人生に悩む君へ

命には終わりがあるけど、それは残酷なことではなく。

命には終わりがある。そんなことを私は毎夜、知らされる。心臓の音を聞いていると思う。「いつかこの音が止まってしまうのか」と。

日中は何も思わない。別に何とも思わないわけですよ。自分の心臓の音が聞こえるわけでもないし、まさか自分の身体が凍ったように冷たくなるなんて思いもしないじゃない?

 

でも、夜になると、「ああ、いつか終わっちゃうんだ」と思う。静かな夜は素敵な夜だけれど、静かであればあるほど、自分がただの人間で、心臓が動いているからこそ生きている「ニンゲン」というただの動物に過ぎないことを思い知らされる。

 

そう考えると残酷だよね。けど、命には終わりがあるけど、けどね……それは残酷なことではないのです。

みんなが見ないふりをする「命」という存在

 

普通に友達と会った時には「俺たちっていつか死ぬけど、どう思う?」なんて話はしない。飲み会だったら、下ネタを話したりとか、恋愛の話をしたり、何でもない話をしたり。

そんなどうでも良い話はするけれど、命の話はしないものですよね。みんなが見ているのに、見えていないふり、見ていないフリをするわけですよ。

 

いつか死ぬ」という事実を向き合うことは苦しい。だって、何もかもがゼロになってしまうような気がするもんね。

この世界で「宗教」と呼ばれるものが広がっていったのも、やはり「死の受け入れ」を自分でできない人が多いからでしょう。

 

誰もが怖がる「」という存在。ブログでも、雑誌でも、自分がいつか死んでしまう日のことなんて考えたくもなければ、向き合いたくもない。

だから、ネット上にそういう類の記事があっても、避けてしまう人は案外多いのではないだろうか。

 

命というものを考えなければ、この世界は美しいような気がする。友達と楽しく過ごすことができて、可愛い子と一緒にいることができて、好きなゲームができて。

 

最高ですよね。かつての人類が作り出した造形物や絵画なんかもこの世界にいる限り、楽しむことができる。

ニューヨークに行けば、ゴッホの作品だってみることができる。これは私が撮影したものです。最高ですよね。

でも、同時にこうも思う。「ああ、この人も死んでしまったのか」と。調べてみると1890年に死んでいた。

みんな自分たちの命には終わりがあるということから目を逸らす。なるべく見ないようにする。それはつらく、悲しいものだと思っているからだと思う。

 

たしかに近くにいる人たちからすれば、悲しい出来事だよね。でも、本当にそうなのかなあ。

関連記事:いつか死ぬから「人生という名の祭り」で踊り狂う。

 

終わりがあるから私たちは今に一生懸命なんだ

 

終わりがなかったら、誰かを一生懸命好きになることも、誰かと楽しく笑うこともないんじゃないかな、と思う。

新宿の古びた居酒屋とか、超汚いカフェで友達と一緒に喋っているのは、「楽しいから」でもあるけれど、それは同時に「いつか死んでしまうから」でもあるんじゃないかな。

 

この先100年、1000年、1万年と生きるのであれば、みんなは誰かと会いたいなんて思うだろうか。別に明日でも、明後日でもなくて、1年後、2年後、100万年後でも良いのではないだろうか。

そう思っちゃうよね。私たちが「会いたいな」とか「馬鹿なことしたいな」とか「頑張りたいな」と思うのは、命に終わりがあるからです。

私たちの心臓もいつか止まってしまって、どこかで息が吸えなくなってしまうから。

楽しさがあるのは、終わりを知っているから。それは、誰かに教わらなくても本能的にわかっていることなのだと思う。

小学校、中学校、高校、大学まで行っているのに、なぜだか「死の授業」は受けたことがない。でも、知っている。誰とも話さないことなのに知っている。不思議だね。

でも、死があるから、誰かに優しくなれるし、誰かに会いたいと思う。誰かを一生懸命好きでいようと思うのよ。

そうじゃなかったら、誰かを大切にすることも、誰かに「今日」会おうとも思わない。命には終わりがあるけどさ、それは残酷なことではなくて、むしろ美しいことでもあるんじゃないかな、って。

 

死んでしまったら、この世界から離れなければいけない。私なんて父親とも離れることになったから、そのつらさはわかる。

でもさ、そういう終わりがこの世界の暖かさを作っているような気もするよ。

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死を肯定しているわけではない

 

例えば、アメリカのニューオリンズなんかでは、葬式が「ジャズの音楽」に合わせて明るく執り行われていたりする。

これはなぜか?というと、この場所の歴史にあった。当時、ニューオリンズには多くの黒人奴隷がいました。

黒人奴隷たちは過酷な環境で生きており、むしろ「」は「奴隷労働」から解放される「機会」でもあった。

だから、日本と世界の国々、地域では考え方が違うのもわかる。ただ、私はね、別に死を肯定しているわけではないのよ。

 

ここだけは最初に言っておいた方が良いかな、と思ったんですよ。命には終わりがある。私はそれを残酷なことだとは思っていません。

そうは思っている。ただ、この記事を読んだ人たちが「じゃあ死んじゃおうかな」と思うのはどうかやめて欲しい。それは私の考え方とは全く違う行動だからです。

一生懸命生きて欲しいよ。でも、その上で過度に「死ぬのはおそろしいことで、最悪な出来事だ」と思うのは違うような気がする。

この世界に、この人間界に人間同士の温もりや、温度があるのは、他でもなく「凍りつくほどおそろしいと思われていた死」という存在のおかげだと思う。

 

だからね、いつか死んでしまう日まで、一生懸命生きよう。いつか、どうせ最後はやってくるのだから、それまでマヌケに、愚かにこの世界で笑っていようぜ。

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まりも
まりもだよ(o'ー'o)「ぼくのとらべる。」というYouTube旅チャンネルやったりブログ書いたり。のんびりびりびり。チョコとヨーグルトが好きです。