誰にも必要とされない人生ってどう思う。誰にとっての大切な人でもないし、誰からも期待されない。
どうだろうか?私は誰にも必要とされない人生の方が幸せだと思っていたんですよね。
- 誰かに必要とされる人生
- 誰にも必要とされない人生
この2つのうちから1つだけを選択するとすれば、私は誰にも必要とされない人生の方が好きだった。今考えると、何だか不思議な気持ちがする。
でも、当時の私は本当に誰にも必要とされない人生を送って、どこかの道端でバッタとかコガネムシとかと一緒に死んでいる方が良いような気がした。
そんな私だったけど、今は誰かに必要とされる苦しさの方を選択するようになった。
誰かに必要とされるのは面倒だと思っていた
よく、「誰かに必要とされるのは嬉しいことだよ」なんて言うよね。
でも、私は「はい?そんなことなくない?」くらいに思っていました。特に学生の時なんかは、誰かに必要とされるプレッシャーなんかよりも、誰にも必要とされない孤独の方が好きだった。
その当時は、やっぱり若かったってのもあるけど、誰かに必要とされているという実感が面倒だったんですよね。
例えば、昔は彼女がいるというのも嫌な感じがした。別に遊びたいわけじゃない。浮気をしたいということでもない。
そうじゃなくて、「あなたが大切なのよ」というその雰囲気自体が何か苦手な感じがしたのです。
普通はそこで喜ぶわけよね。「俺にも俺のことを思ってくれる人ができたんだ」と。でも、私は何か天邪鬼みたいなところがあって、生を肯定されるのがあまり好きではないような気がしていました。
誰にも必要とされないのは悲しいよ、なんて言うけれど、
当時の私はそうでもなかった。むしろ、「俺のことなんて放っておいてくれ」くらいに思っていたような気がする。
誰にも干渉されたくないし、誰にも関わって欲しくなかった。とにかく閉じた人間だったんでしょうね。
普段、開いているように見せれば見せるほど、本当の自分はヤドカリの中の人みたいに、奥へ奥へと隠れていったような気がする。
まあ今の自分にも同じような部分はあるのだけど、昔の方が強かったなあ。誰にも必要とされない方が私にとっては楽で、
うん。何か同時に孤独とも闘っていて。
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誰かに必要とされるプレッシャーの方が良い
でも、そんな私も変わったのです。誰にも必要とされない孤独よりも、誰かに必要とされるプレッシャーを選択するようになったと思う。
誰かに必要とされている時って、何だか気持ち悪い。
「まりもさんはすごいね!」とか「まりもさんのこと大好きです!」なんて言ってくれる人がいたりして、そういう人たちのおかげでここまで色々なものを続けて来られたような気もするんですよ。
ただ、その一方でやっぱり私は素直な人間でもなかったりするから、「うわ、何か1人歩きしている……」と感じてしまうんですよね。笑
天邪鬼なのかしら……。
誰にも必要とされない人生を歩んでいれば、別に誰かから評価されることもない、誰を助けるわけでもないし、誰かの人生に私が関わるわけでもない。
だから、前はそっちの方が楽な気がしていたんですよ。でも、今思うと、それって何か寂しいなって。
誰にも必要とされないまま、「NONAME」の「人間」という存在で終わるのも良かったのかもしれない。
もしかしたらそっちにこそ幸せがあったのかもね。
でも、今は、誰にも必要とされない人生よりも、誰かに必要とされるプレッシャーの中で生きていく方が楽なのかな?と思っています。
これから先、変わってしまうかもしれないけどね。例えば、このブログだって、たまに連絡をくれる人がいて、
「まりもさんおおかげで踏ん切りがつきました」とか言ってくれる人もいたりして、何ならその人のブログのプロフィール欄に私の名前が書いてあったりして……。
うん。そういう全てはプレッシャーだったりもする。でも、嬉しかったりもするわけですよ。
どうせ生きるなら、プレッシャーの中で生きて、誰かに必要とされていた方が良いのかな、と最近は思っています。
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誰にも必要とされない孤独の中で生きるのは嫌なんだ
誰にも必要とされない孤独の中で生きていく未来を考えると、何だか怖くなってくるよね。
人間ってさ、ある程度のお金が幸福度を上げてくれるけど、お金自体に幸せがあるわけじゃないんですよ。
お金が1億円とか10億円、100億円?
それだけあっても、周りに誰もいなくて、誰にも必要とされない人生を歩んでしまっていたら、私は死んでしまうかもしれない。
「もう生きる意味なんてないかな」なんて考えてね。もしも、誰かが必要としてくれたら、私は生きていられるような気がする。
この地球上の誰とも繋がっていないような気がしてきたら、きっと私もあなたも死んでしまう。誰とも繋がっていなくて、誰とも会えなくて、誰も気にしてくれなくて。
そんな日常がもしもやってきてしまったら、私はどこかのビルの上からいなくなっているかもしれない。
でも、誰かに必要とされていたら違う。それがプレッシャーになったとしても、私は頑張っている方が好きなんですよね、きっと。
「頑張ってください!応援しています!」くらいの人たちがいて、そんな人たちの中で頑張る方が最終的には向いていると思う。
だからね、頑張るよ。誰にも必要とされない孤独の中で生きていくのはあまりにもつらいじゃない?
今日も明日も頑張るぞ。
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