「生きろ」なんてセリフを言われたところで、全く心が動かない。
「生きろ」なんて言うけど、お前は死にそうなくらいつらい経験をしたのか?
ポジティブに生きられる程度のつらさだったんだろう?
そんな風に思っている人がたくさんいるんじゃないかな、と思うのよ。
だって、私自身、本当につらかった時には「お前に何がわかるんだ?」と思ったから。
わかったようなフリをして、善人みたいに近付いてきて、「ウザいんだよ」と思ったこともある。
でも、それでも、そんな私でも、「生きろ、生きろ、生きろ」と言いたいんだ。
「生きろ」なんて言うけれど、現実は厳しかったり
よく、「死ぬ気で生きろ」なんて言うけれど、そんなことを言ってくる人に限って、何の苦労も、死にたくなるほどのつらさも経験していなかったりする。
私なんて親も失くしているし、そこから借金が数千万。いや、トータルだと億まで行った。
笑えるよなぁ。人間って不思議なもので、極限を超えると笑えてくるんです……。
そんな私からしたら、
- 普通に遊べて
- 普通にご飯が食べられて
- 普通に笑える
そんな人たちでさえも、「羨ましい」と思っていた。
現実というものはある時、突然変わるわけではない。いや、ちょっと語弊があった。
絶望的な状況への悪転は一瞬で起こるのに、好転は遅い。
ゆっくりと、ゆっくりと這い上がらなければいけない。まるで、エベレストを登っているような気分。
父が亡くなって、会社の借金もたくさんあった私はとにかく孤独だった。
母は父を失ったショックで私にとってはむしろ「支えるべき人」であって、私の精神的な拠り所と言えば、
1時間だけ行くカラオケとか、誰もいない街での散歩とか。
それくらいだった。
「生きろ」なんて言うけれど、「お前が俺と同じ状況ならどう思うんだ?」なんて思っていた。心臓は自分の意思とは無関係に動いてくれる。
だから生きているだけで、当時の私は「よくこの身体は耐えてくれるな……」と思っていた。
ドラマでは、「父を亡くした苦しみを乗り越えて…」みたいな感動的なストーリーを観る。
それを観て、「ああ、こういう感じだよな」と涙を流した。
みんなもそんな経験があるでしょう?
でも、実際の苦しみは、親の死に関わらず、「その人にしかわからない痛み」なんですよね。
人間ドックにも出ない、不思議な「痛み」があるのよ。形容できない、何とも言えないあの鈍痛。
生きろ、生きろ、生きろ。世の中の人たちはそうやって言うけれど、でも、何だかんだ言って、「生きるのはいつでも超簡単!3分クッキング!」という感じにはいかない。
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世界から置き去りにされているような「あの感覚」が痛いんだ
本当につらい時には、「こうやって、死んでいくのかな」なんてことを考える。
別に死にたいわけじゃない。死にたくはないけど、このまま人生が終わっていく感じ。
寿命から逆算すれば、数字上は「まだ数十年」の寿命があるはず。
それなのに、なぜだか死んでしまうような気がした。
なぜか?
それは「この世界から置き去りにされている感覚」を持ってしまったからだと思う。
世の中は不思議なもので、基本的には「幸せな人」だけが切り取られ、その断片で世界は成り立っている。
不幸せな人は世界の片隅に追いやられて、世界の番人は「そんな人はこの世界におりません」という感じで、世界から取り残されてしまう。
孤独。恐怖。不安。
人間の負の感情と共に、「死ぬかもしれない」という恐怖に襲われる。そんな毎日だったんですよね。
生きろ、と言うけれど、痛みを抱えながら生きていくのはそんなに簡単なことでもない。常に傷があって、歩こうとする度に「ズキンズキン」と傷が痛む。
あの感覚に似ている。痛みはあるのに世界からは遠ざかっていって、何だか気が遠くなるような感覚。
あの頃の私の目は、きっとどこを見るでもなく、ぼーっとしていたのだろうな、と思う。
世間では、可哀想で悲惨な状況の人たちを「悲しみの星」のように扱う。でも、普段の私たちの生活のように、「星」を改めて見る機会はほとんどない。
だから、誰にも相手にされず、ただただ何かに追われて、何かに怯えて、生きている人が多いんじゃないかな、と思うんです。
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でもさ、生きろよな
やっぱり人生なんてものは悲しくて、つらくて、不平等で、無常で。
そんな風に思って、この世界を嫌いになっていた時期があった。私の人生はもっとゆっくりとしたもので、ゆっくりと幸せな道を歩んでいくと思っていたから、
何だか不思議な感じ。父親が亡くなって、借金ができてしまうなんて思いもしないじゃないですか?
彼女からは振られて、結局はサラリーマンも辞めてさ。
何だか激動の毎日なわけよ。
でもね、そんな私でも、「生きろ、生きろ、生きろ」と言いたいのよ。本当に大変な時にはさ、「くだらねえ」なんて思うかもしれない。
わかるよ。私だって思っていたから。心と身体が疲れている時は何もかもがセピア色に見えて、「ああ、生きるのって面倒だなあ」という気持ちになる。
だから、「ハッピー!ハッピー!超楽しい!人生ってサイコー!!!」とだけ言えるような人間ではない。
でも、そんな私だからこそ、「生きて」と言えるような気がする。笑えるほどつらい人生でもさ、私みたいに、「ああ、生きていてよかったな」と思える人間だっているんです。
今がどれだけどん底で、泥沼で、クソみたいな人生でも、生きてみれば変わるものもある。
生きてみて、最高に楽しい気分、最高に幸せな気分になれることだってあるんだよ。綺麗事かもしれないけど、
もう1度言うね。
生きろ、生きろ、生きろ。
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