恋愛と私

「そんな人もいたなあ」という夢を見せてあげたいな、と父親を見て思ったんだ。

そんな人もいたなあ、という存在になれたら良いな、と思うんですよね。私の父親は早くに死んでしまいました。

でも、母親はいまだに「父親の話」をするんですよね。それも懐かしそうに、愛おしそうにするわけです。まあたぶん今でも好きなんですよ。

思い出だったとしても、今でもきっと好きなんですよね。なんかね、そんな姿が素敵だな、と思ったのですよ。

 

父親はもうこの世界にはいないけれど、私も同じように誰かに思い出される「そんな人もいたなあ」と思われる人間として生きていきたいな、と思ったのです。

 

男はだいたい女より早く死んでいく

 

まあこれはだいたいの話なんですけど、統計的には男性の方が女性よりも早く死んでしまいますよね。

そもそもさ、男性って女性を原型として生まれてきたわけじゃないですか。YY染色体が、XY染色体になって出てきたわけだから、やっぱり女の方が強いのは当然ですよね。

これは動物界でも同じなのでしょうか。男性よりも、女性の方が強い?やっぱりそうなのだろうか。笑

 

だからね、まあ私が誰かと一緒にいたとしても、いつか私の方が先に死んでいくわけです。さよなら、と言わず、何となく死んで、残った人たちは何となくまた同じような日常が始まるわけ。

まあ私も言ってみれば、父親に残された側の人間なんですけどね。父が死んで、私が残って、でも何かわからないまま日常は過ぎていったという感じかな。

そんな時に、「すごい迷惑だったけど、あの人がいなくなると何か寂しいねえ!」と言われるような存在でいられたら良いな、と思った。

別に良い人じゃなくても良いのかもしれない。別に愛される存在じゃなくても良いのかもしれない。

でも、それでも何かこう、懐かしく思い出されるような人間でいたいな、とは思ったんですよね。

 

そんな人もいたよなあ、といつまでも話に上がるような、そういう「あれ?あの人がいた現実って夢だったの?」と思わせるような人間でいられたら、それはそれで幸せなのかな、と思う。

良いお父さんになれるわけでも、良い旦那さんになれるわけでもないし、良い友達にも、良い家族にもなれないのかもしれない。

でも、それでも、何かこう、思い出には残るくらいの人でいたいよな、って。

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私の父は破天荒で思い出には残る刺激的な人でした

 

私の父親はね、とても刺激的な人だったんですよ。まあ、もう死んじゃったから細かくは思い出せないのだけど、でもね、とにかく思い出には残る人だった。

で、そんな父親を母はいまでも懐かしそうに語ることがあるんです。例えばね、私の父親は起業家だったのだけど、

私が子供の頃なんて本当にお金がなくて、父親の誕生日に私が貯めたお小遣いを父親に渡していたりした。父親はもちろん、「こんなのいらないよ」なんて言うのだけど、

それくらい大変で、ギリギリのところで経営していたんですよね。そうかと思ったら、今度は週刊誌に偶然載ってしまったり。

まあ、本当に面白い父親だったんですよね。豪快な部分もめちゃくちゃあって、父親が帰宅する時間は決まって深夜の2時とか、3時とかそういう時間だったように思う。

 

中学生とか、高校生の時、夕飯には絶対に父親は家庭にいない、というイメージでした。母親と2人で食べるのが普通だったし、むしろ平日の夜に父親がいるのは不自然な事だと思っていました。笑

 

今、ドラマなんかを見てみると、「父親が帰ってきて夜ご飯を食べながら娘を叱る」みたいなシーンがあるじゃないですか。あれが私には違和感しかなくて、「何これ?どんな状況?」という感じなんですよね。笑

 

本当に変な家庭でした。今考えれば、という話だけどね。当時はむしろ「このドラマおかしくね?」と思っていました。笑

でも、父親は「そんな人もいたよなあ」と言われるような人物ではあったのですよ。母からも、仕事関係の人からも、みんなから覚えていてもらえるような人物でした。

 

だから、そんな父親を見ていた私はやっぱり「私もこうなりたいな」と思うようになったんですよね。昔はそんな印象に残るような生き方をしても意味がないし、そんなの疲れるだけだと思っていたんですよ。

 

でも、何かね、格好良いな、と。今このブログを父親が見ていたら恥ずかしいのだけど、もう死んでしまったから大丈夫だよね。ええ。笑

天国からでも見ないで欲しい……。

という感じでね、やっぱり私の中に強く残る人間でもあるのです。

だからね、私もね。うん。

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誰かの記憶にずっと残っていれば生きていられるよ

 

誰かの記憶の中で生きていれば、ずっと生きているような気もするんですよ。私の父親だって、もう死んでしまったし、もう声を聞くことも、顔を見ることもできないです。

突然死んでしまって、その数日後には火葬されるわけだから、人間って脆いよね。でもさ、誰かの記憶にずっと残っていれば、生き続けているような気もしています。

私も覚えているし、母親も覚えている。だからね、そんな人間でありたいな、と思うのです。

 

家にずっといないわ、借金はあるわで大変でしたよ。死んだ後もその借金が残ったりして、まあ私と母親は天国の父親のだいぶ世話に焼いてあげました。笑

 

もう何なんだよ!」と思った時期もあるけどさ、それでも誰かの心の中に生きているからね、それだけで幸せなことだな、とも思う。

何の影響も与えない、何の力もない人だったら楽な相手になるのかもしれないけど、それはそれで悲しいじゃないですか。

そんな人もいたなあ、と少しだけ懐かしく思ってもらえたり、少しでも記憶に残っている人になれた方が生きていた意味もあるのかな、と思うんです。

うん。だからね、そういう人間になれたら良いな〜とかね、そんなことをふわっと思いながら、今日も生きているよ。

みんなはどうです?最近も楽しく生きています?笑

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まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。