自分らしく振る舞うなんて当たり前のこと、小学生の道徳の時に習うべきことじゃないですか。
でも、私たちって案外、自分らしく振る舞うことができなくないですか?なぜだからわからないけど、完全に「自分らしい振る舞い」みたいなものを体現している人なんてほとんどいないと思うわけですよ。
ただね、実は幸せになるためには大事なことじゃないかな?と思ったのよ。
頑張ることも大切だし、踏ん張ることも、見栄を張るのも良いけどさ、幸せになるためには、「自分らしく振る舞う」が大切なんだよ。
私は生きてきてそう思った。
自分らしく振る舞う、なんて真剣に考えたこともなかった
私は、自分がつらい状態になるまでは、「自分らしく振る舞う」なんてことを考えたこともありませんでした。
たしかに、中学校とか高校から自宅に帰ってくると、表情が弛緩して、疲れた感じになっていたと思うんですよ。よく、母に「顔が弛緩してるよ」と言われたからw
でも、そこに対して何の違和感もなかったし、別にそれを苦痛だと思っていなかったんですよね。学校では多少、「本来の自分ではないもの」を出していたのかもしれないけど、
そこに関して、別に私は何とも思っていませんでした。
それがね、父親が亡くなったり、まあ数千万円の借金があったり、まあそれ以外にも色々つらいことはたくさんあったのだけど、そういうことを経験してみると、
「ああ、自分らしく振る舞うって大事だな」と思うようになったのです。今までは何とも思っていなかった自分自身の振る舞い。
他者といる時の自分の情動と行動の連動性。そんなものには全然興味を持っていなかったのに、精神的につらくなってくると、途端に気にするようになったんですよね。
自分の心と向き合って、嫌な人たちと向き合って、その結果、「自分らしく振る舞う」ということの大切さを学んでしまったというか。笑
とても良い意味なんですけどね。あの時があったからこそ、私は私の取り扱い方を理解したような気がするし、生きやすくなったからね。
うん。
とにかくね、もっと若い時にはわからないかもしれないし、つらいことがないと気がつかないけど、自分らしく振る舞うのは実はとても大切なことなんです。
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自分らしく振る舞えない理由
良い人であろうとする
私たちが自分らしく振る舞うことができないのは、「良い人であろうとする」からだと思うんですよね。
人間は誰でもやっぱり良い人が好きなような気がするじゃないですか。優しい人の周りには常に人がいるし、温かい心を持った人は誰かも好かれる。
そうなってくると、やっぱり「私も良い人だと思われたい」と感じてしまって、自分らしく振る舞うことが出来なくなってしまうような気がするんですよ。
どんな時でも良い人であることなんて、誰も出来ないことだと思うんだけどね。それをやろうとするのもまた人間なんですよ。
自意識が過剰になっている
自意識が過剰になっている人も多いな、と思っています。自分らしく振る舞うことで、「こう思われるんじゃないか?」みたいなね、そういう考えの人って多いんですよ。
ほら、笑っている人がいたら、「あ、俺が笑われた」と感じるタイプの人です。でもね、人間なんて、案外他人のことなんて興味がなくて、誰も覚えていないんですよ。
じゃあ聞くけど、学校でさ、「他人がやっていた失敗」をすぐに思い出せますか?出せませんよね。
まあ、思い出したとしても、1つくらいでしょ?だから、案外自分のことには意識がいくけど、それは自意識過剰になっているからであって、他人は自分のことを見ていないのですよ。
嫌われる恐怖
嫌われたくないよね。うーん。まあわかる。笑
どうせならやっぱり好かれていたい。でもさ、全員に好かれることなんて絶対に出来ないんですよ。
だって、「好かれている人が嫌い」なんて捻くれた人もいるから。そういう人たちがいるから、行動すれば、誰かからは嫌われるんです。
だから、本当は自分らしく振る舞っても、振舞わなくても、結局は好いてくれる人と嫌ってくる人がいると思うんですけどね。それでもやっぱり「好かれたい」と思って、いや、あるいは「好きでも嫌いでもない」という中間層に入りたくて、
自分ではない自分を演じてしまっているんですよね。自分らしく振舞えばもっと楽に生きられるのに。
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心の形に合わせなきゃね
心には形があるんよ。「まりもはどんな形?」なんて聞かれても、形容することはできないけど、人にはそれぞれ心の形がある。
三角形かもしれないし、四角形かもしれない。例えば、三角形の心をした人が四角形に成り済ましていたらどうだろうか。
最初は良い。でも、だんだんと三角形の「角の部分」が当たってきて、痛くなってくるんですよね。
で、それがストレスになる。うん。
これを私は、私が大きなストレスを感じていた時に、発見したのです。中身が三角形だったら、外見も三角形じゃなければいけないのですよ。
丸だったら丸が良い。本来の自分ではない形になろうとする人は非常に多い。自分らしく振る舞うことを放棄して、「他の誰か」や「なりたい誰か」を演じたりする。
例えば、私はよく、国語の「音読が得意だ」なんて嘘を学生時代についていました。でも、大嫌いです。本当に苦手です。
ダメなんですよ、やっぱり。自分の心の形とは違う外見を演じても疲れるだけです。
もっと素直に生きてみれば良い。
あれだよ?別に、「ダメな部分をそのままにしておいて良い」と言っているわけじゃないよ。
そうじゃなくて、「ダメな部分を認めた上で、変わってみようよ」ということです。自分らしく、自分の形に合わせた上で、理想に近づけば良いじゃない?
もっと楽に生きて良いんだよ。
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