人生に悩む君へ

心の傷は消えないけど、車の中で死んだ父親がいたから今の私がいるよ

本当の意味で、本当に本当に心が傷ついてしまった経験をしたことがある人って本当は少ないんじゃないかな。

特に若い時なんかだと、特に誰かが死ぬようなこともなければ、壮絶ないじめにあうことだってまあ確率的に言えば低いわけで、そんな人はあまりいない。

でも、中にはいるでしょう?

私も自分がそんな人間になるとは思っていなかった。でも、私の父親は車の中で静かに眠っていた。

あの目を背けたくなるようなつらすぎる現実。あの日、私は「もう生きていけないかもしれない」とさえ思った。

人生とは?命とは?何だよ、この世界は。全てを恨んだ。

でも、あの頃のクソみたいな悪夢が今の私を支えていると思う。

 

父親の遺体と対面した時を今でも覚えている

 

心の傷は癒えない。簡単には癒えない。そんなことはドラマとかニュースでは報道されるし、わかっているつもりだった。

でも、実際に私が当事者になってみると、こんなにもつらいものか、と思った。私は今でも父親の遺体と対面した時のことを覚えている。

警察から連絡があったのは午後の15時くらいかな。そこから母親と合流して、従兄弟が私たちの自宅まで車で迎えにきて、車で警察署に向かった。

父親の遺体は既に警察署に運ばれていたからです。

で、いよいよ対面した。対面する時までは、何だか現実かどうかもわからなくなっていて、「こんな時こそ食べなきゃ」とか言って、道中のサービスエリアで買った菓子パンを2つくらい食べた気がする。

うん。でも、やっぱり対面するとダメだね。虚しさと同時に「怒り」さえもわいてきた。

 

なんで死んだの?」って。そう思った。冬の寒い日に何時間も外に出てしまい、凍えた時のように、身体が冷たくなった。父親の身体も冷たかったけど、私の身体も冷たくなった。

私の心臓は絶対に動いているはずなのに、心の中の何かが壊れたような気がした。冷たかった。凍っていた。

人間ってさ、死んでしまうと本当に驚くほど冷たいのよ。どんなに優しい人でも、どんなに筋肉があって強い人でも、死んでしまったら冷凍された魚みたいに冷たい。

まるで「人間」じゃなくて、「モノ」みたいだった。むしろ、父親は本当に人間だったのだろうか?いや、そもそも私の父親だったのだろうか?

そんなことさえも疑いたくなるほど、人間らしくなかった。遺体を触ったことがある人なんてあまりいないよね。でも、私は触った。車で死んでいた父親の遺体を。

心の傷は癒えない、なんて聞いていたけど、癒えないとか癒えるとか、そんな簡単な言葉で形容できるほどの体験ではなかった。

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傷は何年経っても癒えないけど、変わるものはある

 

自分の父親が死ぬなんて思っていなかった。「人間はいつか死ぬものだ」ということは子供の私でもわかった。

きっと、みんなもわかっていると思う。だけど、どこか第三者的な目線で「」というものを捉えていたのだろうね。

私は父親が死ぬ日なんて考えることができなかった。元気で強くて、お金を稼ぐ起業家の父親を見て育ってきたから、私には考えることができなかったのです。

いつも豪快で、優しかった父親が死ぬ日がやってくるなんて私には思えなかった。

でも、その日が突然やってきた。車の中で、シートを倒した状態で眠るように死んでいたらしい。幸い、自殺でも他殺でもなかっただけマシだった。

ただ、それでもやっぱりつらかったよね。自分の父親がいないということ。それは自分がこの世界に存在する、いや、誕生した証明書を1つ失ってしまったようなもので、

私の命そのものの存在を否定したくなった。それくらい大きな出来事だったんだよね。

 

