俺は有名になりたいんだ。俺はこの世界で1番になりたいんだ。
そんな風に生きている人たちがこの時代にはたくさんいるような気がする。SNSをはじめとして、ブログやYouTubeなんかで素人が一躍有名人になるという事態が起こるようになった。
そんな時代を生きていると、やっぱり私たちは思うのでしょうね。「私も早く有名にならないといけない」と。
私がブログを始めた2016年頃。あの頃はブログで有名になろう、と思っている人が現れた時期だったように思う。そこから2019年。誰もがYouTuberになる時代。
2021年。今度はclubhouseときた。

今回はそんな時代の渦中で生き、ブログを書き続けてきた私が「何者かになりたい欲」について書いてみる。
何者かにならないといけないという焦り
私がブログを始めた2016年。その頃、私の中で「何者かになりたい」という欲望は特にありませんでした。
「私は欲のない人間です」なんて薄っぺらいことを伝えたいわけじゃない。
本当にそこまで何も考えていなかった。父親が死んで、借金の返済が大変で、その中で「同じように苦しんでいる人に生きて欲しい」と考えてブログを運営していました。
別に清くなんかもない。普通に女の子大好きだし、普通にお金も好きですし、普通に旅行も好きです。笑
でも、2019年くらいからは少しだけ「焦り」みたいなものがあったような気がする。それは周りの空気感かもしれない。
徐々にブログを運営する人も増えてきて、「新卒フリーランス」なんて言葉も生まれた。今考えると、「何それ?」と思うけど、テクノロジーの発展が生み出したものでしょうね。ええ。
周りが「有名になってやる!」という状況だと、私もどこかで焦りを感じていました。当時はアフィ(広告代理店)で売上がかなりあったので、担当者もついていました。
その担当者に「これからのビジョン」みたいな話をしたような気がします。笑
その頃は割とブログでの閲覧数もあって、かなりの人が読んでくれていました。1日に1万人くらいですね。でも、それでもなんか「このまま上がっていけるのかな?」みたいなフワッとした不安がありました。
少し有名になっても、「もっともっと」と上を目指してしまう。世間からすれば、「60万PVもあるブロガー」と言えば、かなり成功した部類だと思う。
けど、当の本人からするとそんなことよりも、「さらなる成長」の方に重きを置いていたのです。
何者かになりたいという感情は「なった後」も続くものです。成し遂げるものではなく、継続させるものだから。
「昔はそんな人もいたよね」と思い出されればまだ良い方です。全く記憶に残らない人もたくさんいるわけですから、難しいですよね……。
何者かにならないといけないという焦り、そして何者かになった後でもずっと頑張り続けなければ忘れられてしまうという悲しさなんかもあるよね。
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何者かになりたいを目指すのは違うと思う
私、今になって思うんですよね。「何者かになりたいって違くない?」と。何者かになりたい、と思ってYouTubeやったり、TikTokをやったり。良いと思うんですね。
ただ、それは「作り出したものの先」にあるのであって、制作物、著作物なしに「ただ有名になる」ってのはちょっと違うんじゃないかな、と。
それが嫌じゃないのであれば、別に良いと思うんです。好きでやっていることであれば。けど、ただただ何者かになりたいのであれば、それはちょっと不幸になってしまう可能性もあるな、と思う。
私の場合、まあ何にでも興味があって、結構何でも挑戦しちゃうタイプなんですよ。そういうタイプの人だったら、「何かで有名になったら楽だよね?」という考え方が通用する。
けど、多くの人にとっては「何者かになって、チヤホヤされたい」がゴールだと思うのよ。
「フォロワーが100万人いる」とか「チャンネル登録者数が10万人いる」とか。でも、そこをゴールにしちゃうと、「あれ?俺の人生ってなんだったっけ?」ということにもなりかねない。
何者かになりたい!と強く思うのは、まだ何者にもなっていないからだと思う。少しでも大きなブログを運営することができたり、チャンネル登録者数の多いYouTuberになったりとかさ。
そういうことがないからまだ欲望が残っていたりする。でも、実際にはフォロワーだったり、チャンネル登録者だけを目指しても、虚しくなるだけのような気がしてなりません。
体操選手になって、結果的に有名になる。経営者になって、結果的に有名になる。それだったら良いと思う。けど、単純に「何者かになりたい」と思って、知名度を獲得する今の時代の流れは違うような気がしてしまうよ。
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楽しく生きればそれで良いのよ
なんかね、何者かにならなければいけないという欲望に支配されてしまっているような気がするのよ。
SNSで「めっちゃ良いっしょ!」と自分の生活を曝け出す。で、人気が出れば嬉しい。それはそれで良いと思うよ。
けど、全員が「そこ」を目指す必要なんてないんじゃないかな?と私は思う。私なんてずっと幸せですもん。ブログをやっている今だけが幸せなわけじゃない。
中高男子校時代に歌舞伎町にある「博多天神の500円とんこつラーメン」を食べていました。替え玉なんかもしちゃってさ、店内は汚くてね…..蛾が飛んできて私のラーメンスープにタッチしてしまったり。
でも、そんな毎日でも最高に楽しかったわけですよ。何者でもないけれど、それでもなんか全てが楽しかった。
大学生の時も父親が死んでしまったけれど、それでも頑張っている感じがしてすごく楽しかった。
だからね、「何者かになりたい」という感情はわかるけれど、全員が何者かになる必要なんてなくて、今の人生が楽しければそれでもうオールオッケーソーハッピーってことよ。
わかるかいいいい?笑
楽しくて嬉しくて、「うおおおおおお!」となる日常があったら、それだけで本当は幸せです。そこに気がつかずに、「何者かにならなきゃ」と焦るのはちょっとだけ寂しい。
何でも良いのよ。自分の人生だからさ、もっと楽しもうぜ!もっと自分の人生を肯定しようぜ!って。
ではでは、まりもでした。
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