人生に悩む君へ

効率的に生きようなんてのはてんで人間的ではないよな。

最近は「効率的に生きる」みたいなことがよく話題になっている。

私も考えたことがちゃんとある。お金とか友達とか、仕事とか何でも効率的にやっていこうと思って生きてきたようなところがある。

特に父親が大学生の時に死んでからはよりその思いが強くなった。でもさ、思ったのよ。「効率的に生きるって何よ?」と。人間は馬鹿にされたもんです。

効率的に生きれば幸せだよね?」と多くの人に思われ、思っているわけですから。本当はさ、「効率的に生きよう」なんてのはてんで人間的な発想ではない。

 

効率化が叫ばれる今、あえて言うね。「効率的に生きよう」なんておかしい、と。

 

人間の感情と効率的な生き方

 

効率的に生きよう」と言われて、何もかもを最適化する。まさにそれはロボットのようです。そんな風にできたらすごいよね。

そういう風に生きられる人のことを私は尊敬してしまう。でも、効率的に生きよう、なんてのはてんで人間的ではないような気がするわけですよ。

人間の感情ってのはまったくもって「効率的」ではない。

 

効率的だったら、わざわざ遠距離恋愛なんてしないし、効率的だったら、人助けなんてしない。恋愛感情なんていらないし、優しさだって非効率的だと思う。

最近は、効率的な生き方に注目している人がいて、何なら世の中の有名人たちが「俺はこうやって生きているぜ!ガハハ!!!」と主張するものだから、

その他大勢の超普通の人たちが「しゅ、しゅごい!これだああああ!こうやって効率的に生きれば私も○○さんみたいにキラキラできるんだあああ!」なんて思っちゃう。

でもさ、まあそれでキラキラしたとしてもさ、それは全然人間的な生き方ではないような気がするんですよね。

例えば、私は朝早く起きるのが嫌いなので「朝活」ってのが嫌いな言葉1位かもしれません。笑

ここ大事なんですけど、「苦手」ではないんですけど「嫌い」ではあるんですよね。

苦手ではなくても、嫌いなこと、それをやっていくのも効率化の1つの過程だと思うわけですよ。でも、私は人間であって、やっぱり嫌いなことはやりたくないんですね。笑

お子ちゃまメンタルですから。「いやじゃいやじゃっ!」と逃げたくなっちゃうのよ。

だからね、苦手ではないけれど、結局嫌いなものだから、効率的な生き方かもしれない、とは思うもののやらない。

 

だって、疲れちゃうもん。外野からすれば、効率的な生き方というものは「良いもの」に映ると思う。私もテレビで普通に「す、すっげええええ」と思う。でも、嫌だ。笑

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感情的に落ちて、感情的に上がる

 

効率的に生きる。それは大切なことかもしれない。仕事をする上ではすごく大事なことです。でも、効率的に生きても、人間的な幸福度って上がるのかしら?と思ってしまう。

感情的なものは私も正直に言えば嫌いです。人間にとって1番面倒なものが「感情」じゃないですか。みんなもちょっとくらい生きてみたら、「感情の面倒さ」には気が付くでしょう?

でも、感情的に落ちて、感情的に上がるのが私たちなんですよね。

 

効率的に生きる……そうだな、例えば失敗しそうな恋愛は全てすっ飛ばして、「本当に結婚できそうな人とだけ恋愛をする」という選択肢を選んだとしましょう。

まあ、だいたいの人が結婚を目標としているという前提条件が必要ですけど、みんなそうだったとしてさ……本来であれば効率的な生きているし、めちゃくちゃ良いじゃないですか。

でも、どうだろう。効率的に自分の恋愛を処理しようとしても、実際に上手にいかなくないですか。

 

効率だけを考えれば、「最後に結婚できる人と付き合う」が正解なのだけど、でも、それが正解になる前に色々な人と失敗して、裏切られて、悲しい恋愛もあったりして……。

 

それでやっと上手に誰かと一緒にいられるような気がする。そんでもって、幸福度もその方が高いわけですよ。

 

失恋なんかをした時には「もう2度と恋愛なんてしたくない」くらいに思うよね。まあどっかの歌手もきっとそんな歌詞の1つくらい書いているでしょうよ。

でも、やっぱり誰かのことを好きになって、「楽しいな」と思ったり「一緒にいられて良かったな」と思ったりする。それはあらゆる変遷があったからこそであって

効率的に生きようとしても、省略できないステージということです。ほら、マリオみたいなゲームだって、だんだんと強くなっていくから、強い敵を倒せるわけでしょう?

そこを全て省略して、ラスボスに挑んでも勝てないのよね。

感情なんてものは本当に排除して欲しい。そんなものです。誰かを好きになる時も、仕事をする時も「感情という化け物」のせいで、あいつのせいで面倒なことになる。

でもね、それが人間出逢って、人間は感情の生物だから、そこからは逃れられないわけですよ。

なら仕方ないよね。効率的に生きよう、なんてしたところで効率的には生きられないということです。

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人間らしく生きちゃおうよ

 

人間らしく生きちゃえば良いじゃんか、と私は思っちゃう。結局、どんなにテクノロジーが発達しても、やっぱり人間は人間なんですよ。

痛みを感じない薬」とか「悲しくならない薬」なんてものがあっても、やっぱり私たちは人間で、体温があって、身体を持っていて、悲しくなったり、嬉しくなったり、寂しくなったりする1人の人間だと思う。

だからね、そんな私たちに「効率的に生きる」なんてことを強制されても、それはちょっと違うよな、と思う。

まあ、過去にはね、悩まなくて良いことにいつまでも脳を使うなんて非効率すぎる。なんて記事も出している私ですから「お前何言ってんだよw」と言われちゃうかもしれない。

 

でもさ、まあそれも含めての人間ですから。

うん。

効率的に生きよう、という流れを最近は感じる。特に2019年後半くらいにはもうブロガーたちがこぞって「効率化だ!」と啓蒙してきた。

でも、効率的に生きよう、なんてのはてんで人間ではない。そう、思いませんかね?みなさん。

効率的に生きればみんな幸せだよね?幸福度が上がるよね?笑顔が増えるよね?

そりゃ幸福の押しつけってものですよ。え?人間だよね?みんな。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。