批判される人間になりたいな〜なんて思ったことは1度もありませんよ。きっとどんな人間でも誰かに好かれたいと思っているし、愛されたいと思っているはず。
会社をやっていたり、ブログをやっていると、やっぱり批判されることはたくさんあって、まあ想像している以上にひどいことを言ってくる人もたくさんいるわけよ。
もうね、「死ねよ」とかそういう感じのストレート表現だけじゃなくて、もっと陰湿な感じのことがたくさんあるわけ。
でもさ、それでも私は批判される人間側でいたいな、と思う。どうせ生きるならそっちの方が楽しいと思うから。
批判される時の状況
お金を稼ぎ出した時
お金を稼ぎ出した時ってね、「良いね〜」と言われる一方で、「ずるい」と思われていたりもするわけですよ。
人間って怖いものです。表では綺麗なことを言ってきても、裏では何をしているのかわかりませんからね。
稼いでいない時には、「清貧」みたいな印象を与えることができるので、批判されることもない。でも、稼ぎ出すと、「稼いで調子に乗っている」という風に見られるんですよね。
私レベルなんて全然稼いでいないも同然のようなものだけど、もっと上の人たちは年収で1億円とか稼いだりもしているわけでしょう?
そうすると、やっぱり「批判される人間」として標的になってしまうことだってありますよね。羨ましいという感情だけだったら問題がない。
でも、そこには往々にして「ずるい」という感情が内包されがちです。
ほら、ブロガー界隈で言ったらさ、ヒトデさんなんて収益報告をオープンな形ではしなくなったじゃないですか。
あれも、「怖いメッセージが来るようになったから」でしたよね。笑
お金を稼ぎ出して、それを公開したりすると、だいたいロクなことがないわけです。
普通の人とは違うことをやっている時
まあね、本当に不思議なんだけど、やっぱりあるんだよね。みんなはね、「変わったことをやっている人」が好きだけど、嫌いなんですよ。
「面白いから見てみたい」という気持ちはあるのかもしれません。でも、普通の人とは違うことをやっている人を見ると、「なんであいつはおかしなことをしているんだ!」となるわけです。
例えば、30代でYouTubeをやっている人を見つけたら、「この人は30代なのに働きもせずに変なことをやって……」と批判する人だっている。
ブログであれば、「ブログなんていう何も生産しないものをやって、情報弱者からお金を取っているだけだ」みたいなね。
そういう批判があるわけですよ。でも、それはブログでもYouTuberでも同じで、「人と違うことをやっているから批判したくなる」のです。
サラリーマンとして働いて、汗水垂らして働いていれば、何も言われません。批判される人間というのは、人と違うことをしている人物なのですよ。
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批判されるということはそれだけ努力しているということ
まあね、批判されるということはそれだけ努力をしているということでもあるんですよ。だからある意味では嬉しいことでもあるんですよね。
あのね、よく、「炎上が怖い」と言うけれど、炎上なんて簡単にできるものでもないんですよね。むしろ炎上するようになったら、「相当すごい」と思った方が良いです。
まあ、コンビニのおでんで遊んだりとかね、そういう過激なことをやれば別だけど、後は犯罪系のこととかね。
でも、そうじゃない限りは批判される人間になること自体は凄く難しくて、1万人に1人も批判されないんじゃないかな?とすら思う。ほら、周りでも炎上している人っていないでしょ?
普通の人はいないわけですよ。だから、批判される人間になっているということはそれだけで大きなことというか、大きな価値を持っていると考えた方が良い。
例えばさ、みんなはよく「この芸能人って何が良いのかわからない」とかって言うじゃないですか。でも、それはある程度その人が有名になったから言うことであって、
路上で歌っているどこの誰かもわからないアーティストに「あの人はなんで人気があるのかわからない」なんて思わないでしょう?
まあ、優里くんくらいの路上アーティストになってきたらわからないけど。笑
批判される人間にもしも今なっているのであれば、それは「面白いことをやっている」ということです。賛否はあるかもしれないけどね。
一生懸命生きているから、一生懸命頑張っているから、批判されるわけですよ。
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どうせこの身体もいつかは消えるわけだし
批判されたいとは思わないよ。批判される人間になりたい人なんてやっぱりいないしさ、私も平穏な生活が欲しい。
でもね、やっぱりそれでも発信し続けたいわけですよ。最近、始めた「YouTubeチャンネル」も同じです。自分が生きた記録としても残しておきたいというかさ。
うん。だからこれから先も発信し続けるよ。
どれだけ批判される人間になったとしても、私の身体はいつか消えるわけじゃないですか。いつか死ぬから「人生という名の祭り」で踊り狂う。でも書いたけど、
どうせ私の身体なんていつかは灰になるわけです。どこかの誰かが私のことを好きになってくれたとしても、どこかの誰かが私のことを大嫌いになったとしても、いつかは死んでしまう。
明日かもしれないし、1年後かも、100年後かもしれないけど、私はいつか死ぬ。そう考えたら、この世界にいられるうちに精一杯批判される人間になっておこう、と思ったんです。
どれだけ批判されても、最後にはいなくなっちゃうんだから。だったら、この世界で好きなだけ暴れて、好きなように遊び散らかした方が楽しいでしょ?
誰かを批判している時間には何の意味もないけど、批判されている時間であれば、まだ意味があると思うからさ。
それだけ何かを一生懸命やっているということだと思うから。
たまに「批判家」みたいなことを名乗っている人もいるけど、批判家みたいな人になるくらいだったら、批判される側になってみれば良いのに。
そう思うこともあるよ。笑
まあさ、どうせいつかは死ぬわけだし、それまで精一杯遊び散らかしたいと思います。
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