人生に悩む君へ

親のために生きる人は素敵だけど、それで良いの?とも思う。

よく、こんなことを言う人がいる。「いや、やりたいことがあるんだけど、親の目もあるし」と。

例えば、「海外留学をしたい」と思っている。でも、親が反対しているから、留学しないという選択肢をとる。

金銭的な部分じゃなくて、親のことを思って、やめている。そういう生き方をしている人がいるんですよね。

 

まあ、親は自分を産んでくれた人だしさ、大事な人よ。でもね、それで良いの?っていう。

 

親はいつか死ぬよ!残るのは自分なんよ

 

まあ、だいたいの場合は親の方が先に死ぬわけですよ。親と自分はまあ平均で言うとどれくらいだろう。30歳くらいは離れている場合が多いですかね。だから、30年先を生きていることが多いわけです。

 

だから、親の方が先に死んで、自分はこの世界に生き残る。そう考えるとさ、親のために生きるって何なの?と思いません?

 

就職とか、結婚とかさ、色々なことが「親のため」になっている人がいる。親孝行なんて面倒な言葉があるから、「親のために生きる=幸せ」だと勘違いしてしまっている人がたくさんいるのだと思う。

 

でもさ、親のために生きたとしても、親は先に死んでしまうわけで、親が死ぬ時には「いやあ、私の言う通りに生きてくれて良かった」なんて思うのかもしれないけど、それ以上は何もないわけですよ。

 

自分は単純に歩みたい道を歩むことができずに終わったというだけです。そうやって、親が死んでからの世界を親が敷いたレールの上で生きていく。

何のためだろうか?と私なんかは思ってしまう。

 

親は「大企業に入っておけ」とか「早く結婚しなさい」とかね、もっともらしいことを言うと思うけど、それは親の考え方であって、あなたとか私個人の考え方ではないのよね。

親であっても、個人の考え方には口出しをするべきではないし、私たちは自分の行動に自分で100%責任を持つべきです。

それで良いんじゃないの?と思うけどね。むしろ、「親の言うことを聞いたのだから」という責任転嫁のようにも思えてくるね。

でも、結局残るのは自分ですよ。親は先に死ぬから。いなくなっちゃうから。

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誰かから褒められる人生なんてやめておけ

 

誰から「いや〜その人生は良いですね!」なんて言われる人生を歩もうとしている人が多い。でも、それで良いのだろうか。

私は中学も高校も私立の進学校に通っていたから、「良い大学に入って、良い企業に入るのが当然でしょ」という雰囲気があった。

 

事実、私の周りの人たちは大手企業に入社している人が多く、収入だって高いはずです。で、そういう人たちは褒められる。

ちゃんと生きているな」と思われるわけですよ。親のために生きているつもりはないのかもしれないけど、子供の頃は「サッカー選手になりたい」とか「野球選手になりたい」なんて言っていたのだから、

やっぱり今の夢は親が選択した道とも取れるよね。

 

周りの人たちから褒められると、錯覚をする。「ああ、俺って正しいんだ」と。大企業に入って、年金もしっかり払って。

 

でも、それだけが正しいとは限らない。例えば、私は「南米にあるアマゾンに行ってみたい」と思っています。

けど、私がもしも普通のサラリーマンを続けていたら、この夢は叶わないまま死んでいくでしょうね。

夢を叶えることなく、終えていく。他の人からすれば、「アマゾンに行きたいから仕事を辞めるなんて馬鹿げている!おかしいのか?」と言われるでしょう。

でもさ、それで結果的に私が私の夢であるアマゾンに行ったらどうですか?結局、夢をかなえているし、結局私は好きなことができるわけですよ。

だからね、誰かから褒められるような道ばかりが正しいとは限らないのです。「あいつ馬鹿じゃね?」と言われる方の愚かな道の方に本当にやりたいキラキラしたものがある可能性だってありますよ。

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人生は散らかすために存在している

 

私、自分の部屋がめちゃくちゃ汚いんですよね。それこそ本当に足の踏み場がないくらい汚いわけですよ。笑

でね、それを見ていて、「ああ、自分の人生みたいだな」と思ったのです。やりたいことを好きなようにやって、散らかしていくスタイル?

人は汚い部屋をみると、「なんで掃除しないの?」と言うでしょうね。人生も同じです。とっ散らかっている部屋をみれば、「この人はなんで掃除しないのだろうか?」と思う。

 

けど、私にはその状態が快適で、心地良いのです。人生なんて、散らかすために存在していると思っています。

 

綺麗な生き方ならたくさんある。学校で教わってきた。周りの生徒と同じように、「慶應行きます!それで三菱商事に入ります!」と言っておけば良い。これでオールオッケーソーハッピーですよ。笑

 

でもね、綺麗に生きたところで、それが自分の人生において「やりたいこと」でなければ何の意味もない。親が求めている「それ」であるならば、それは親の喜びには繋がるのだけど、

親の喜びによる自分の喜び」以上のものをあなたや私が得ることはない。

要するに間接的な喜びであって、その物事で喜ぶわけではないわけですね。何かこう、悲しくないです?笑

 

人生なんて散らかすためにあるのよ。何なら死んでいくのももう仕方がないことだと思っています。死んでいくのも、何かを失うのも、楽しくなるのも、全てが人生です。

 

だからね、もっと好きなように生きれば良い。人生は散らかしてこそ面白いものだよ。散らかして、「きったねえ部屋だな」と馬鹿にされるくらいの人生がちょうど良い。

 

そう思いませんか……??

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まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。