100年後の未来はどうなっているのだろうか。そんなことを電車に乗りながら思っていました。私はよく浜松町駅からモノレールに乗って羽田空港第2ターミナルに向かう。
ぼーっと1人で外を眺めていたわけですよ。「ああ、ここにも人が住んでいるんだな」なんて思ったりする。
なんか良い景色なんだよ。でさ、空港行きのモノレールに乗ったことがある人ならわかると思うんだけど、「窓向きの席」に座るとさ、すごく太陽の光が眩しいのよね。

でね、思ったのよ。「あれ?もしかして100年後の未来でもこうやって太陽の光を誰かが浴びているのかな?」なんて。
そんな100年後の未来のことを想像して、私は静かに眠りにつく。そんな感じ。
100年後の未来はどうなっているのだろうか
私たちは普通に生きている。500万年くらい前に初めての人間がアフリカあたりで誕生した。そう考えると、私たち人間が考える「100年後」なんて本当に一瞬です。
面白いくらいに一瞬です。
でもさ、やっぱり私からすると、やっぱり100年後の未来ってのは遠くて、遠い将来で、未来で。
うん。
みんなは100年後にはどうなっていると思いますか。今の私たちは多くの人が普通に働いて、普通にサラリーマンをしていたりする。
労働力率で言えば60%のくらいの人は働いているわけです。けど、未来だったらどうだろう。100年後に働いている人は1%くらいになっていたりして?
ベーシックインカムの仕組みなんかが導入されている2200年、とか2300年。そうなっていたら、もう働いている人がいないかもしれない。
今の移動手段だって変わるかもしれないよ。今私が乗っている電車だって将来も存在するのかわからない。
江戸時代から明治にかけては馬車が普通に使われていたわけじゃないですか。それが鉄道の普及なんかで廃れていってしまった。じゃあ100年後は……?
そう。例えば「エアタクシー」みたいなものがあるかもしれないよね。空飛ぶタクシーのような。笑
空を飛ぶタクシーを普通に誰でも使うことができるような時代になっているかもしれない。そしたら東京から成田空港まで20分弱で到着しますからね。
実は私、「エアタクシー」というドメインを持っていたりするんですけど……。(ボソボソ)
100年後の未来のことを考えると不思議な気持ちになってくる。私は今という時代しか知らなくて、きっと100年後の未来に私はいないでしょう。
でも、そうだったとしても、なぜだか嬉しい気持ちになったりもする。新しい時代をぼーっと想像しながら、不思議と晴れやかな気持ちになったりもするのです。
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何をして何を見て何を感じる?
100年後の未来を想像してみたらさ、まあ今の形の生活様式とは変わっている部分もきっとたくさんあって、着ている服だったり、色々と変わっているのだろうな、とは思うよ。
でも、実は人間の本質的な部分ではほとんど変わらないのかな?とも思ったりする。誰かを好きになった時に「あの子は俺のこと、好きになってくれるかな」と不安になったり。
お酒を飲んだ帰り道に「良い友達持ったな〜」と思ったり。親が死んでしまってものすごく悲しく、寂しくなったり。
そういう人間的な部分ではほとんど私たちって変わらないんじゃないかな?とも思ったりする。
だって、500万年前も、10年前も、きっと太陽は東から西へ動いていて、空は綺麗で、誰かのことを愛しているだろうから。
そんでもって、歌舞伎町の雑多なラーメン屋さんで1人、ラーメンを食べる喜びなんかもきっと変わらないと思うからさ。
私たちは自らの行動を「新しく斬新なものである」と思って生きている。でも、それはほとんどの場合違う。
どこかの誰か、どこかのホモサピエンスかなんかが「よいしょ、よいしょ」とやっていたことだと思う。
まあそんな世界ですよ、人間界なんて。笑
100年後のことを想像しながらね、遠い未来のことを想像しながらね、私は私なりに感じられること、見れることをね、増やしていっているような感じです。
きっと100年後の景色を見ることなんてできないんだろうなあ。見えないくらい遠い星から今の世界を眺めていたり?どうかね。
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呼吸を感じて、私は精一杯生きる
100年後の未来にはきっと私は生きていない。それは悲しいことではある。でも、それは美しいことでもある。私は別に「死」を肯定しているわけじゃない。
できれば、この面倒で美しくて、鮮やかな世界に100年でも、200年でも居座っていたい。そうだよね?
でも、呼吸を感じることができる時間が限られているからこそ、私やみんなは精一杯生きることができる。「よし、今日は何をしよう?」が生まれるわけよ。
ずっとこの人生が続くならば、なんとなく寂しさを感じた高校の卒業式も、隅田川の花火大会で別れて悲しかったあの頃も、きっと何の感情もない「1ページ」になっていた。
そうやって私の頭の中に鮮やかな思い出が残っているのは、100年後の世界が存在しているからです。私はいないけれど、未来が存在するから、私の、まりもの「今の人生」は楽しい。
モノレールに乗りながら、太陽の光を浴びて、「ああ、生きているんだな」とか「100年後の世界はどうなっているのだろうか?」と思いながら、こんな記事を書いています。
うん。でも、でもね、今日も穏やかに眠るよ。静かに、そっと眠りにつくよ。
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