心臓が止まるんじゃないか。
私は1人になった夜によくそう思ってしまう。幸せな夢も見るし、幸せな未来を想像することが多い。
ただ、そことは別で、こう、幸せだからこそ「心臓が止まるまで、後どれくらいだろうか?」と考えてしまうことがある。
この心臓が止まるまでは、誰かに愛され、誰かを愛していたいし、好きなように生きていたいな、と思う。そう。この心臓が最後の1打音を奏でるまでは。
ああ、この世界も心臓が止まるまでか
私は本当によく「心臓が止まるまでの世界なんだよな」と考える。青い空を見ても、友達といても、好きな人といても、やっぱり最後自分の心臓が止まる瞬間のことを考えてしまう。
それは私の父親が突然死んでしまったからなんですけどね。私の父親の心臓は突然止まってしまった。それからというもの、私はいつでも「いつ私の心臓が止まるのだろうか?」と考えるようになってしまった。
ガンみたいなさ、病気になって死んでいくことが「死」だと思っていた。でも、そうじゃないんですよね。ガンみたいなものだったら、徐々に自分の身体が病に蝕まれていって、死ぬ。
その場合、「ああ、私はもうすぐ死ぬのだな」と理解した上で死んでいく。でも、心臓が突然止まる場合はどうだろうか。
「え?嘘でしょ?今?」というタイミングで死んでしまうわけですよ。そう考えると、何だか怖いな、と思ってしまったよね。
この世界も心臓が止まるまでの世界です。私の心臓が音を立てなくなったから、燃えている太陽の光を浴びることも、冷たい水の中で泳ぐこともない。全ての五感が消え去り、私の意識は止まる。
そう思うとさ、この世界で生きていること自体が不思議なことのように思えてくる。この世界のあらゆる楽しみも、希望も、悲しみも、全てはこの世界で私の心臓が止まるまでの間の出来事であって、
それ以上の出来事ではないわけであって、だから……。
そんなことを考えていると、いつのまにか寝てしまっていて、次の日になるとそんな馬鹿げた考え方はしなくなっている。次の夜が来るまでは、私はそんな世界のことを考えずに済む。
この世界が愛おしくもなる
全てのものが心臓の音と共に消えてしまうとなるとさ、「さあ大変だ」と思いませんか。
私はね、例えば「ピラミッドをみてみたい!クフ王が作らせたピラミッドってどんな感じなの?てか、女王の間とかってどうなの?」と知りたいんですけど、
まだ行けていないわけですよ。
そうなってくると、焦りますよね。
心臓が止まるまでの間に行かなければいけない、やらなければいけないことがある。そう思うと、焦り、そしてこの世界を愛おしく感じるようになる。
少なくとも私はそうでした。
行くのが大変な場所とか、やるのが大変な場所とか、何でもそうですけど、私たちは「嫌だな」と思ってしまうじゃないですか。
でも、やっぱり心臓が止まるまでの間だけだと思うと、それら全てが愛おしいものに変わってくると思うのですよ。
苦しいものとか、悲しいものとか、全てはさ、生きているから経験できることなんですよ。心臓が「ドクンドクン」と音を立てている間だけですから、全ては。
その間だけでしか、感じることができない。そう思うと、この世界が愛おしくなってくるのです。
心臓が止まるまでは、私、全力で死ぬ気でこの世界を楽しんでいたいな、と思うし、1日1日を必死になって楽しんでいきたい。
「あれ?今月は何したっけ?」なんて1ヶ月を送りたくないもんね。それよりも、「今月はオランダに行ったな!あ!新しい事業も興したな!」という日常を作っていきたい。
大嫌いなあの人と出会ったのも、大嫌いな仕事に出会えたのも全ては人生を楽しむためであって、全ては私の心臓エンターテインメントなんですよ。
わかるかね?
心臓が止まるまでは。そう、心臓が止まるまでの間だけは。
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終わりは悲しいものじゃない、きっと希望なんだ
終わりのないものに楽しさなんてないよ。私たちは永遠に生きていたいけれど、私たちは本能的に永遠なんてものがないってことを知っているからこそ、頑張れるのだと思う。
人間の寿命が100年だとして、それが1000年とか2000年になったらみんなはどう?
「今、夢を叶えよう!」とか思うかな?「どんな仕事をしよう!」とかって一生懸命悩むかな。
私だってそうです。中学生の頃、ミュージシャンになろうと思ってスターダストやサンミュージックに履歴書を送ったけれど、あんなこともきっと心臓がいつまでも動くのであればしないでしょう。
だからね、終わりはきっと希望だと思うのです。終わりは絶望だと思ってしまうかもしれない。でも、私たちは終わりがあるから頑張れるのですよ。
あなたの隣のいる誰かのことも「いつかいなくなっちゃう」と思うから大切にできる。だからね、それは悲しいことじゃなくて、きっと愛情であって希望であって、慈悲でもあるのですよ。
終わりがあることは悪いことじゃないよ。心臓が止まるまでは、心臓が止まるまでの間だけは、私は誰かを愛して、誰かの愛されて、この世界を最高に楽しみたい。
そうやって笑いながら死んでいく馬鹿でありたい。誰かに馬鹿にされながらも、一生懸命生きる存在でありたいよ。
さて、みんなこれからどう生きますかね?何だかつまらない日々を送っていません?何だか平凡なだけの日常を送っていません?
この世界を楽しもうよ。ファンキーに、クレイジーに。愚かなる人間として、さあ暴れよう、と。
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