人生に悩む君へ

ネガティブな人が死ぬわけじゃなくて、ネガティブな自分を認められない人が死ぬんじゃない?

ネガティブな人もいれば、ポジティブな人もいる。みんなの周りにもいると思うのよ。例えばさ、同じようにリストラされて仕事を失ってしまったとしても、

「まあいっか」と思える人と思えない人ね。ネガティブな人もいれば、ポジティブな人もいる。

で、みんなはこの世界にいる人たち全てを「ポジティブな人、ネガティブな人」というカテゴリーにいれていると思うのですよ。

 

でもさ、ネガティブだから死ぬわけじゃないし、ネガティブだからこの世界から消えてしまうわけではないと思う。

ネガティブな人だって生きていくことはできる。むしろね、ネガティブな自分を認めることができないから死んでいく。

だったらさ、認めちゃえば良いじゃんか。

 

誰しもネガティブになる時はあるよね

 

まあさ、完全にポジティブに生きている人なんていないわけですよ。なぜか?それはね、そういう人は人類史上、生き残ってこなかったからです。

ネガティブな人」と言うと、なぜだか聞こえが悪いような気がしてしまいますよね。でも、これは言い換えれば、「危険を察知することができる人」ということでもある。

マイナスなことを何も考えることができない人は、「将来起こりうる危機」を察知することができないわけですよ。

 

だから、どこかで死んでしまう。つまりね、人類というものはみな、そもそもネガティブでネガティブだからこそ、今こうやって生き残っているわけです。

あなたがネガティブなのは、あなたが生き残るためであって、あなたがネガティブなのはあなたの親がネガティブでいてくれたからだったりする。笑

 

つまりだね?

ネガティブって悪いことではないのですよ。悪いことを想像してしまうという能力はその人の危機回避能力を表すのです。

例えば、ポジティブな人が森を歩いていたとしよう。ポジティブだから何も考えない。危機を予測しない。

で、森の中で熊に遭遇してしまう。がぶがぶがぶ。食べられちゃう。

でも、ネガティブな人は、「森の中から熊が出てくるかもしれない」とマイナス予測をするわけですね。

で、熊除けの鈴を持っていく。結果的に「ネガティバー」は生き残る。そういうことです。

人類にはね、少なからずマイナスな側面があるというかさ、ネガティブに考えてしまう部分があるわけですよ。それは仕方がないことであって、別に気にすることでもない。

 

むしろ、「あ〜、私、ネガティブで良かった!子供もちゃんと生き残れるやん!」くらいに思った方が良いのよ。

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自分を否定するから疲れちゃうのよ

 

別にね、あなたがネガティブだろうと、ポジティブだろうと、そんなことは超どうでも良いことだと思うのね。

多くのネガティバー(笑)たちは、「私はネガティブだからいけないんだ……」なんて落ち込むわけですよ。ネガティブな自分から脱しなければいけなくて、ネガティブな自分を消し去らなければいけない、と思い込んでしまう。

でもさ、それって要するに自己否定だと思うのよ。

ネガティブな自分がいるのに、ネガティブな自分を否定するということはさ、それって「死ぬ」という選択肢以外なくなっちゃうじゃないですか。

 

だから、死んでいってしまうのですよ。例えば、ネガティブな人が親から「なんであんたはそんなネガティブな考え方しかできないの?」と言われたとする。そうすると、めちゃくちゃ傷つくよなあ。笑

 

でも、もしもさ、「今日もネガティブやってんね〜!笑」って明るい感じで言われたどうだろう?ムカつくかもしれないけど、何か自分の存在を肯定されたような気がしません?笑

ああ、私はこれでも良いんだ」と思えるんじゃないかな。

ネガティブな人が自分の命を絶ってしまうわけじゃないのよね。ネガティブな人が自殺してしまうのではなく、ネガティブな自分を完全否定してしまう人が自殺してしまうのよ。

ネガティブな人が全員自殺してしまっていたら、きっとこの日本という国、この地球という星には人類は存在しないわけです。

何とか生き残っているでしょう?ネガティブな発言をしていても、普通に何とかギリギリ生きている人だっているじゃないですか。

そういう人はね、認めることができている人なのですよ。「私はネガティブだから仕方ないや」と思えている人。

 

それで良いのです。もっと自分を認めて欲しいな、と思う。笑

ポジティブになろう、なんて思わなくて良いしさ、自分らしく生きれば良いんよ。

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好きになってくれるのは相手じゃなくて自分

 

相手に好かれるのかどうか?なんてわからないわけですよ。だってさ、育ってきた環境が違うし、その人の状況や思考によっても変わってきてしまう。

でも、私たちは唯一、「自分という人間」ならコントロールすることができる。自分という人間を自分で愛することはできるのですよ。笑

 

よく、愛情を求めている人って、「他人からの愛情」を求めてしまうと思うのよ。いやいや、わかるよ、わかる。

すごい可愛い女性から好かれたらそりゃあ嬉しいし、友達になりたいな、と思っていた友達の大事な人になれたら素敵よね。

わかるわかる。でもさ、他人なわけですよ。他人。

 

どうすることもできないというか、自分以外の人間ですから、コントロール外。だから、私たちはもっと自分という人間を自分で好きでいた方が良い。

 

他人からね、「お前、キモいな」とか「お前を生んだ親が可哀想」とかね、そんな言葉を言われたとしても、そりゃあそうでしょ、って話。

だって、それは今自分以外の人間が自分に対して思っている感情であって、それはその人の状況が悪い場合もあるからさ。

まあ要するに他人から愛されたりすることも素敵ではあるけど、そんなの無理だよね、って話。いや、好かれるならその方が良いかもしれないけど、コントロールできないからさ。笑

 

だったら、自分のことを自分で好きでいようよ、って。

ネガティブな人が自殺したり、自分を傷つけてしまうわけじゃなくて、ネガティブな自分を認められない人がそういうことをしてしまう。

だからね、認めてあげて欲しいな。もっと自分の好きなところじゃなくて、嫌いなところを好きになってあげて欲しい。それで、もっともっと自分の心の恥ずかしい部分を他人に開けっ広げに見せて欲しい。

そしたらね、もっと生きるのが楽になるよ。さてさて、今日もコーヒーでも飲みますかね。最近カフェラテにハマっているまりもでした。

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水瀬まりも
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月間30万人が読む「テトラエトラ」というメディアブログ運営/4つの会社の経営者、役員(人材会社、広告代理店、映像、不動産)/大学生の頃に父を亡くしビジネスの世界へ/前向きに生きることができる言葉を綴っていくよ。「ぼくのとらべる。」というYouTube旅チャンネルもやってるよ。