人生に悩む君へ

ある朝、きっと僕は誰かと「さよなら」をしてたった1人であくびをする。

ある朝、私はきっと1人で目覚めて、1人でご飯を食べて、1人でトイレに行く。きっと、きっとだけど、確実にそんな日がやってくる。

雨の夜は人を寂しくさせる。星空は人を安心させる。遠くの方に見える月は、誰かにとっての大切な人となる。

だから寂しくないよ、なんて言う。

でも、でもさ、やっぱり私はこの先訪れる全ての人たちとの別れがどうしようもなく嫌なんだ。

私の周りにいてくれる全ての人が、私のことを好きでいてくれる誰かがたまらなく大好きで、愛おしくて。

だからね、少しだけ心の中に用意した「さよなら」に孤独を感じることがあるんだ。

目の前の誰かが目の前にいるのはほんの少しの間

目の前の人が君の目の前にいる。ただその「現在の事実」によって、「ずっといられる」と錯覚しちゃう。でも、そんなことはない。

いつか、いつかは目の前から大事な、大好きな人たちがいなくなっちゃう。よく寝る前に思う。「あの人が消えちゃったらどうしよう」なんて思う。

自分が死ぬことなんてそんなに怖くない。でも、誰かがいなくなっちゃうのはすごく嫌だ。

だからね、誰かと一緒にいる時間はね、私、すごく大好きというか、なんかこう……「ああ、嬉しいな」と感じるんですよね。笑

カフェラテを一緒に飲んだりとか。

オムライスを食べたりだとか。本当に内容なんて何でも良いというか。笑

相手がめっちゃ可愛い子だったとしても、ブッサイクな子だったとしても、イケメンだったとしても、何でも関係ない。その「ほんの少し」を共有できているなら、それだけで嬉しいな、と思う。

この世界を誰が創ったのか、ようわからんが、「命の終わり」という概念を創設したのは、最大の過ちであるように思う。だって、悲しいもん。

まあ、正しくもあるんだけども。

命に終わりがなかったら、それはそれでおかしなことになる。それはわかっているよ。でも、やっぱり1人の人間として考えた時には悲しいよなぁ、と思う。

目の前の人が目の前にいてくれる時間なんて、ほんの少しの時間しかない。

男性の寿命、今は80歳くらいですかね。そうすると、私は今29歳なので、51年くらいしたら死んじゃう。長いようで短い時間じゃないですか。

そう考えるとね、自分が死んじゃうことなんてどうでも良いと言えば良いのだけど、「人との出会い」とか「関係」はね、大事にしたいな〜と思う。

みんなはどうだい?家族とか、大好きな彼氏彼女だったりとか、大事にできている???

今目の前にいる人が君の目の前にいる時間ってのは実はそんなに長くないかも……しれない。

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音のない部屋、1人の私

私の父親が死んだ時、1番最初に思ったのが「1人の部屋ってこんなに静かなんだな」ということでした。

誰もいない部屋ってのは、音のない静かな部屋で、存在する音と言えば、「ひゅー」という風の音くらい。

今まで存在していた人がいないというだけで、家の中ってのはまあ静かになる。

1人いないだけなのにね。こんなに変わっちゃうんだって思った。

昨日までいたのに。本当に12時間前までは普通にいた。なのに、もういない。どこを探してもいない。

もう燃えてしまっていて、もういなくなってしまっていて、もうこの世界のどこにも存在しない。音のない部屋は人を殺しにかかってくる。

この世界でお前は1人きりだ、お前は1人の人間だ、お前は今日から1人なんだ。」という強烈なメッセージを送り込んでくる。

心臓がきゅーっとなる。怖くなる。生きるのも嫌になる。世界がになる。

音のない部屋なのに、自分の頭の中だけ、寂しく、虚しい音楽がなり続けている、そんな感覚があった。

私の父親が死んだのは、だいたい午後の15時〜16時くらいだったと思う。だから、死んでしまったその時にはまだ何も感じなかった。

いや、正確に言うならば、「よくわからなかった」のだと思う。でも、翌日になってみて、感じるものってあるんだよ。

1人でご飯を作って、1人で片付けて、1人であくびをする。「はわぁ」と言いながらやんわりとした光を放つシャンデリアを見て、ぼーっとする。けど、結局1人ぼっちで、誰もいなくて、誰も返事をしなくて。

錆び付いたIHコンロだけが目に入る。

そんな「衝撃的な日」があるから、私は次にやってくる「いつか」を想像しちゃうのだと思う。

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そんな世界がやってくるまで

いつか、いつかはそんな世界がやってきちゃう。「そんな日」が私には「7年くらい前」にきてしまった。でも、またやってくる。

母親かもしれない。彼女かもしれない。奥さんかもしれない。友達かもしれない。いつか、いつかはやってくるよ。

でも、でもさ?

このブログで「そんな日がやってくるから悲しいよね?絶望的だよね?」なんて話で終わらせたくはない。だって、そんな悲しいだけの話だったら誰にだってできると思うから。

私は逆に「いつかやってくるさよなら」の時間があるから、ぼーっと1人で過ごす朝の時間がいつかやってくるから、目の前の人に優しくできるような気がするよ。

だから、「終わり」や「別れ」ってのは絶望ではなく、希望だったりもする。「終わりがあるなら、それまで楽しもう」とかさ、そういう考え方になってくるよね。

この先、100年、1000年、1万年と一緒にいられたら、それはそれで楽しいけど、一緒にいられないからこそ、大事にしたりするってのもあるんよ。

冷たくなった父親を触った時、「ああ、人って死んじゃうんだね」なんて思った。私はボソッと、父親に「なんてことしてくれたんだよ」と言った。

それが本心だったのだと思う。悲しい、苦しい、寂しい。そんな色々な感情が混ざった「一言」だったのだと思う。

でも、あんなクッソみたいな出来事があったからさ、誰かが大事にできているような気がするよ。誰かを傷つけて生き続けていた自分から変われたような気がする。

そんな日がまたいつかやってきてしまう。それは悲しいことだけど、そんな日がいつかやってくるから、大事にしたいよね。目の前の人を。

みんなは大事にできていますか?

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)「ぼくのとらべる。」というYouTube旅チャンネルやったりブログ書いたり。のんびりびりびり。チョコとヨーグルトが好きです。