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今日は何をした日なのか?と言われて答えられる人生を。

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ふと思ったんですよね。「今日は何をした日だろうか?」と。人間は何となく生きてしまって、何となく日常を消化してしまう生物です。

この前まで6月だと思っていたのに、それが7月になり、8月になり、12月になり、2021年になっている。

そんな感じで、私たちは時の経過に深く抗うこともなく、受け入れている。でもさ、「今日は何をした日なのか?」と聞かれて答えられないような1日が続いているのって何か虚しくないですか。

私はそう思ってしまう。今日は何をした日で、明日は何をする日で。もっと濃い1日を作っていかないといけないような気がしたんです。

 

連続した日々が続いてしまう

 

私たちはさ、やっぱり気が付くと何となく生きてしまうと思うんですよ。何となく生きて、何となく連続した日々を過ごしてしまう。

仕事があったら、月曜日から金曜日まで同じように働いて、まあたまに上司から怒られたりして、気がついたら夏が秋になっていて、秋になったら「うわ、京都でもいきてえなあ」なんて思ったりする。

 

でも、そうこうしている間に冬になって、年末になる。で、1年という時間が何となく過ぎていくことが多いんじゃないかな、と思います。

だからね、多くの人は「今日は何をした日なの?」と聞かれたところで答えられないと思う。「何となく頑張ったな」という気持ちはあるのかもしれない。

ただ、それは連続した1日の中の1つであって、それは1日単位で「この日は〜をして……」という具体的なものではないと思うんですよね。

多くの人は今日は何をした日なのか?とその日の終わりに聞かれてもきっと答えることができない。それは何となく連続した毎日を過ごしてしまっているからだと思うのよ。

 

私もね、たぶん一時期はそういう時があったと思う。でも、意外と人生全体で考えたらそんなこともないのかな、と。中学生の時には歌手になりたくてオーディションをたくさん受けていたこともありました。

 

月刊オーディションとか買ったなあ。笑

知ってますか?今でもあの雑誌あるんですかね。その当時は毎日毎日「どうすれば歌手になれるのか?」ばかりを考えていたし、今は「どうやったら面白いことができるかな?」と毎日考えているからね。

うん。今日は何をした日なのか?と聞かれた時に答えられないような日が何日も続くのはね、やっぱりあまり良いことではないのですよ。

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1日は長くも短くもできる

 

1日という単位はみな同じなのだけど、1日という長さというか、1日の濃さみたいなものって人によって全然違うと思うんですよね。

例えば、この前で言うと、朝から弁護士さんと訴訟案件について会議して、その後すぐに宮崎県に移動して、仕事をしてから編集をした日なんかはね、まあ濃い1日でしたよ。

 

あれ?1日ってこんなに濃厚だっけ?」みたいな。笑

それこそ何だろう。「ハーゲンダッツ」くらい濃いバニラな感じですかね。ええ。笑

でも、そうかと思えば、1日は短くもできるわけですよ。例えば、朝起きてから昼くらいまでダラダラする。私の場合だと、何か「名探偵コナン」とか見ちゃうんですよね。w

最近公式チャンネルができて……なんて話はどうでも良いですね、はい。笑

気が付いたら12時くらいになっていて、「あ、もうランチの時間じゃん」みたいになって、何となく1日が終わっていくわけです。

だからね、結構、何ていうか、1日は短くも長くもなるわけであって、それはその人次第なんですよね。

一生懸命生きるのって面倒だし、大変だし、疲れるわけですよ。1日の終わりに布団の中に入った時に「しゅー」とすぐに寝てしまう時なんかはね、もう相当頑張った1日ですよ。

 

で、疲れる。でもね、そういう日は1日が長く感じられて、それはそれで充実感を得られるんですよね。

今日は何をした日なの?と聞かれても、そういう時は「あのね、今日はね、弁護士さんと会ってから、物件の契約をして、そこから……」みたいな風に話せる。

 

多忙だから良いわけじゃないけど、「今日はこれをした日だよ」という答えを堂々と言える状況こそがやっぱり大事じゃないかな、と思います。

まあ特に私みたいな自営業の場合は必要かもしれないね。常に考えて、常に改良していって、新しい1日を作ることが大事ですから。

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今日という日で燃え尽きるように

 

私は今日という日で燃え尽きちゃお、と思っています。笑

よく、「燃え尽き症候群」なんて悪い言葉を使う人がいるのだけど、あれはね、私、良いことだと思っているんですよ。

燃え尽き症候群ってさ、頑張って頑張って燃え尽きちゃうことを言うじゃないですか。でも、人は遅かれ早かれ飽きてしまうもので、満足してしまうもので、燃え尽きるものなんですよ。

燃え尽きるような人は普通の人が10年くらいかけてやるものを1年くらいでやるから燃え尽きる。でも、それは逆に良いことじゃないですかね?

 

燃え尽きない人は、燃え尽きない程度しかやっていないだけで、どうせいつか飽きるわけですよ。人間ですから、そういう生物です。笑

だからね、その時に「これおもしれえ!」と思ったものを全力でやってみれば良いだけなんじゃないかな。

今日は何をした日ですか?と聞かれた時、答えられないのは今日という日を限界まで、全力で生きていないからだと思う。

 

いや、鬱になるまで頑張れとかそういうことを言っているわけじゃないよ。

つらい時はもうね、飽きるまで全力で休んだ方が良いと思う。それはそれで「休んでいた日々」という明確な状況があるから。

 

でもね、私は今は頑張っていたいかな。1日で燃え尽きちゃっても良いや、という気持ちでいつもいつも頑張っています。だって、人生は少しの時間しかないからさ。

 

その少しだけの時間で何ができるのかな?と考える。それはこの世界にとって意味のあるものじゃなくて良いんですよ。

サーフィンが楽しいな」と思ったらサーフィンを全力でやれば良いし、「フットサルをしたいな」と思ったら全力でフットサルをやれば良い。

 

何かね、こうぼーっとしているだけで終わってしまう毎日や、何となく終わっていく日々が嫌だったりするんですよ。

はい。だからね、みんなもね、「今日は何をした日ですか?」と聞かれて答えられるような人生を歩んでみたら良いんですよ。

そうじゃないですか?違いますかね。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。