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オーストリア、ウィーンという父との思い出。

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これまでもブログで話してきたと思いますが、私はヨーロッパ、オーストリアのウィーンに4度滞在経験があります。

これだけ行っていると、「なぜそこまでウィーンにこだわるのか?」と疑問を持つ人もいるのではないでしょうか。

まりも

友達なんて「オーストラリア?」とか聞いてきますから笑

ええ。そうですよね。まあこのブログを読んでいる人なんて、少数の人たちですから、あれですけど、でもまあ私にとってはウィーンって父との思い出の場所なんですよね。

コロナが終わることはないのかもしれないけど、海外旅行に行けるようになったらちょっとウィーンへの渡航を考えています。何なら実はワーホリを考えています。

子供の頃に見た「外国」は私の脳裏に焼きついている

贅沢な話ですが、お金がなくても私の父親は私のことを「経験した方が良い」ということで子供の頃から海外に連れていってくれていました。

まりも

もう死んじゃったけど、今考えるとめちゃ優しいよな?

ウィーンもあったし、タイもあったし、まあ本当に色々な外国の国へ連れていってもらいましたね。

子供の頃に父親からもらったタイ通貨であるバーツ

小さい頃から外国の人と話したという経験って何かすごいですよね。笑

で、その中でも私はやっぱりウィーンでの風景を覚えているのです。家族3人でウィーンに行った時には12月31日から年始にかけての本当の年末年始でした。

ウィーンでは年始になると「ニューイヤーコンサート」と呼ばれるコンサートがあって、私たちはそれを聞くために渡航していました。

日本人だと小澤征爾さんという有名な指揮者の方がいらっしゃるのだけど、その方が指揮をした時にも行きました。やっぱり海外で経験するコンサートは全然違ったし、

うん。何もかもが面白かった。年末はね、お祭り騒ぎのような感じになって、みんなが各々で爆竹を足下に投げ合うのですよ。足下に投げて、「わお〜!」みたいな。笑

ここらへんだったな。

子供の私からすると足下じゃなくて、「」くらいなイメージだからめちゃくちゃ怖かった記憶がある。目の前に爆弾が落ちたような感じ。笑

でも、父親と一緒にいて、何かこう楽しくて、ワクワクして、子供の頃の記憶なんて私はあまり覚えていないのに、ウィーンでの記憶はすごくよく覚えているんですよね。

まりも

その時の年末は「ブブゼラ」みたいなものをウィーンの人たちがそこら中で吹いていた記憶がある(あの時だけ流行していたのかなw)

冬の時期だったから寒くて、シュテファン寺院のそばでポテトを買ってもらってあたたまったっけ。懐かしいなあ。

父親と2人になる時なんかもあったりして、ウィーンの食事に飽きたからって、日本人が経営しているラーメン屋さんに入ったりもした。

そこが不味くてね。笑

でも、そういう思い出とか全部含めて楽しかったんですよね。今となっては父親との大切な思い出でずっとずっと自分の胸に残っているものです。ありがとうね、お父さん。

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帰ってくる場所のように思えたウィーンという街

こんなことを言うと、反発されそうで怖いなあ。笑

でも、本当に見出し通りなんですよね。久しぶりにウィーンに2018年くらいに行ったのだけど、その時に「あ、帰ってこれた」と強く思ったんですよ。

シュテファン寺院の中の様子です

これもその時の写真です。笑

私は子供の頃にウィーンを体験して、ウィーンの人たちと何度も話して、食事をして、街の雰囲気を味わった。

金色に塗られたヨハンシュトラウス」ってのが有名なんだけど、知ってるかなあ?このコロナでどうなったのだろう?そういうね、全てが私にとって懐かしいもので、

街の雰囲気とかドイツ語、そして少しだけ暗い感じもあるウィーンが私にとっては何か居心地の良い場所だったんですよね。

もちろん良い面だけではない。何度も渡航していると感じる「人種の壁」みたいなものも感じる。でも、概ね、みんな良い人たちで街全体の雰囲気が中世なんですよ。

夜、19時くらいかな。19時くらいに歩いていると、路上で演奏している人たちがいる。日本だと「ギターを持った若者」だけど、ウィーンはちょっと違う。

音楽の都であるウィーンでは、チェロを持っている人やバイオリンを持っている人、はたまたよくわからない楽器を持っている人たちが集まって音楽だけで演奏会を開いている。

雪が降って、少しだけこう、ハリーポッターに出てくるウィンザー城みたいになったら、「そろそろ家に帰ろっか」みたいなね。

それでホテルに帰っていました。その頃、家族で宿泊していたのは「カイザリンエリザベート」という名前のホテルだったと思う。

何とも言えず海外臭のするウェルカムデザート?でした笑

今回は歴史と壮麗のウィーン「ホテル・ザッハー」に泊まってみたらあまりにも豪華だった話。で紹介したホテルに宿泊したんですけどね。その当時は違うところにとまっていたんです。

懐かしいなあ。

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これからのまりも

さて、という感じでね、実はウィーンへの長期渡航も視野に入れています。どうなってしまうのかわからないし、ちょっと悩んでいる部分ではあります。

あの頃みたいに普通にこうやってウィーンで食事をすることもできないしね。

コロナのこともあるし、まあ色々やらなければいけないこともたくさんあるんですよね……。でも、まあちょっとウィーンへ渡航するのも考えてみようかな、と。

ただ、ワーホリで行くとしても、オーストリアって割と新しい提携国だからなのか、6ヶ月間しか滞在することができないんですよね。Cタイプの観光ビザと変わらんじゃん、とも思えるけどうーん。笑

ヨーロッパ横断しますという記事でも書いた通り、元々はヨーロッパを横断する予定だったので、何かしらの形でヨーロッパに長期滞在はすると思います。その方が動画的にも、ブログ的にも面白いしね。

私の人生なんて本当に最初からクレイジーなんで、もうどこに行っても良いかな?とか最近は思っちゃってます。笑

なので、突然「今日からウィーンで生活します」みたいな動画なり、記事を出す可能性あるね。そうなったらちょっと面白いけど、それくらいのことをやろうかな?と思うちょります。

また向こうで美味しいコーヒー飲みたいんだもん。

1度しかない人生だからね。馬鹿だけど、好き勝手にやらせてもらう。笑

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まりも
まりも(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーンに住んでいました。