人生に悩む君へ

自分という存在の不思議さを語ろうか。

自分という存在を私たちはどう感じているのだろうか。そんなことをよく考える。私は私として生まれてきたわけだけど、私は何者なのだろうか。

そもそも、私は「人間」という括りの中に入れられているのだけれど、本当に人間なのだろうか。

姿、形から、私たちは「目の前の動物がどんな動物なのか」という分類をする。カテゴライズするわけです。

でも、「姿、形から分類しましょう」なんてことは、分類される側の存在である私たち人間が決めていること。

だから、もしも、「怒りっぽい人を人間という種類にしよう」と決めつけたら、どうなるのだろう。もしかしたら、私たちは人間ではなくなってしまうかもしれない。

うん。

そうやって考えていくと、自分という存在自体がわからなくなってしまったりする。不思議なものだ。

 

神様という単位で語られていたのが私たちじゃないか?

 

17世紀前半までは、人間は「神様の操り人形」だと思われていた。いや、言い方が悪い。神様のもとで生きていたような感覚を持っていたのです。

でも、それ以降は、神様から解放され、私たちは「1人の人間」という個性を持つようになった。神に依存する生命体ではなく、独立した「個」を手に入れたのです。

ここまでは世界史で習う内容だよね。ん、現代文かな。

一見、これは私たち人間の解放のように感じる。なぜなら私たちは神様のもとでしか生きることができなかったから。

」というものはなく、自分という存在は全て神様に依存していたのです。でも、私たちは神様から解放されたことで、より「私たちは何者なんだ?」と、考えるようになってしまったのではないだろうか。

もちろん、形而上学的な思考が排除された結果、科学が発達した。自分たちの住む世界を理解するために、科学者たちは必死になって考えた。

大きな進歩です。でも、私たちは1人立ちをさせられるようになって、本当に幸せを得たのだろうか、と疑問に思うことがある。

私は特定の宗教を信じているわけではないし、洗礼を受けているわけでもない。そうではないけど、自分という存在を理解するためには、

解くことのできない「X」が常に存在している。だから、変数を定数にしてくれるような、そんな便利な存在がいてくれた方が、私たちは幸せだったのではないか、と思ったのです。

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私はいつ生まれ、何のために生まれたのだろうか

 

私たちは生まれた時の記憶を持っていない。母親の子宮の中で育ち、なぜか生まれてきた。「苦しい」という記憶もなければ、「神様、次の世界へ行ってきます」とも言っていない。

気がついたら、日本という国で生まれていて、親がいて、家があった。こんな不思議なことがあるのだろうか。

よく、年齢の話をすると、「ああ、まだその頃はまりもは生まれてないよ」みたいなことを言われる。

誰もが当たり前にする会話ですよね。40歳くらいの人が、「俺が20歳の時に生まれた人がもう大学生でしょ?すごいよね」みたいなことを言う。

 

それを誰もが、「ふむふむ」と、何でもないような感じで聞いているのです。でも、そういう「生まれた時の話」を聞いていると、

自分は何者で、何のために生まれた来たのだろうか」と思ってしまうんですよね。自分という存在は不思議です。

私たちは生まれて来る前の記憶がない。ヒトラーがユダヤ人を殺害していたことも、広島に原爆が落ちたことも実際には知らない。

そう考えると、何だか不思議。もしも、周りの人たち全てが完璧な「演者」だったとしたら、もしかすると、私は盛大なドッキリにかかっているのかもしれない。

そんな馬鹿げたことまで考えてしまうことがある。それくらい、私たちの命とか、身体って不明瞭なものなんじゃないかな。

私はいつ生まれ、何のために生まれたのだろうか。

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生きている実感を得るために私は今日も旅をする

 

私が旅をするのは、「生きているという実感を得るため」じゃないかな、と最近は思っている。

長い距離を歩いたり、帰ってこれなさそうな場所を歩いていると、「ああ、生きているんだ」という感じがする。

何とも言えない感覚だけど、旅をすることによって、自分が踏んでいる土とか、景色とか、人とか。そういうものを内側に吸収しているんじゃないかな、って。

 

自分という存在を証明するものなんて何もない。私がどれだけ成功したとしても、どれだけブログのアクセス数が伸びたとしても、そんなことは命には何の関係性もなくて、

それでも世界はずっと動いていて、止まらなくて。

不思議だよね。でも、私はその「不思議な感覚」と遊んでいたい。遊ぶために、ずっと旅をしている。

 

自分の命や自分の存在の意義を探す巡礼路。そんな感じかな。格好良いものではないけどね。

私は自分という存在の意味とか意義とか、生きている実感とか、そういう見えないものをずっとずっと追いかけているんです。

見つかるのかはわからない。でも、この世界を精一杯生きてみたい。精一杯世界を旅してみたい。

そう思って、今日も明日も頑張るよ。いつも読んでくれてありがとう。

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水瀬まりも
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