いやあ、最近なんか無性に「チーズ」が食べたいんですよねえ。冬の王様的な存在であるモンドール。これが食べたくて仕方がない……。

(別のチーズを買っちゃいました。笑)
あ、すみません、話は逸れてしまいましたねえ。こういうところが悪いところですよね、私の。笑
あの〜、なんかね、最近こういう言葉を耳にしたんですよ。「みんなができているのにあいつはなんでできないんだ?」というセリフ。
まあ、私の場合は仕事上の話だけど、学校の部活でも、色々なところで耳にする言葉だと思うのよ。で、言われた側は「ああ、私はダメな人間なんだ」と思うわけ。
でもさ、んなことないよな?と思う。
むしろみんなができていることができないのっては当たり前のことだよね?
みんなが同じことを得意なわけじゃない
そもそもなんだけどさ、超重要な質問というか事実を確認したい。みんなに。
「人間だよな?」とw
いや、ここの前提が違ってくるとちょっと話は変わってきてしまうんだけどさ、みんなはまあ99%は人間だと思うのよ。
もしかしたら、明王星人とか火星人とかも、何かドラえもんの道具かなんかを使った結果、入ってきてしまっているかもしれない。けど!!基本は人間だよな?
だとするとだよ?
その人によって得意なことって全然違うわけよ。例えば、私はね、これ超自慢なんだけど、小学校の時にドッジボールがすごく得意だった。何なら運動神経が神様レベルだったから、「まりもくんはすごいね」と褒められて耳が引きちぎれるんじゃないかな?ってくらい褒められたw
でも、そんな私も「踊り」はめちゃくちゃ苦手だったよね。もう苦手どころじゃない。「無理」ってレベル。
うちの学校で「みんなでソーラン節を踊る」という時間があって、その練習をしていたのよ。当然、私に対してみんなは「まりもは運動神経最高だしできるっしょ」と思っていた。
けど、私は全然できなくて、踊りがへんてこりんな感じで、もうそこらへんのラジオ体操しているおじいちゃんの方が2億倍上手いくらい私のソーラン節はダメだったのよね。
どっこいしょ〜!!!どっこいしょ〜!!!(なぜそこで言った……)
だからね、つまりはだよ。人によって全然得意なことが違うということ。私はドッジボールが得意だったけど、ソーラン節は本当にしょうもなかった。
会社でも同じでさ、営業が得意な人もいれば、事務が得意な人もいる。会社に時間通りに出社することが得意な人もいれば、寝坊してしまう人もいる。
まあ、そりゃさ、会社側からしたら、「おいおい!そりゃ困るぜw」とはなるよw
毎回遅刻されたら、会社側はお金をドブに捨てていることになるからね。でも、やっぱり人によって得手不得手ってのはあるし、あって当然だよね、と思う。
「みんなができていること」が例えば、「同じ時間に出社する」だったとしよう。それができている人は偉いし、できていない人のこともわからないだろう。
でも、当然、「起きるのが苦手」とか「寝るのが苦手」な人はいるわけであってさ、まあそれって結構矯正できない部分じゃないかな?と思ったりもするのよね、根本的には。笑
だからね、会社側を代表して社長なり株主が指摘するんだったらまだ理解できるけど、1人の社員とか同僚が指摘するのはちょっと違うんじゃないかな?と思っちゃうなあ。
できる人はできない人の気持ちがわからない
みんなができていること。それは「できている」ものであってさ、そうなってくると「できない」ってのが理解できないわけですよ。
自分ができないのであれば、「ああ、自分もこういう理由でできなかったから、仕方がないよな」と思える。けど、できてしまっていることって相手の感情なり何なりを理解できないんですよね。
例えばよ?
日本で1番難しいと言われる「東京大学に入学できなかった人」がいたとするじゃんか。その人はさ、「入学できなかった」から入学できなかった人の気持ちがわかるわけですよ。
「おい、お前さ、なんで入学できなかったの?」なんて思わない。
人間ってのは元来性格が悪いのか、
- 自分ができたもの→お前もできるだろw
- 自分ができなかったもの→お前もできないよね
となるんですよね。できなかった経験とか、難しいなと感じた経験がない人にはそりゃわからないよ。
だからね、「みんなができているのにあなたはなぜできないの?」と言っちゃうのは当然のことでもあったりする。だって、できる人はできるからできないことが理解できないんだもんw
そう思うと、相手のこともまだ許せるようになると思うんですよね。「ああ、この人はできるからできない人の気持ちがわからないのは当然のことだな」という前提があれば、まあそこまで気持ち的につらくならないと思うのよ。
とは言え、「嫌だな」とは思っちゃうんだけどね。笑
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最終的には自営業になってくるかな
はじめに忠告するけど、「独立」をおすすめしているわけじゃない。でも、最終的には結局そうなってくるのかな?と思う自分がいる。
みんなができていることをさ、なぜ君はできないの?なんて言われる。けど、そんなことを言われても、できないものはできないわけですよ。
だって、不得意なんだもん。そんなのさ、魚人島に人間の私が言ってさ、魚人たちに「ふぇふぇふぇ〜?君はなんで海の中でもっと早く泳げないんでしゅか〜?」と言われるようなものだよ。笑
なんだこのたとえ。笑
だからね、やっぱりもし君が会社組織で悩んでいるのであれば、そういう人は会社組織に向かないって可能性もあるよ。私なんてさ、「サラリーマンとして生きていけるなら別にそれでも……」くらいに思っていたのにぜんっぜんダメで笑ったもんね。
ああ、俺って社会では生きていけないタイプなんだ、と悟ったよな。え?わからない?その感覚。
うん。だからね、みんなできていることができないという人は「みんなができないことができる可能性」ってのもめちゃくちゃあるわけですから、そっちに自分の人生をベットしてみるのもありじゃないでしょうか。
サラリーマンが合っている人もいるよね。でも書いたけど、サラリーマンが合っている人はサラリーマンをやれば良いと思うよ。
でも、そうじゃなくて、たまたま向いていなかった人はさ、「みんなができないことができる可能性」を考えて独立しちゃうってのもありだったりする。
私の場合は、もう今このブログだけじゃなくて、色々自営業でやっているのだけど、そっちの方が数万倍、自分の性格に合っていたからね。今は楽しくポップに生きております。笑
うーん。みんなはどう生きるのが正解でしょうね。それぞれ違うとは思うけどさ、目の前にある「みんなにとっての正解」が「自分にとっての正解」だとは限らなかったりもするよん。
哲学的な答えで締め括ってしまったけれど、うん。そんな感じ。
ではでは、まりもでした。
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