普通の幸せってあるじゃないですか。まあそれは人によっても違うだろうから、基準なんてものはないのだけど、みんなが思う「普通」みたいなものってあるでしょ?
そういう普通の幸せをさ、感じられない人もいるわけじゃないですか。世の中には。
ビジネスクラスで旅をしないと幸せを感じられなかったり、高級料理を食べないと幸せを感じられなかったり。
まあそういう人もいるし、その人にはその人の幸福論みたいなものがあるわけ。でもさ、結局は普通の幸せがめちゃくちゃ大事じゃないの?とも思うのよね。
私の言う普通の幸せ
健康であること
健康であることって実は凄く大事なもののような気がしているんですよね……。誰かにとっては普通の幸せなのかもしれない。
「健康でいられるのは当たり前っしょ」と思っている人もいっぱいいるよね。でも、健康であるということは凄く大事なものなんですよ。
私なんて脂肪肝になって呼吸がし辛くなった時にはめちゃくちゃストレスを感じたもんね。
後は、耳管狭窄症にかかってしまった時も。健康でいられることが当たり前のことだと思っている人がたくさんいる。
でも、そんなこともないわけですよ。明日にはガンになっているかもしれないし、脳卒中になって倒れてしまうかもしれない。後遺症が残って動くのもつらくなるかもしれない。
そう考えると、「普通の幸せ=健康な身体を持っている」でもあると思ったんですよね。普通の幸せに私たちは気がつかない。
だって、生まれた時から多くの人は健康だったわけだって、多くの人は大きな病気をしないまま大人になってしまったからね。だから、気にしないのですよ。で、タバコを吸ったり、お酒を大量に飲んだりする。
気が付いた時には身体がボロボロになっていて、「あの時健康な生活を心がけていれば……」と後悔する。笑
周りに人がいること
普通の幸せには「周りの人たち」も大事だな、と思っています。私はそこまで大の人間好きというわけではないのだけど、
周りに人がいるかいないか、ということは、結構人間の幸せを左右すると思うんですよね……。
お金がいくらあっても、周りに誰もいてくれなかったら寂しいですよ。私なんて中高6年間も共にした男子校の仲間がいるのだけど、彼らがいなかったらどれだけ寂しい思いをしたのだろうか?と思うもんね。
このブログ見ているかな?ありがとね。笑
周りに人がいるという普通の幸せにだって、私たちは気がつかない。「友達なんて普通にいてくれるっしょ」と思う。仕事仲間だって同じ。
でも、普通のことじゃないのよね。周りに誰かがいるということはそれだけ幸せなことなんよ。
普通に生きて、普通に死んでいくという幸せ
いや、あのね、刺激的な毎日を否定するわけじゃないのよ。私は意外と勝気なところもあったりして、「めっちゃ頑張って進んでいきたい!」みたいな気持ちだってあります。
周りの人以上に頑張ってしまう時だってあるからね。でも、そういう頑張っている時に限って、「普通に生きて、普通に死んでいく」という幸せを忘れてしまう。
みんな、普段は「普通」に価値を感じないわけですよ。カフェで「アイスコーヒーのSサイズ」を注文したら、間違えてMサイズがきてしまって、でも、店員さんが「間違えたのでこれで良いです!」なんて言ってくれたら嬉しいよね。
それは「普通以上の大きさ」だから。これと同じなんですよ。普通のことをやって、普通の成果が得られたとしても、人間はそこに喜びを感じない。
「ああ、こんなもんでしょ」とドライな感情しか浮かんでこないのです。
でもさ、本当は普通に生きて、普通に死んでいくってことも、素晴らしいことじゃないかな、と思うわけ。
健康的な生活を心がけて80歳まで生きることができてさ、周りにも優しい人がたくさんいる人生だったとしたらさ、何か素敵じゃないですか?
何か楽しくなりませんか?
普通の幸せというものをみんなは忘れてしまう。例えば、私なんかはコンビニに行って「ピノ」を夜遅くに買って、家で食べることがあります。
で、YouTubeみるわけですよ。笑
みんなからしたら、「なんだ普通のことじゃん」という感じだよね。でも、私にとってはめちゃくちゃ幸せで、嬉しいことなんですよね。
普通の幸せかもしれないし、何気ない幸せなのかもしれない。でも、私にとっては最高の瞬間だったりもする。
だからね、普通の幸せって結構キラキラしてるんじゃないの?本当は、と思うのよね。
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何げない1日に感謝して生きていきたいな
私は日々、何かに追われるようにして頑張っているような気もする。笑
でも、たまには怠けてしまう日もあって、「ああ、こんな自分情けないな〜」なんて思ったりもする。笑
まあ、兎角、人間的なんですよね、私。そういう日があって、まあ普通の日ですよね。普通の日が何日もあるわけですよ。
でもね、そんな日に私は感謝して生きているのかな、と思ったのです。大学生の時、父親が亡くなった直後とかはね、普通の日常とか普通の幸せなんてものがまるでありませんでした。
だから、その時から考えると、今ってめちゃくちゃ幸せなんですよね。だからね、もっとこの日々に感謝して生きていかないとなあ、と思う。
今はさ、変化の激しい時代でさ、色々なものを手に入れられるようになったよね。10年後くらいには自動運転車なんかも必需品になるのかも。家だって、もっと未来型の家になっているかもね。
でもさ、そんな中でも、人間が求める「普遍的な幸福」みたいなものは変わらないような気がしているんですよ。
普通の幸せの中にそれらが詰まっているような気がしています。だからね、いつの時代でも、どんな日でも、その時の日常を楽しんで生きていきたいな、と思う。
みんなもね、大変だろうけど、まあ生きていこうよね。笑
はい。そんなこんなでまりもは元気にやっております。ありがちょ!
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