私にも寂しさはある、孤独感はある、と思っている。笑
でも、でもね、私は1人で生きている時が1番楽な気がしてしまったりするんです。1人で生きて、1人で息を吸って、1人で街を歩く。
人はそこに寂しさや孤独を感じるのでしょう。無論、私だって寂しくないわけじゃないのかもしれない。
けどね、私は安心する。それはなぜなのだろうか?と考えてみると、
誰も失いたくないからなんじゃないかな、と思ったよ。最初から1人でいれば、誰かを失うつらさなんてものは存在しないもん。
私はその方が楽だと思った。
誰かを失った時の喪失感を味わいたくないな
私の父親は大学生の時に死んでしまった。言うまでもないけれど、父の死という経験が私に大きな影響を与えてしまった。
私は別に素敵な息子でも、優しい息子でもなかった。だから、父親と全てが上手くいっていたのか?というと、そうじゃない。
むしろ喧嘩することもたくさんあった。
でもね、やっぱり死んでしまうと、大きな喪失感があった。父親が突然亡くなったという人に伝えたい事でも書いたけど、父親は某所で突然死してしまった。
だから、私が最初に父親と対面した時には父はもう死んでいた。警察署の遺体安置所?なのかな。そこで父と対面した。
昨日まで普通に生きていた人間が今日になって冷たくなっている。何とも硬い表情をしている父親をみて、衝撃のあまり涙も出ませんでした。身近な人が死んでしまう時の気持ちってこんな感じなんだな、と思った。
だからね、その時から私は誰も失いたくない、と思ってしまっているのだと思う。
誰かを失った時の喪失感というものは何よりもつらい。父親を失ってもつらいし、友達でも悲しむでしょう。恋人でもね。
2人や3人でいるということは、いつかその相手と別れるということでもある。そんな終わりを想像すると怖くなってしまうんですよね。
誰も失いたくない、と願っても、神様は許さない。例えば、今この令和という時代に平安時代の人間は1人もいない。例外なく、死んでしまった。
そう考えるとね、やっぱり終わりは必ず存在するわけであって、だからこそ1人の方が気持ち的に楽なわけであって。ええ。
大切な人ができるということは別れが1つ増えるということ
晴れの日に雨を想像するのは好きじゃない。でも、私は父親が亡くなってしまった時から、ずっと「大切な人ができれば、いつか別れがやってくる」と思ってしまっているような気がしています。
別に離婚したり、別れたりするのは良い。相手だって生きていて、どこかで元気に暮らしているのだろうから。
でも、ずっと一緒にいたら、どこかで死んじゃうじゃないですか。だからね、私はできるだけ大切な人を作りたくないな、といつも思ってしまう。
友達でも、恋人でも、家族でも、なるべく少ない方が悲しみが少なくて済む。そう思ってしまうことだってある。
私はたびたび新宿にある大歓楽街「歌舞伎町」に行く。1人で行くことだってある。記事で使う画像を撮影したりだとか、後は何だろうな。
飲み会の帰りとかね。1人で歩いていることがある。そうすると、凄く安心するんですよね。
1人でいる時に大きな安心感がある。ここで私が死んでも誰かが悲しむわけじゃないし、私が誰かの死を悲しむ必要だってない。そう思うと、何だか嬉しくなってくる。
ファミレスに入ったら、家族で来ている人たちがいて、その人たちが笑っている。でも、私はそれをみて、「自分は1人で良かったな」と思ったりもする。
特定の誰かを作らずに遊びたいとか、そんなことじゃなくて、1人でいる方が誰かを悲しませたり、悲しむ必要がないから。要するに逃げているんですよね。
大切な人たちに囲まれていると、嬉しくなるよ。それは私にもわかる。でも、喜びは同時に悲しさも作り出してしまうのです。
始まりがあるということは終わりがあるということ。始まりもしなければ、終わりもないからさ、そんな状態の方が私は安心するのかな、と思うよ。
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悲しみと喜びが共存する世界の中で
そう考えると、この世界は悲しみと喜びが共存する世界だな、と思うわけですよ。誰かを好きになると、いつかは失うことになる。
だから、誰かを好きになることなんて、男女関係なく嫌だな、と思ってしまうんですよね……。
私は甘い人間だから、誰も失いたくない、と思ってしまう。命には終わりがあってさ、いつかは「ドクンドクン」と動いていた心臓が止まってしまう。予期せぬタイミングで。
さよなら世界、と消えてしまう。私も夜眠る前に、「明日の朝起きれずに、心臓が止まっていたらどうしよう」なんて思ったことがある。
昨日まで笑いあっていた人が目の前からいなくなってしまうなんて、ただただ悲しい出来事よ。
だからね、嫌なんだよね。私は誰も失いたくないから1人になろうとするのかな、と思いました。
私は誰のことも大切に思わず、誰からも大切にされていなかったら、私が悲しむこともないでしょう?誰かが苦しむこともないでしょう?
その方が楽なのかな、と思ってしまうんですよね。別にそこに対して寂しさがあるのか?というと、実はそうでもないのかな、と思ったりもするし。
1人でいる時に寂しさを感じることはあっても、その事実には悲しさや寂しさはないのかな、って。
道端で力尽きて死んでいるくらいの方がお似合いなんですよ、私。笑
それはどちらかというと、明るい意味でね。本当に、そう、明るい意味で。
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