普通に生きている。それだけで本当は幸せなはずなのに、私たちは何か違うものを求めてしまって、貪欲にも他の何かを求めてしまって……。
大事なものを置いてきてしまっているような気がする。本当はさ、どうなん?普通に生きているだけで幸せじゃないの?
夢があるのは素敵だと思うし、私は夢を叶えたいな、とずっと思っているし、ずっと頑張っている人間だと思うよ。
でも、普通に生きることにも大きな価値があるんだよ、って。朝起きた時に見える太陽の眩しさとか、走っている時に踏みそうになるカエルとか。笑
草の匂いとか。本当はこの世界の何でもないこと、全てに価値があって、今生きていること全てが幸せで、最高で、オールオッケーソーハッピーじゃないのん?という。
普通に生きる幸せがあっての刺激的な毎日
みんなさ、起業家になるとか、世界を変えるとか、美人と結婚するとか、そんな特別なことばかりに気を取られていないかな?と思うんですよ。
何かこう、みんなが定義する「幸せ」って超刺激が強いものだけじゃないですか?何か大きな夢を叶えたりとか、有名になったり。そういうことだけが幸せであるような気がしていないかな、と。
「俺は起業家になることが夢なんだ!世界を変えるんだ!」と鼻息を荒くして語るのは素敵だよ。でも、「そうじゃなきゃ不幸せだ」と言わんばかりの人も実は多くいる。
本当はすぐそこに普通に幸せがあってさ、何だろう。健康な身体があって、普通に生きることができて、普通に旅行ができて……。そういうふっつーで一見、つまらなさそうに見える幸せだって幸せだよ、とね。
私の父親は突然死してしまった。だから、毎朝起きた時に思うんだよね。「あ、今日も生きていた」って。
もしかしたらものすごい悪い病気にかかっているかもしれない。もしかしたら今日死ぬかもしれない。もしかしたら大怪我をするかもしれない。
でも、今この朝、起きることができて鳥の声を聞いたり、朝から騒がしい工事の音を聞いたり。それら全てが何か幸せだなあ、って感じるんですよね。
普通がつまらない。普通は面白くない。そう思う気持ちがわからなくはない。ただ、それでもやっぱり私たちの人生の8割くらいは普通の食事、普通の時間なわけで、
そういう何でもない幸せを感じてみても良いんじゃないうかな?と思うよ。
無駄な時間を過ごす最高の時間、僕は生きていると感じる
私は何でもない無駄な時間がすごく好きです。赤いギターを持ちながら、青い夜に眠る。という記事でも書いたけど、普通にギターを弾いたりしながらちょっと鼻歌を歌ったり、
後は何だろうな。「夜更かししちゃだめだよなあ」と思いながらも、布団に入ってからずっとスマホをいじって、YouTubeの動画をみたりとか、
別に今調べる必要はないのに、食べログを徘徊しちゃったりとか。笑
もうね、何でもないそういうどうでも良い無駄な時間が好きなんです。普通に生きているだけでも、この世界は面白くて、何か悲しかったりもして。
でも、そういう感情が縦とか横に揺れたりするのは生きているからであって、私が人間として生まれたからであって、そう考えるとすごく素敵なことだな、と思ったんですよ。
何も美女と身体を重ねる夜だけが素敵な夜じゃないわけよ。もうね、何も起きない、何でもない1日、無駄な1日にこそ私たちの幸せはたくさん詰まっている。
よく、「生きていてつまらない」と言うけれど、それはその人が「刺激的な何か」だけに幸せを求めているからです。快楽主義的に何かを求め続けてしまっているだけな気がする。
例えば、私は刑務所に入りたくないなあ、と子供の頃からずっと思っているのだけど、刑務所にいる人からすると、「シャバを歩ける」ということがどれだけ幸せなことだろうか?
いや、そもそも死んでしまった人たちからすれば、私たちは生きているというそれだけでどれだけ羨ましく映るだろうか?と思う。
視点を変えれば、普通のこと、無駄なことだって実は幸福な時間に変わったりもする。そしたらさ、君が今後刺激的でキラキラした毎日を送ろうが、どちらにせよ幸せに生きることができるわけよ。
その方が良くないかな?っていうね。無駄でしょーもない時間にさ、意外と人間の幸せってあるもんよ。刺激的な1日はもちろん楽しいのだけど、普通の何でもない日だって本当は最高でハッピーな1日だと思う。
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生きていてよかったなあ
私はよく「生きていてよかったなあ」と思う。つらい時にはもう人生そのものが嫌になるし、何もかもに対して意欲がなくなってしまうよね。
でも、普通の生活をしている時に、「ああ、こんなに幸せなら生きてきた意味もあるよなあ」と感じる。
何かを求めるのも素敵です。毎日が幸せなのも良いと思う。大きな夢も大金も良い。それはわかっています。
例えば、私の知人なんかミシュラン3つ星レストランを作ったりとか、会社を上場させたりとか、まあギラギラした人たちはいるわけですよ。でもさ、でもよ?
その上で私は「普通に生きているだけでも幸せは幸せよね?」と伝えたいな、って。0か100かみたいになってしまっていると思うんですよ。
「これができなければもう幸せではない」みたいな。でも、本当は違いますよね。
普通に生きていてもまあ幸せだし、普通に酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す。それだけでも幸せじゃないですか?
普段の生活だけに満足して、「俺はこんなもんでいいか」と思うのは「どうかな?」と思うけれど、かといって、「刺激的な毎日がないなら生きている意味がない」ってのはちょっと違うと思う。
普通の生活も幸せだし、普通じゃない非現実的な生活も幸せ。どちらも種類は違うけれど、同じように「幸せだよね」と感じられた方が私たちの幸福度は高いような気がします。
どうですか?みんなはどんな風に生きている?この世界をどう感じている?どんな風に見えている?
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