難しいことを何となく考えてしまう人っているんじゃないかな。自分の将来だったり、親のことだったり、仕事のことだったり。
まあ、ぼーっとしている時とかって意外と考えてしまうもので、「あああああ!!」となってしまうこともあるんじゃないかな。
でも、難しいことを考えるのはやめた方が良いと思うんです。難しいことを考えるべき時だってありますよ。
それはあるけど、なんか疲れちゃうし、難しいことを考えるのはやめた方が良いと思うんです。
もっと気楽に、てきとーに生きてみれば良い。
自分の人生について深く考えるとどうしようもなく疲れる
私は「未来はだいたい明るい」と思っているタイプです。でも、自分の人生について深く考えると、何だか不思議なドツボにハマってしまうような気がしています。
未来は不確定要素の塊。だから、考えれば考えるほど、不安な要素が見つかってしまうわけですよ。
だから、難しいことを考えると、私たちは疲れてしまう。だったら、もう考えなくても良いじゃん、と。
大人たちは、「将来のことをしっかり考えなさい」と、教科書通りの説教をする。でも、将来のことなんて誰にもわからないじゃないですか。
私は将来のことを真剣に考えていることは大切だ、と思っています。ただ、同時に、将来のことを真剣に考えすぎている人は不幸な人生を送るんじゃないかな、とも思っている。
将来について考える必要はある。ただ、あまりにも真剣に考える必要はないんじゃないかな。
難しいことを考えるのをやめれば良いんです。難しいことではなく、もっと人生をシンプルに生きることだけを考えていれば良い。
例えば、5年後の自分を考えたら、不安な未来を思い浮かべてしまうとしよう。だったら、考えなければ良い。
今この瞬間を「楽しい」と思えたらそれで良いじゃないですか。他人からすると、「なんて無計画に生きているんだ」と思えるのかもしれない。
でも、結局は幸せに生きたもん勝ちじゃないですか。将来のことをたくさん考えて、「これもしなきゃ、あれもしなきゃ」と焦りつつ、病んでしまうくらいだったら、
難しいことを考えるのはやめた方が良い。もっと楽に生きた方が良い。
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考えてどうにかできる程、私たちは有能ではない
難しいことを考えていた時期もあったんです。でも、難しいことを考えたところで、私には難しいことを処理するだけの力がなかったんですよね……。
力不足です。人生の力不足。
だから、どうやっても、どんなに深く、強く、難しいことを考えたとしても、私は目の前の問題を処理することができない。
少なくとも、私には無理なんです……。
だったら、やめてしまった方が良いんじゃないかな、ってね。極端な考え方なのかもしれないのだけれど、私には難しいことを考えるだけの力がない。
「お!これが問題か!」とわかったとしても、私は嫌な気持ちになるだけで、何か解決策を思いつくことはないのです。
だったら、最初から考えない方が良いじゃないですか。シンプルな話さ、私もみなさんも良い意味できっとお馬鹿だったりするんです。
まあさ、有能な人だって中にはいるけれど、基本的には自分では何もできないじゃないですか。
例えば、処理することのできる能力を持っていたとしても、常に処理することができるわけではない。メンタルがやられている時には、処理することができない場合だってあるでしょう。
難しいことを考えた結果として、問題だけが残ってしまったら、それはそれでストレスになる。だから、考えない方が良いんです。
思考を止めるのも1つの手段です。生きる力です。
無駄に考えるよりも、考えずに、馬鹿な自分のままで生きてみた方が幸福度が上がるような気がするよ。
今日という何でもない1日を過ごそう
私たちはついつい頑張ってしまう。思考してしまう。難しいことを考えてしまう。でも、将来の難しいことを考えるよりも、今日という何でもない1日を一生懸命過ごしてみた方が楽なんですよね……。
今日という日は何でもない1日かもしれない。将来の難しいことを考えている人たちからすれば、「単なる1日」に過ぎない。
来たるべき栄光の未来への道程。
でも、そんな何でもない1日を一生懸命、馬鹿みたいに生きてみるのも悪くないんじゃないかな。
仕事に行って、上司に怒られて、「なんだあのクソ上司がよ!」と思いながら、ラーメン屋に入って、「マシマシ」で爆食い。
で、次の日には「ちょっと体調が悪いんで、休みます」なんて言って、欠勤。それでも生きる。難しいことを考えることなく、何げない1日を一生懸命馬鹿に生きる。
そんなもので良いんですよ。その方が幸せだったりするんですよ。
難しいことを考えるのはやめよう。もっとシンプルに生きよう。人間的でいよう。私もあなたも生身の人間なのだから、地球に住んでいる「人間」という動物なのだから。