人生に悩む君へ

残りの人生で私は何が出来るだろうか?なんて考えても無駄なんよな

残りの人生で私には何が出来るのだろうか?と考えてしまう人がいる。

でも、それは無駄です。なぜなら、「残りの人生」なんてあなたには予想することができないから。

私の父親も何年か前に亡くなってしまった。人間ドックの結果も良かった。なのに、突然死んでしまった。そういうものなんですよ。

驚くほど瞬間的に死んでしまう。非予定調和的にいやくなる。

死刑囚でさえ、「死ぬ前のタバコ」が吸えるのに、私たちは自然死した場合は何もできなくなってしまう。

だからね、その時その時を最高に楽しむしかないんよな。

残りの人生で何が出来るのか?は意味がない

何年で出来るのかなんてわからない

残りの人生で何が出来るのだろうか?と考える人がいるけどさ、そんな「壮大な夢」を「何年で」達成できるのか?がわかるのかな。

私は疑問です。例えば、「上場してやるぞ!」と夢を見た人がいたとしよう。何年後だろうか?そりゃ、テキトーに予想することは出来るだろうけど、実際には無理だよね。

フェルミ推定と同じじゃんか、それ。

売上なんてその時の状況にもよるし、自分だけの問題ではないからね。

残りの人生で何が出来るのだろう?と考えたところで、結局は未来の成功なんてわからない。どれだけの時間をかけてできるものなのかなんてわからないものなんですよ。

1年で成功するYouTuberもいれば、10年で成功するYouTuberもいる。未来の成功時期なんて神様にしかわからないと思う。

残りの人生なんてわからない

さっきも言ったけど、残りの人生なんて誰にもわからないわけです。

プラスの未来もマイナスの未来も予想することが出来ない。

例えば、「12月24日にガンで死にたい」と思っても、死ねない。命なんてそんな都合の良いものじゃないんですよね。

自死を選択すれば、残りの人生を決められる。でも、もしもそうじゃなかったら、残りの人生なんて誰にもわからないわけですよ。

残りの人生で何ができるのか?と考えてみるとしよう。1年以内にはこれをやって、2年後にはこれをする。予定を立てるじゃない?

でも、その道中で死んでしまうかもしれない。自分の人生なんていつ終わるのかわからないものなんですよ……。

残りの人生?何よ、それ。「残り」というのは明確に見えているから「残り」であって、見えないものに対して「残り」なんて概念はそもそもないんじゃないのかな、と思う。

りんごも半分に切ったら「もう半分」が残りになる。でも、形がなければ「残り」なんてものはないでしょう?

わかるかな?哲学的な表現になっちゃったけど。

関連記事:「今日が人生最後の日」と思って生きている。

その時に感じた「やってみたい」を大事にね

 

残りの人生で何が出来るのだろうか?と考えると、極端な話、何も出来なくなってしまう。それは「これで本当に良いのだろうか?」と悩むからです。

だから、その時に「ちょっとやってみたいなぁ」と思ったことを全てやっていくしかないわけですよ。

周りが「節操ないなあ」と言ってきたとしても、やりたいことはやってみれば良いと思う。

私だったら、旅チャンネルを始めたけど、それはふわっと「やってみたいなー」と思ったから。一生続けるのか?なんて知らないよ。わからない。

でも、その時に「やってみたい!」と思ったからやるわけです。もちろん、その時には「残りの人生で…」みたいなことも1mmくらいは考える。

ただ、人生なんて大きなものばかり考えていても、何も出来なくなってしまうので、私はなるべく考えずに本能的に動くようにしているのです。だって、どうせ死ぬわけだからさ。笑

良い意味でね。

有名な画家になろうが、無名の画家だろうが、ホームレスになろうが、自分の命のリミットなんてものはわからないのだから。

いつどうなるのかわからない。だから、その時にやりたいことを精一杯やって欲しい。死ぬ時に後悔しないようにやって欲しいのです。

私も後何度、職業を変えるのかな?と思って生きているよ。笑

次は小説家になるかもしれないし、ジャーナリストになるかもしれない。考古学者になるかもしれない。

関連記事:どうせ死ぬんだから、笑った回数が多い方が良いじゃないか。

100歳になっても200歳生きるかのように挑戦する

 

例えば、私が100歳まで生きることができたとしよう。もしも、そんなことができたら、100歳になっても頑張るんだろうな、と思うよ。

その時はその時にならないとわからないけど、「残りの人生」なんてものはどこにもなくて、結局は「」と「」だけなんですよ。

だから、「オペラ歌手になりたいな」と思ったら、私は100歳にしてオペラを勉強するかもしれない。

120歳にして美容院を経営しているかもしれない。何をしているのかなんてわからないけどさ、私はその時を楽しみたいのよ。

終わり」を良い意味で意識することは良いことです。でも、最近は「終わりの概念」にあまりにも縛られているんじゃないかな、と思うんだよね。

その時にやりたいことを思ったようにやれば良いだけなんですよ……。

なのに、残りの人生は……とひたすら考えてしまう。良い意味での「終わり」は大事だけどね。考えてばかりでもダメなのよ。

 

自分の人生なんて人に危害を加えなければ何をしても良いのだから、もっと自由に、思うままに生きれば良いのです。

私の人生も、このブログを見ているどこかの誰かの人生もこの後どうなっていくのかなあ。

関連記事:誰にも認められない人生だったとしても、それで良いじゃんと笑おうよ。

ABOUT ME
水瀬まりも
水瀬まりも
月間30万人が読む「テトラエトラ」というメディアブログ運営/4つの会社の経営者、役員(人材会社、広告代理店、映像、不動産)/大学生の頃に父を亡くしビジネスの世界へ/前向きに生きることができる言葉を綴っていくよ。「ぼくのとらべる。」というYouTube旅チャンネルもやってるよ。