最近になって私のブログとかYouTubeを見た人たちは、「ただ人生楽しいだけの奴か」と思っているのかもしれないけど、そうじゃないんよね。

まあそんな細かく言うつもりはないけど、つらい出来事はあった。

でもね、傷は癒えないし、何年経ってもつらいけど、変わるものもあるんよ。それは「父親以上に頑張ろう」と思えた点ですね。

父親はいつも頑張っていたけど、私もそれ以上に頑張っています。それは父親が死んでしまったからだと思うんですよね。

あの事件がなかったら、私は今このステージにいないかもしれない。インターネットの世界にもいないだろうし、何ならサラリーマンのままだったかもしれない。

だからね、あの頃の心情と今は少し違うんだよ。

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もう誰かの悲しむ姿を見なくて良いんだという安心感

 

両親がいて、自分がある程度長生きするということは、両親のどちらかがどちらかを看取る場面に遭遇することになるということです。

だから、つまりね、だいたいの人は母親かな?の悲しむ姿をみることになるわけですよ。1年程度では傷は癒えない。何年も暗い家庭が続くこともある。

結構大変なんですよ。

そういう面を考えると、私は「もう誰かが悲しむ姿を見なくて済むんだな……」と安心した記憶もある。父親が亡くなってしまって、悲しむ母親の姿。

それをみているのがつらかった。でも、父親が死んだということは次に死ぬのはだいたい母親なわけで、後は私が個人的に悲しめば良いだけじゃないですか。

それって楽なことだよな、とも思ったんですよね。

 

心の傷はいつまでも癒えない。いつまでもどこまでもしつこく取れない魚の匂いみたいに残ってしまうようなものなのだけど、

でも、失ったものばかりではなくて、「もう誰かが悲しむ姿を想像する必要はないし、最強じゃんか」とも思えたから、そういう意味では超ラッキーだったりもするのよね。

何ももう失うものがない人とか、悲しむものがない人というのは強いんですよ。だからね、まあ誰でもどちらかの親が悲しむ姿は経験するわけだから、そういう意味では良かったのかな、とも思うよ。

ドライだね」と言われるかもしれないけど、正直そう思うもん。

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呼吸をして世界を感じて、前を見て

 

あの頃を思い出すと吐き気がする。嫌で、つらくて、思い出したくもない。だけど、父親が亡くなった父親が夢に出てくる6月の不思議。でも書いたけど、面倒なことにたまに夢に出てくるんですよね。

父親が出てくると、毎回私は、「大丈夫?心臓もうすぐ止まっちゃうよ?僕はお父さんの心臓が止まることを知っているから、早く話そう?時間がないんだ!」と叫んでいる。

同じ夢を何度も見た。嫌になるくらい見た。もう20回くらいは見たと思う。

母親も、「あら?この子どうしたの?」という感じの反応を夢でしてくる。でも、私は知っている。「もうすぐ死んじゃう」ということを。

うん。面倒だけど出てくるわけですよ。やっぱり心の傷は癒えないのかもな、と毎回思う。

でもさ、私は生きていて、こうやって好きなことをやっているわけですよ。まあ、お金をたくさん持っているのか?と言えば、そんなことはないけれど。

でも、こうやって呼吸をして、この世界を感じて、前を向いて生きています。この地球という星で地球の酸素を吸って大地を、自然を、そして命を感じている。

 

私に何が伝えられるのかわからないけど、雨の日も風の日も、楽しき日も病める日も、私はどんな時でもここで「誰かの心が楽になる言葉」を書いているつもりです。

Googleの評価なんてどうでも良い。誰かの心が少しでも楽になれば、それで良い。

そんな風に生きているのは父親の出来事があったからだと思っているよ。今はもうお墓の前でしか会うことができない。

目を開けて、赤い顔をして怒っている父親も見ることはできない。でも、それで良いよね。受け入れるしかないのよね。

私は強く生きていきたい。そして、同じようにこの世界で苦しむ人たちの支えになれれば良いな、と思っています。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、本当にそう思っているよ。

心の傷は癒えないのかもしれない。この先も何度何度も父親を思い出してはつらくなる。命について、自分について、考える。

でも、あのクソみたいな現実があったから、こうやって発信している。人生をかけて生きている。そう思うんです。

クソみたいな現実だって悪くないよ。落ちた分だけ力になるから。目を真っ赤にして必死に生きたあの頃があるから、誰かに優しくなれるんだ。

ああ、この世界は素敵だなあ。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。