恋愛と私

「それは愛なんだよね」と言われたら、きっとそれ以上の説明はないのだと。

人の恋愛にこう……人間って色々なことを言いたくなるものじゃないですか。

あの人はなんであの人と付き合っているんだろうか?」とか「もっと良い人がいるのに」みたいな。

まあみんな他人のことが気になって仕方がないものですから。世の中から週刊文春が消えないのは興味がある人が一定数いるからであってですね。笑

うんうん。でもさ、どんな人と付き合っていたとしても、「それは愛なんだよね」と言われたら、それ以上は何も言えないような気がしたんです。

 

人と人って面白いよなあ。

 

自分にとって「利がある人」と結婚する必要はないんだ

 

たぶんだよ。科学者が聞いたら、統計学者が聞いたら鼻で笑う。「メンタルがやられている人と結婚したらあなたの年収が下がります。そういう統計がある。だから結婚しない方が良い」と言うでしょうね。

でもさ、自分にとって利がある人と結婚する必要なんて実はないんじゃないかなあ、なんてちょっと非現実的な少年的な意見を持っているんです。

最近の婚活はすごい。「年収、身長、趣味」と、色々な情報がわかってしまう。その情報をもとにスクリーニングして、相手を選んだりする。

自分が望むような相手を、条件が揃っている人を探すわけですよ。効率的にはなっていますよね。

 

おいおい、こいつの収入はいくらくらいなんだ?」と勘ぐる必要はなくなりますから。でも、なんだかちょっと虚しさもあるような気がする。

自分にとっての利がある人と結婚すれば、環境が良くなり、収入が上がり、色々と状況が良くなるわけですよ。

 

例えば、精神的に病んでいる人と結婚するというのは、統計的には良いことではない。冷静に考えればわかることです。

でも、もしも病んでいる人と結婚した人が「それは愛なんだよね」と言ったらどうだろうか。そう考えると、そこには理屈では説明できない「何か」があるような気がした。

 

人間だって、オスとメスです。だから、身体能力が高かったり、財力があったり。そういう人を選ぶわけですよ。でもさ、もしも……もしもよ。

それは愛なんだよね」と説明されたら、それはもう誰にも否定することができないんじゃないのかなあ、なんて思ったりした。

例えば、精神も肉体も一緒に滅んでいってしまったとしても、その人の中に「納得感」があるのであれば、他人が否定できることでもないのかな?と思ったのよ。

自分にとって「」がある人と結婚した方が良いような気はしてしまう。論理的に考えればそうですよね?

でも、理屈じゃ説明できないこともあるわけですよ。

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好きな人とその相手の関係なんてきっと誰にも理解できないんだ

 

本当にさ、世の中には不思議なカップルがいるもんだなあ、と思うよね。すごく怒りっぽい旦那さんと結婚している人もいれば、

鬱になってしまった奥さんと結婚している人もいる。はたまた暴力的な旦那さんと結婚している人もいれば、浮気ばかりする奥さんと結婚している人もいる。

周りの人、私たち外野からすると、「なんでこの2人は一緒にいるのだろうか」なんて思ったりする。

でも、それはきっと2人にしか理解しあえないことであって、外野の私たちには到底理解できないものなんじゃないかな、って。

 

ものすごく周りが反対するような結婚であったとしても、その結婚が「不正解」である必然性はない。すごく素敵な2人になるかもしれない。生涯に渡って愛しあえるパートナーになるかもしれない。

 

私たちから見える「マイナス」が本人からは「プラス」に見えることだってある。

例えば、私は面倒くさがりで部屋なんて超汚い。まあ普通に最悪な人間ですよ。笑

でも、そんな私でも、「なんか良いかも」と思ってくれる人がいる可能性だってあるじゃないですか。ね?

知らないけどさ。笑

まあね、2人のことなんてのは、きっとね、誰にも理解できないのですよ。そもそもさ、今の時代、この平成、令和の時代においては「収入」みたいもので相手との相性を考えたりする。

でも、平安時代の恋愛だったら、そもそも「和歌の良さ」で相手のことを好きになったりする。「あら、この人は和歌がお上手ね」と。

 

起きもせず 寝もせで夜を あかしては 春の物とて ながめくらしつ

by 在原業平

平安時代のモテ男、在原業平の和歌です。

起きるというわけでも、眠るということでもなく夜を明かしては、しとしとと降る春の雨をぼんやりと眺めて過ごしているよ

 

という意味ですね。ああ、なんて良い和歌なの。うん。笑

まあ、私が古文好きなだけなのかもしれませんが。

だからね、今の令和という時代に「和歌ができる人が素敵だわ」が理解されないのと同じで、周りからみたら「なんだその理由?」「なんだその相手?」と思うような相手と結婚しても、

結局その人自身が「それは愛なんだよね」と言ってしまえば、それまでなんですよ。

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私たちはあまりに論理的になりすぎてしまった

 

私たち人間は頭が良い。そりゃ人間の中で考えると、「頭の良い人」と「悪い人」がいる。でも、まあ他の動物と比べたら頭が良い。

ロジカルシンキングっつーものができちゃうのよ。なんてこったい……。

そう。私たちはさ、天才で、ジーニアスで、頭がよき。だからね、そうなってくると逆に論理的になり過ぎてしまって、何でもかんでも論理的に説明するようになってしまうのよ。

 

その人はダメなんじゃない?」なんて他人なのに言うじゃないですか。それは「ある指標」をもって判断しているから。それは、収入であったりとか、犯罪歴、身長。色々あるけどさ。

まあ、そういう目に見えるもの具体的なものから判断しているじゃないですか。でもね、「それは愛なんだよね」と言われてしまったら、もうそれ以上の説明はないわけです。

 

だからね、他人がどうこう言うことでもないし、何か言ってくる人がいれば、無視すれば良いと思うよ。

私たちは論理的に考えることができる。だから、何でも頭良く判断する。でも、「おバカそうな判断」にこそ人間として生まれてきたことの旨味があるんじゃないのん?

私はちょっとね、そう思うよ。

論理的であることだけが良いわけじゃない。他人は言うでしょう。「なんでその人と付き合うの?なんでその人と結婚したの?私の方がいいじゃんwなんであいつなの?あの人は嫁選び間違えたねwあの人は馬鹿だね。あなたは何もわかっていない」と。

でも、こう言えば良い。

 

 

それは愛なんだよね、と。

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まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。