ネガティブな言葉って基本的には使わない方が良いような気がするんですよね。
「ネガティブは吐き出さないと!」みたいなことを言う人も多いし、その気持ちもわかるのだけど、
私はね、できるだけネガティブな言葉を使わないようにしているのです。
世の中からネガティブな言葉が消える日は永遠に来ないよ。そんな不思議な日はやってこない。
でも、ネガティブな言葉を使わないことはできるはずです。
だったらさ、できるだけネガティブな言葉を使わないように生きていこうよ。ネガティブな言葉が自分の身体から消えるように。
私はネガティブな言葉を使わない
相手の気分を下げる
ネガティブな言葉を使うとさ、そもそも相手のテンションが下がるんですよね。
例えば、例えば何だろう。1週間後に会社の大事なプレゼンがあったとしよう。そういう人に対して、「プレゼン、失敗したらやばいね」なんてネガティブな言葉を言ったらどうなるのだろうか。
相手のテンションは下がり、相手自身もネガティブになってしまうのではないだろうか。自分がネガティブになるのはまだわかる。
でも、相手の気分さえも変えてしまうものなんですよね……。ネガティブな言葉を吐く相手が全くの他人だったら自分には影響がない。
たださ、これがもしも会社の同僚とか家族だったらどうでしょうか?自分にも関係してくるんですよね……。
「来週のプレゼン、失敗しそうな気がして仕事が手に付かない」みたいなことになってしまったら、会社全体としても悪い影響が出てしまう。
自分の気分を下げる
私はネガティブな言葉を使うと、自分自身もダメージを受けてしまうタイプです。
「つらいな」と思ったらつらくなるし、「嫌だな」と言ったらもっと嫌になる。でも、実はこれって私だけではないのかな?と思うんですよ。
不安な気持ちとか、嫌な気持ちとかって、声に出してみるとストレス発散になることだってあるのだけど、
それと同時に、「ネガティブな状況なんだ」という認識を言葉を通じて脳に伝達させてしまっているのではないか?と思ってしまう。
ネガティブな気持ちは相手だけではなく、自分自身の気分も下げるのです。「俺はできる!俺は天才だ!」みたいに過剰なポジティブさは必要ないと思うよ。
でも、ネガティブな言葉はやっぱり紫色のぐにゃっとした暗い感情を引き起こすものだから、使わない方が良いと思うのです。
過剰なポジティブが良いわけでもない
とはいえ、過剰なポジティブシンキングに偏るのも人間的ではないような気がする。
私たちは「ネガティブな側面」があるからこそ、危機を回避し、生き延びてきたわけですよ。
いじめてくる奴がいたら、「あいつからは逃げろ!」と脳が命令する。
だから、別に「完全なるポジティブ野郎になれ!」と言っているわけではないんです。
明らかにネガティブにしか考えられない状況を捻じ曲げて、「今日は最高の日だな」と思うと、心との差異が出過ぎてしまって、疲れる。
過剰なポジティブ思考になってしまえば、それはそれで自分の精神が壊れてしまうからね。
よく、ネットなんかで調べると、「不安な気持ちは暗示で治る」みたいなことが書いてあったりするじゃないですか。でも、あれは私的には間違っていて、
不安な気持ちの中、「ポジティブ!!!!ポジティブ!!!!」と極端になるのは良くない。
そうやって、鬱状態になってしまう人だっていますから……。もう少しニュートラルな位置に感情を持って来れば良いのです。
そのためにネガティブな言葉を使わないことは大切。ただ、過剰でも良くないというね。
そのさじ加減が何とも難しいのだけど。
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人は言葉に助けられる
歳を重ねたからなのかな。わからないのだけど、私たちが口から吐き出す言葉には大きな力があるんじゃないかな、と思うわけ。
言葉には温度とか重みとか、そういうものがあって、だから、言葉は他人にも自分にも影響するものであって、うん。
何か最近はそんな気がしているんです。むしろ、身体は言葉から構成されているんじゃないかな?とすら思う。
それくらい、私たちは言葉に支配されている。
私たちは生きていると、やっぱり色んな嫌なことに出会うのよ。私だったら、親の死とか、友人からの裏切りとか、会社の借金とか。
1000万円という単位が少なく思えてしまうほどに最近は借金に慣れてきてしまったけどね。でも、やっぱりつらいことはあるんです。
みんなだってあるでしょう?誰にだって、誰にも言えないつらいことの1つや2つはあるはず。いじめとか、鬱状態とかね。
そんな時に助けてくれるのが「言葉」なんですよ。
ネガティブな言葉じゃなくて、ポジティブな言葉にたくさん触れることができれば、人って生きていけるような気がするんです。
世の中には色々な方法があるけれど、結局は言葉なんですよね。
ネガティブな言葉は気分を低下させる黒魔術だよ。うん。