はーい。みんな生きてますかーーーーーー笑
はい。まりもです。どーも、こんにちは、おはようございます。現在7時でございます。
このブログを読んでいるということはですね、まあ生きている奴ということだと思うんですよ。どうにか日常を生きていて、どうにか酸素を消費している人たちですね?
→はい
→いいえ
うむ。
動物の人はいませんよね。うん。まあね、なんとか生きている人がこの世界にはたくさんいるんですよ。
そういう人たちの中には「俺に生きる価値なんてあるのかな?」なんて思っちゃうアンハッピーな人たちもいるわけです。
でもさ、そんな人たちもさ、生きている時点で価値があるし、「生きて良いんじゃね?」と思うわけです。
生きている奴は生きているがゆえに生きている価値があるぞ
結局ね、何が言いたいのか?というと、「君、めっちゃ生きる価値あるよ」ってことです。生きているってことはね、それだけめちゃくちゃ大変で、面倒で嫌なこととも遭遇する。
そんなものだよね。私だって借金があって、父は死んで、クソバッドデイ。でも、生きている奴はさ、生きているという時点で価値があるわけですよ。
よく、「生きているだけで迷惑をかける」と言うよね。そんなことを心配する人たちがいる。でも、君がこうやって苦しみながらも生きているという「事実」にはすごく価値がある。
この世界に絶望して、線路に飛び込もうとしているのは君だけじゃない。他にもいっぱいいる。1人、2人どころじゃない。
1000人、2000人といるはずです。
だからね、君が「死にたい」と思いながらも生きている弱い存在ならば、それはものすごく価値のあることだと思う。生きているという事実そのものに大きな価値があると思うのよ。
だって、同じように死にたいと思っている人がさ、もしも君のことを見たら「ああ、この人でも生きているんだな」と思えるわけじゃない?
この世界に絶望している人が自分しかいなくて、自分以外の人が全員死んでしまっていたら、何だか悲しくないですか。
だからね、幸せな人も不幸な人も生きる価値があるわけです。生きる価値なんてない、迷惑をかけるだけだと思っている人こそね、生きてみたら良いと思う。
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自分の苦しみなんてわかってもらえないよなあ
今、みんなが抱えている悩み、不安、孤独。そういうものってさ、意外と他人に伝わらないものよなあ。
友達はおろか、親や恋人にもそういう感情は伝わらない。「これめっちゃ美味いよ」と伝えたカレーライスの味はわかるのに、心の中の「あれやこれ」は教えられない。
君の心の中に「ああ、もう俺なんて生きる価値ない、死んだ方が良いよ」という感情があったとしよう。でもね、それに気がついてくれる人なんて1000人に1人くらいじゃないかな?と思う。
そういうものですよ。でもさ、それでもまあ生きるしかないわけよ。今、「俺って生きる価値のない人間だなあ」と思っていたとしても、それは「今」でしかない。
例えば、私なんて父親が死んでしまった直後は本当に役に立たない人間だったなあ、と思うよ。学費はかかる上に豊富な社会人経験があるわけでもない。
あ、うちには大きな借金があったんですよ。それを母と一緒に返済していたというか。まあ会社によっては私が1人で返済していたという感じで。笑
その頃の私なんて、ね、うん。でも、今は少しはできるようになってきて、うんうん。少しずつだけど、「自分が生きる価値」みたいなものを感じてくるわけですよ。
自分が感じるその時の苦しみは誰にも理解されない。孤独も不安も、悲しみも。もちろん、「自分なんて生きる価値がない」と思ってしまう君の紫色の感情も。
でも、1年、2年と経過していくうちに変わってくることもあって、そうやって心の変化を感じ取れるのは、私やみんなが生きているからであって。
だからね、生きてよね?と心から思うということです。生きて欲しいな、と東京から思うわけです。
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生きちゃいけない人なんて本当はいないのかもね
私が親を誰かに殺されたとしたら、こんな風に思えないのかもしれない。でも、私はそんなことをされたことのない第三者だから、私の思っていることを書いてみるね。
例えば、あなたがすごく悪い人でも、世間からしたら「消えて欲しい」と思う人だったとしても、何だかんだで生きる価値はあるのだと思う。だって、生きているから。
例えば、君が殺人をおかしてしまった犯罪者だったとしよう。世間からすれば、「死んで欲しい」という声が大きい。遺族からすれば、身を引き裂かれる思いだろうし、やっぱりつらいよね。
でも、そういう人間にも親がいたりする。いや、血縁関係なんてなくても、「同じような境遇の人」がいたりする。
そしたらね、その人はどれだけ世間から嫌われている嫌われ者だったとしても、生きているというその事実があるがゆえに生きる価値があるのですよ。
俺なんて生きる価値はない。そう思うのは勝手だよ。そう思いたいなら思っていれば良い。でもさ、どんなに悪い奴でも、お金のない奴でも、弱い奴でも、生きているというそれだけで生きている価値があるんだよ。
綺麗事を言っている?そんなことはわかっていて書いているよ。だって、綺麗事がなくなってしまったら、この世界は悲しい世界になっちゃうじゃんか。
父親が死んだ時、実は最初、過労死の原因になった相手の人を恨んでいました。でもね、もう許すよ。生きてよね。
この記事をどこの誰が読んでくれているのかわからないけど、君がどんな人間だろうと、生きて欲しい。
ではでは、まりもでした—✈︎
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