人生に悩む君へ

残された側のどこかのあなたが強く生きられますように。

何度も何度も私はこの手の記事を書いています。でもね、何度でも私は自分の体験を書いていこう、と思っています。

だって、父親が突然死んでしまったあの日のこと、きっと誰かの役に立つと思うから。経営者だった父親を慕ってくれていた社員が父親の椅子の前でぼーっと立っていた。

何してんですか?」と聞くと、「社長の匂いを……」と言っていた。本当にありがたい話です。素敵な人たちに囲まれて逝ってしまったのだ、と思うと悲しくも嬉しくなる。

そんなあの頃の日々があったから、今の私がいて、今の会社があって、今の人生がある。

 

錆び付いたナイフで皮膚をえぐられたような、そんな深い傷を負った。「お父さんが死んだの」と言われて飛び乗った従兄弟が運転する車の中は妙に非現実的で気持ち悪かった覚えがある。

でもね、あの頃があるから、あんなクソみたいな日々があったからこそ、今の私がいるよ。

残された側のどこかのあなた。君だけじゃないよ。あなただけじゃないよ。同じ世界で同じように苦しんで、同じように馬鹿みたいに理不尽な世界を生きている馬鹿がここにもいる。

だから、生きろよ。

 

大切な人の死ってものは誰でも受け入れられないもの

 

死の授業」ってものを学校はもっとちゃんとやって欲しいよなあ。こんなに早くに父親が死んでしまうことになるなんてことも、こんなに急に死んでしまうなんてことも私は知らなかった。

普通に大学生をして、普通の生活を送っていた私だったから、理解できなかったよね。

父親が突然亡くなったという人に伝えたい事で詳しくあらすじは書いているので過去の記事を読んだことがない人はそっとも読んでみてください。

まあめ、大切な人の死というものを受け入れられる人は少ない。今日、母親と道を歩いていて、こんな話をした。

私「あれ?ここの動物病院って移転した?

母「そうなのよ。ほら、前お父さんが亡くなった時におばあちゃんが徘徊して保護してくれた動物病院だよね?

 

と。

そうか、と。私は今日までそんな事実を忘れていた。「父親が死んだ」という事実を知ってから私や母親、父親のお兄さん家族の全員で父親が死んでしまった「茨城県」まで車で向かった。

 

でも、その日おばあちゃんは80代の高齢(今も生きているけどね笑)だったこともあって、同居している父親のお兄さんの家に置いてきたのよ。

そしたらね、おばあちゃんはいても立ってもいられなくなってしまったみたいで、22時とか23時くらいに動物病院の前をトボトボと徘徊していたらしい。

父親が死んでしまったという事実を受け入れられなくて、家にいることもつらかったみたいで、呆然としながら歩いていたところを動物病院の人に保護されたみたいだった。

 

残された側ってのはさ、話で聞いていたよりもずっとつらくて、ずっと受け入れられないものなんだよね。

この記事を読んでいる人の中にはね、「俺はいつになったら、大切な人の死を受け入れられるのだろうか」なんて思っている人もいるだろうけど、簡単には受け入れられないし、1年とか2年で受け入れられるものでもないんですよ。

だからね、早まって、「俺も死んでしまった方が」みたいになるのはやめて欲しい。

関連記事:「そんな人もいたなあ」という夢を見せてあげたいな、と父親を見て思ったんだ。

 

冷たい世界に見えるあなたの瞳はいつか変わる

 

大切な人を失ってしまった日から、きっとあなたの瞳は変わってしまう。これまで感じていたこの世界のオレンジ色の優しい光が入ってこなくなる。

……?こんなにこの世界って冷たかったっけ?こんなに無意味なものだっけ……?」くらいに思うようになる。

私だって同じだった。新宿、銀座、池袋、目黒。そういう人がいるところであれば、何か安心する。でも、少しでも人がいないところに行くと、自然と涙が出てきた。

 

俺、何してんだろ……」って思った。だってそうじゃないですか。大切な人がこの世界から消えてしまって、もう2度と会えない。

そんなつらい事実、これまで経験して来なかった。「ずっと一緒にいられる」とは思っていなかったけれど、こんなにも「死ぬ」ということがつらくて、苦しくて、寂しいとは思っていなかった。

でもね、今は冷たい世界に見えるかもしれないけど、そんな時間もいつか忘れるよ。冷たい世界を映す瞳もいつかは変わる。

だからね、安心して欲しいな、って。私は私でやっぱり苦しんでいる。もうあれから7年とか8年とか経過する。なのにまだ苦しい。

けど、あの頃とは少し違うんですよね。見える世界はもう冷たい世界ではない。

 

心の中にずっと「寂しいな」という気持ちはあるけれど、だからといっていつも楽しくないわけじゃないよ。何なら生きていて楽しいよ。

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強く生きていけ

 

私が「もう弱く生きてこ?」と大切な人を失った人に言うのって実は簡単なことだと思うのよね。

でも、私はあの当時、強く強く生きていきたかった。だからね、今は「強く生きていこうぜ」というメッセージをどこかのあなたに伝えたいな、と思って。

 

残された側の人の気持ちってきっと外部の人にはわからないものです。あの独特な喪失感というか、虚しさというか……。

大学1年生の時、父親が死んで、もうそれはそれはわけのわからないまま生きていたような気がする。でも、私は今もちゃんと生きていて、ちゃんと笑っていて、ちゃんと馬鹿なことしてる。笑

だからね、強く生きて行って欲しいな、と思うよ。

大丈夫。きっと今は私が何を言っているのかもわからないと思う。「なんだこいつw」くらいに思うはず。

でも、うーん、1年、2年くらい経過したらわかる時もあるんじゃないかなあ、って。

 

ここにも同じ人がね、同じ境遇の「まりも」がいるので、まあ一緒に生きていきましょう。

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まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。