいかないでくださいね」みたいに言われていたじゃないですか。緊急事態宣言の時か。

その時にはさ、まあみんな他県に行かないようにしていた。私はまあそこまでコロナに敏感ではない方だったので全てキャンセルしたわけじゃなかったけど、キャンセルした時もあった。

まあそのおかげで石垣島様からこんな素敵な商品が届いたりとかね、あったんだけどww

でさ、そんな時に「他県ナンバーが走っていたから煽った」みたいな人がニュースで報道された。それってどうなの?って。

これもさ、「目的の達成」しか教わっていないからだと思うのよね。私たちは「県を越境しないようにしましょうね」と言われた。

ただ、その「手段」に関しては何も言われていない。そうなってくると、「県を超えてくるような奴には何をしても良いんだ」みたいな人が出てきてしまうわけですよ。

彼の言い分としては「だって、国がダメだって言ったから」である。「国が指示した目的のために任務を遂行する」と。これは戦時中の日本みたいだ。

目的は合っている。「県を超えてはいけない」という目的はあるわけよ。けど、そこで「煽る」とか「殴る」みたいな方法に出ちゃう人がいたりとか、

 

中には「炎上させる」みたいな人とかもいるよね。目的は一般の人と同じなのだけど、そこに至るまでの行動がちょっと違ったりする。

 

例えば、「少年犯罪で死んでしまった人」がいたとする。たしかに少年法ってのは名前も出ないし、犯罪を犯した子供たちが普通に社会で生きていける。この制度自体、ちょっとどうなのかな?と思ったりもする。

実際、私は中学生の時、地元の荒れた中学の先輩からリンチされたことがある。だから、そういう怖さも知っている。

川崎・中1男児殺害事件 過熱した「加害者特定」がもたらした闇なんかにもあるけど、リンチで人が死んでしまうこともある。怖いよね。

けど、「少年法なんておかしいから、自分たちで晒しあげよう」みたいになってしまうのはちょっと違うような気がする。これも「少年を裁きたい」という目的があるから。

でも、その目的を達成するために「顔を晒す」とか「危害を加える」ってのがおかしいのよね。

 

目的の達成のためには何をしても良い。目的の達成のためのプロセスの善悪は問わない、考えない。だって相手が悪いんだから。

こうなってくると、世界は歪んでくるよ。

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自分の軸でしか考えられないのは怖い

 

人間はすごく感情に左右される生物だと思う。「あの子が好き」とか「あの人が嫌い」とか。私にも普通に感情はあって、普通に嫌いな人がいて、普通に好きな人がいる。

だから、感情人間ってことよ。

私にも苦手な人はいる。中学生の時に同級生だった「N君」という男がいる。そいつのことは未だに好きになれない。

 

中学1年生の時、あまりにもムカついて殴ってしまったことがある。肩の骨を砕くんじゃないかな?というくらいの勢いで。

これに関しては非常に申し訳ないことをした。「目的のために手段を見失っていた」という私の悪い例でしょうね。まあ、実際、それでそいつはその後何もしてこなくなったんですけども。笑

 

でも、こういう風に「自分はこう思う。相手が悪いと思う。」という感情だけで動いてしまうのはとても怖い。

世の中のヤバイ事件の中には「論理的な害」を含むものがたくさんある。例えば、「妻が浮気をしたから殺した」といった感じの事件。

無差別殺人なんかとは違って、論理がある。「相手が悪いから自分が裁いた」という何とも単純明快な事件です。

一見、殺した殺人者側に「正義」があるような気がしてくるでしょう?

けど、これも「自分の軸」しかないから、危険だったりする。自分の軸の中では「相手が悪いから」という「自分なりの正義」がある。

まだ、そこまでだったら良い。「浮気は悪いよね。殺したいくらいだよね。」まではわかる。

 

でも、その後が問題です。「相手が悪いんだから、何をしても良いよね?何をされても文句は言えないよね?」となってくると、急に様子がおかしくなってくる。

自分の軸でしか考えられない上に、手段も自分本位。そうなってきたらさ、まあ世界は混沌としちゃうよね?なんて思った。

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結局、他人のことに関心を持つべきじゃない

 

まあ、詰まるところ私たちは他人のことに関心を持つべきじゃないと思うなあ。正直さ、他人がどこで何をしていようと関係ないじゃないですか。

 

例えば、すごいいじめの加害者がいたとしても、それは警察が裁くことであってさ、民間人である私たちがとやかく言うことじゃないのかな、と思う。

 

少年法だなんだとか言うけれど、やっぱりそれは法律で決まっているから仕方がない部分がある。当然、私が「当事者」だったら怒る。そりゃそうよ。当事者だもん。

それがあなたの家族でも同じことが言えますか?」みたいなことをよく言われるけど、家族じゃないからさ。笑

 

そりゃ家族だったら何か法律外の感情を抱えても仕方がないと思うよ。人間だもん。

でも、周りの人たちが誰かをいじめたり、誰かを特定したり、誰かを晒しあげたりするのはちょっと違うのかなぁ、と思う。

 

私たちって小学校でも、中学校でも、「目的」しか教わらない。「良い大学に入りましょう!とにかく頑張ってください!」としか言われない。

でも、そのための手段に関してもっと知るべきなんじゃないかな。大学だったらさ、「じゃあお金を出して裏口入学をしても良いの?」とかさ。

目的だけになっちゃったら、何でもおかしくなってくるよ。

目的は大事だけど、その過程や手段も考えないとね。

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まりもだよ(o'ー'o)「ぼくのとらべる。」というYouTube旅チャンネルやったりブログ書いたり。のんびりびりびり。チョコとヨーグルトが好きです。