こんにちは。おはよー!まりもです。
私、実は妄想ドライバーなんですね。(突然何を言っているんだろう)
いやあ、こんな超個人的な話というか、私の頭の中のごちゃごちゃを話すことになるとは思っても見ませんでしたよ〜!
でも、まあ一応ブログなんでね、収益も何も無視してここ4年くらい書き続けているわけですが、今回は「妄想の世界」について。
私と君の妄想。見えるようで見えない、頭の中の妄想。
妄想の世界に消える
没入。この言葉が正しい。私はよく妄想の世界に消えてしまう。何だろう。まあ、ポップでファンキーな読者のみんながする妄想ってのは「エッチな妄想」だろうな。
いや、それは当然私もするわけですよ。「あの人がこうなったら……」みたいな。そうじゃなくて、ここで言う私の妄想ってのは「全くの別世界」だったりする。
電車の中なんて妄想で頭の中がいっぱいになる。都内某所に住んでいる私はやっぱり満員電車に乗らざるを得ないことがある。お寿司みたいにぎゅうぎゅう。にゅうにゅう。
痴漢だと間違えられないように手を上にやったりする。おじさんの汗の匂いが臭すぎて死にそうになる。「おいお前、いつから風呂に入ってないねん……」と心の中で盛大なツッコミを入れる。
でも、そのうちに妄想の世界にへ入っていく。
そこにはいるのだけど、いない感じ。存在だけはあって、消えていく感じ。白色の世界から黒色の世界へ、でも光はある、不思議な世界へ逃げていくような感覚がある。
電車の中の状況を妄想する。「もしも私以外が全て人間以外だったとしたら?」とか考える。タコだったり、イカだったり、宇宙人だったり。
「おいどけよ」なんてイカが墨を吐きかけてきて、「ふぇ!?どうしたん?」と私が言ってみるものの、一向に会話にならない。なぜなら使っている言語が違うからだ。
相手の言葉はわからない。そのうちに連結部分のない話に変わる。「ここはトレマリー帝国。明後日の深夜1時に出発するぞ」と。
松明がメラメラと燃えている。赤色に燃えている。黒色の世界を照らしている。
そんなこんなで数駅が過ぎていく。「あれ?ここはどこだろう?」なんて思ったりする。
関連記事:2020年、空っぽの世界。
君の中の妄想は何だろうか
妄想するのってなんだか楽しい。自分が生きている世界以外を知れるような気がして好きなんです。
世界はちょっと歪んでいて、世界はちょっと不幸で、人間はちょっと悲しい。そんな世界だけを見ていたら、なんだか疲れちゃう。
心も身体も他人の悪い心に連れ去られてしまうような気がする。だから、私は時々、妄想の世界に逃げ込んでしまう。
幸せな時も不幸な時も等しく妄想の世界は存在している。いや、作り出してしまう。逃げ場所にもなっているのかもしれないけど、幸せな時だって、別に妄想はしている。
よく、電車で笑っている人っているじゃないですか。「うふふ」と。あれ、ちょっとわかるんですよね。
私にもそういう瞬間がある。例えば、目の前に50代男性がいたとしよう。そうすると、私の頭の中ではストーリーの構築が始まる。
「50代男性。西武新宿線に乗って新宿へ向かっている。小太りでメガネのサラリーマン。世間はそう思うだろう。でも、実際には違う。NO1ホストなのだ。」みたいなね。
理由なんてないし、意味なんてないのだけど、なんか妄想しちゃう。そういう妄想の中で世界を受容して、咀嚼すると、何だか楽になると言いますか。
この気持ち、わかってくれる人、いるのかな。
さて、君の妄想は何だろう。「妄想するとかww」と思っているあなたも妄想しないなんてことはきっとない。なぜなら、目の前の情報だけで完結している人間なんてほぼいないのだから。
例えば、マイホームを買う時に、「こんな家ですよ」と完成図を出されたとしよう。で、そんな時にあなたは考える。「完成したらこんな感じの家で、こんな生活になるだろうな」と。
仕事でもそうです。電話を取ってみたら、「ドスのきいた声の男性」が出た。そんな時、あなたはこう思う。「きっと会社内でもいばっている50代の男に違いない」と。
目の前にある情報だけで生きている人間の方が少ない。目の前の情報が脳にいって、そこで「妄想モード」に入るわけ。
つまりさ、あなたも私も世界と対話する時には「妄想」を介さなければいけないということですよ。この妄想というブラックボックスがなければ、私たちは世界と対話することさえできない。
そんなしょうもない存在であるわけさ、と。
関連記事:戦争が起こらないように。
正解のない世界でオーダーメイドの正解を作る
そう。きっと私たちが生きている世界には正解がない。「正解のようなもの」は存在している。けれど、正解はない。
だから、私たちが生きる時に「妄想」という神様からもらったとてつもない便利ツールを使ってしまう。
正解の上で生きていく人間が正解のない世界で生きているという理不尽。そんな理不尽の中で生きるのであれば、やはり必要なのは「ブラックボックス」だったりする。
オーダーメイドの正解だったりする。妄想がそんなに役に立つ。例えば、私たちが死ぬ時にも「正解」がない。
世界が終わったらどうなる?この命が終わったらどうなる?何も正解がない。そんな咀嚼しようのない、食べようとすれば、吐き気をもよおす世界において、どうやって生きろと言うのだろう?
やはりそうなってくると、「妄想」なのである、と。
ええ、そんな気がするわけですよ。でも、だからね、別に、君がする高尚な妄想も、私がするシンプルでエッチな妄想も、きっとこの世界を生きていくためには必要なものなんですよ。
誰かから笑われるような妄想にこそ、生きる方法とか、世界の「X」を咀嚼する何かがあるんじゃないかな、と思う。
はいはい。今日もね、自分が何を言っているのかわかりません。
このブログを書いているのもね、やっぱり自分や自分が関わる世界がよくわかっていないからだと思うな。
みんなどうですか。元気にやっとりますか。
関連記事:息苦しさを感じるこの世界の中で、テキトーに生きること。