将来に漠然とした不安を抱える時代だよなぁ、なんて思ったんですよね。
まあ今は景気も悪くてさ、政治的には「景気は良くなっている」のかもしれないけど、私たち普通の人間からすると、何も変わらないじゃないですか。
どうです?みんなの周りだけ何か変わっていたりするのかな?笑
ないよね。私の周りだって何も変わっていないし、やっぱり若い人たちはお金に不安を持っていて、将来に漠然とした不安を持っていて。
この時代を憂いているような気がするのよ。でもさ、そんな時代だからこそ、雨に打たれようぜ、って。笑
将来に漠然とした不安を抱える原因
収入や雇用の不安定さ
将来に漠然とした不安を抱えるのは収入や雇用の不安定さに原因があるんじゃないかな、と思う。

収入に関して言えば、政府がどう言うのかわからないけど、東洋経済の「日本人の給料がまったく増えない悩ましい事情」という記事から引用すれば、「1990年代よりも低い水準」なのが今の私たちの賃金です。
え?それまじなん?って感じよね?笑
つまり、日本と世界を比べた時に日本の力が弱くなってきているということなんですよ。国際競争力を失ってしまった日本は「賃上げ」に企業側が対応できない。
1980年と2010年の比較でも日本のGDPが悲しい成長率なのはわかるけど……

もっとひどいのはこの先の未来よな。笑

3分の1になってしまっているじゃないか。笑
世界における日本の存在感が薄れていってしまっているw
まあ、だからね?政府側が最低賃金を上げようとしているけれど、実質的な成長なしには企業の首を絞めるだけ。結果的に従業員の不安に繋がる。
賃金を上げる余裕がないのに無理にあげたらそりゃ最後は倒産か解雇になるよな?
この先、移民が増えてきたら、雇用だってどうなるのかわからない。そんな状況の中では、特に若い人たちが将来に漠然とした不安を感じるのは当然のことなんですよ。
ジムロジャーズさん(世界的な投資家)は「日本は移民を受け入れろ〜!」って言っているけどもね?
高度経済成長期のように、「どうせ景気は良くなるわけだし」と思えないのが今の世代なんです。昔の土地神話の時代じゃないから、誰もがみんなでお金持ちになれるわけじゃないのよね。
今の時代は収入と雇用が安定せず、不安を抱えたまま、何となく働いて、何となく生きて行っているという感じじゃないかね。
将来に漠然とした不安を抱えるのは当然だったりもするのよ。
老後の危険
老後も不安だよね。年金ってどうなるの?笑
年金ってさ、今までは「絶対にもらえるもの」だったけど、そんなこともないじゃないですか。
「日本人の給料がまったく増えない悩ましい世界各国の年金制度の総合評価ランキング、1位はオランダ、日本は何位?」という記事にもありますが、
日本の年金は持続性を筆頭に全ての指数が低いんですよね。

つまり、老後に不安を抱くのは当然というか、2000万円問題でも話題になったように、自分で自分の老後のお金を作っていく必要があるのです。
だからこそ、将来に漠然とした不安を抱えるのは当然で、老後のために貯金をしたりするのも当然じゃないかな?と思うんですよね。
みんなが「え?大丈夫なの?」と思っているはずw
今、消費してしまったら、将来どうなってしまうのかわからない。制度的には「生活保護」というものがありますが、生活保護に対して抵抗感を持っている人も多いでしょう。
だから、「どうにか将来の不景気に備える」というのが今の姿勢じゃないかね。前みたいに、「65歳になれば、一生安泰」という状態になれば、不安も減るだろうけど、違うからね。笑
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変わっていくためにどうすれば良い?
最低限の生活に慣れてみる
将来に漠然とした不安がある人はね、1度でも良いから最低限の生活というものを体験して欲しい。
人間ってね、1度でも生活レベルを上げてしまうと、下げることができないものなんですよ。20万円の家に住んでいた人はやはり20万円の家に住みたいと思ってしまうものです。

これまで高いレストランに行っていた人はやはりお金がなくなっても高いレストランに行きたくなってしまう。

だからこそ、最低限の生活に慣れてみる、って大事なことじゃないかな、と思う。私なんて、借金が今よりも多かった時には、ランチを100円くらいのアジフライ1つと家から持ってきた白いご飯のおにぎり1つだけで乗り切っていましたから。
父親が突然亡くなったという人に伝えたい事という記事を読んでもらえればそうなった経緯はわかりますw
タイトルが重すぎる〜〜〜〜笑
お腹がすいたら、水道水をお腹いっぱいに飲むわけです。最低限の生活をしていれば、いざという時にも、「まあ別に生活コストなんてほとんど0に等しいし」と思えるからね。
将来に対する漠然とした不安を感じづらくなると思う。
稼ぐ力を身に着ける
将来に漠然とした不安を抱えているのは「自分という人間の生活力」に自信がないからなんですよ。
例えば、貯金がゼロになったとしても、稼ぐ力がある人は、「よし、ここからYouTubeを始めればどうにか生きていけるぞ」と考えることができます。
例えば、私の場合はブログをやってきた人間だから、「ブログで何とか生きていけるだろう」と思うんですよね。
最近はブログだけで食べている人も増えたよなぁw
でも、そういう稼ぐ力がなかったりすると、将来に対する漠然とした不安を抱えることになるわけです。だって、もしもお金が入ってこなくなったら、その時点で稼ぐ方法がわからなくて、露頭に迷ってしまいますから。
稼ぐ力というものは大事なものなんですよ。0から1を作れる人間というのは少ないです。
会社名も、お金も何もなくてもお金を稼げる人は強いですよ。
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冷たい雨に打たれる日常を生きてみても良い
将来に漠然とした不安を抱える人が本当に多い。まだ何も起きていないのに、「将来どうしよう」なんて悩んでいる人が何人もいるわけよ。
私の周りではさ、今の60代とか70代の昔のバブル世代の知人はめちゃくちゃお金を使っていて、何なら「お金が余って困る……」なんて言っている人もいるのに、私と同じくらいの少し若い世代になると、
「将来が……」みたいな感じで、悲観的になっている人が多いんですよ。それは将来に漠然とした不安を抱えているからなんですけどね。笑
でもさ、そういう将来に漠然とした不安を抱えている人こそ、雨に打たれてみたら良いと思うのよ。
要するに、「1番下の生活」を体験してみれば良い。私だって、本当にお金のない時は「ペットボトルの水」が超高級品に感じられました。
お茶なんて購入を検討することさえしなかったもんwww
「あんな水、公園でも飲めるのになんで90円もするんだよ」と思っていました。そんな時期があった。
でも、あの時代があるからこそ、「まあ、最終的にお金がなくなってどうしようもなくなったら路上で暮らしても良いか」くらいに思えるわけです。
間違っても、「死ぬ」とはならない。
冷たい雨に打たれるのは嫌だけど、冷たい雨に打たれてみて、初めて身に付く強さみたいなものもきっとあるんよ。

泥だらけになった人間にしかわからない痛みが、数年も経つと、強さに変わっている。だからね、雨に打たれようぞ。
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