世間では、「真面目に生きる」ってことが大事なことだとされているよね。真面目にサラリーマンとして働いたり、真面目に結婚したり、家族を守ったり。
まあ、とにかく「真面目」であることの価値って凄まじい。真面目への崇拝は凄いよ。震える。
上司だって、親だって、教師だって、「真面目に生きなさい」と言う。学校の授業でも、「真面目な子は偉い」と言われてきた。
逆に私の小学校時代なんて、名札も忘れるし、授業中はおしゃべりばかり。だから出席簿で頭を殴られたりした。笑
まあ、そのプラスチック製の出席簿は私の石頭のおかげで割れましたけどね。へへへ。笑
でも、真面目に生きるって何だろう……。そう思いません?真面目に生きないくらいで実はちょうど良いんですよ。
適当に生きれば良いじゃないですか。自分の好きなように生きてみれば良いじゃないか。
私はそう思う。
真面目に生きると疲れるぞ
真面目に生きない方が良い、と言うと、「なんてひどい人間なの?」なんて思う人もいるんじゃないかな。不誠実で、何に関しても真面目に取り組まない、クズ人間だな、と思う人もいるでしょう。
まあ、言ってしまえば私は割とクズ人間かもしれない。そこは認めよう。少なくとも真面目で良い人間ではないよね。
でもね、真面目に生きすぎると、疲れるんですよ。学生時代には「良い成績を取りなさい」と言われ、社会人になってからは「上司に気にいられなさい」と言われる。
学生時代は成績が良ければ先生たちは褒めてくれるし、社会人になったら上司の言うことを従順に聞いて、仕事を真面目にやっていれば褒められる。でも、何か窮屈なんですよね。
最近は副業の時代だから、プライベートでも、「生き残っていくためには副業をしなければいけない」なんて言われる。まあ、私のブログでも同じような発信をしている。
もちろん、大切なことではあるよ。やっぱり真面目に勉強したり、真面目に何かに取り組めば良いことだって起こる。
起こるけど、疲れない?
真面目に生きることができるなら、それでも良いよ。健康な身体と健康な精神で、生きていけるなら別に良い。
でも、私は無理です……。毎日、毎日頑張ったら、努力が報われる。だから、努力を否定するわけじゃない。
ただ、私は真面目に生きすぎるのはどうなのかな、と思ってしまうわけです。毎日一生懸命になるのも大切だけど、たまには疲れちゃう時もあるでしょう?
「疲れた。もう何もしたくない」と思う時だって当然あるじゃない?例えば、彼女に振られた夜なんてさ、もう何もしたくないし、電車で肩を当てられた日には何となく嫌な気持ちになって何もしたくなくなる。
そんな時には、もう何もかも投げ出しちゃって、自分が背負っているものからも解放されて、逃げてみるのも良いじゃない?
世間的には、「不真面目だ」と言われるかもしれない。だけど、そんなどうでも良い世間体よりも、自分の幸せの方が大切ですよ。
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社会に出るとみんなが真面目で疲れるんだよなあ
私は経営者でもあるのだけど、決して「超真面目な経営者」というわけではない。むしろ、周りの人の方が真面目だったりするんですよ。
学生の時は、「変人」なんて言われていた人でも、社会に出ると、めちゃくちゃ真面目に働いていたりするじゃないですか。
「全然変人じゃないじゃん」と、私は裏切られた気分になる。私だけ置いてけぼりにされた気分になるよ。
「この前までは同じ属性だったじゃんか!」と憤りすら感じる。不真面目を装っていた人たちが、「ごめん!俺、本当は真面目なんだわw」という感じで、私の周りからどんどんいなくなっていったような気がした。
だからね、社会人になってみると、意外と息苦しかったりするし、意外と「真面目にならなきゃ」と思ってしまうものなんです。
家族とか、仕事とか、色んなものを勝手に背負うようになって、「理想の大人」みたいなものになろうとするんですよ。
恵比寿とか銀座あたりの「行きつけのバー」みたいにさ、連れていく人間にならなきゃいけなくなってくる。
六本木とか銀座にいそうな、「イケてる大人」になろうとする。でも、そんなことをしなくても良いんです。
真面目に生きないくらいで私はちょうど良いと思っています。
真っ直ぐ生きることは大切だけど、真面目に生きる必要はない。ちょっと不真面目でも良いんです。
「見えない何か」を背中に乗せる必要はない。見えない何かと戦う必要だってないんです。
社会に出てみると、思っていた以上に周りの人たちが真面目に頑張るから、私は疲れてしまう。誰もが迎合して、「真面目に、普通に生きる」を大事にする。
でも、そんな環境だからこそ、頑張る必要はないんです。真面目に生きないくらいがちょうど良い。
テキトーくらいで良いんですよ。何でもね。
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どうしようもない大人になろう
あれですよ。犯罪をしようとか、浮気しようとか、そういうことではないんです。でも、今の人たちってやっぱり真面目に生き過ぎているような気がしてしまうんですよね。
昔は社会で生きていけなくて、グレてしまったヤンキー集団とか、半グレみたいな人たちがいたじゃないですか。
六本木のフラワーの事件だって、バルビゾンビルの事件だって、やっぱり社会とはうまくやっていくことができなかった人たちが起こしてしまった事件。
もちろん、それは悪いことです。でも、何かこの時代は、「清らかさこそ全て」みたいな感じがして、私は何だか息苦しい。
人間はきっとそれぞれに色を持っているものなんですよ。怒りっぽい人もいれば、病んでしまう人もいる。社会に反抗する人もいる。
それなのに、一元的なシステムでまとめようとする今のこの感じ。私はちょっと好きになれない。
そりゃ、「真面目で綺麗な心を持っていて、誰にでも好かれる人」が最強に決まっているじゃないですか。でも、人間だからそんな完璧な人だけじゃないわけですよ。
みんなだってそうでしょ?完璧ではないはずです。
真面目に生きないという技術も大切なスキルの1つだと思うんですよね。生きていく上では重要なことだと思う。
どうしようもない大人でも良いじゃない?格好良い大人ではいたいけど、同時にどうしようもない大人でもいたいじゃない?
それくらいでいた方が、きっと心は楽になれると思う。何もかもを完璧にこなすことなんて、私たちは人間なのだから、無理なんです。
神様が私たちを作ったのかもしれないけどさ、それでも、私たちは風邪を引くし、病気にもかかるし、死んでしまう。
完璧な存在じゃないのよ。だから良い。もっと楽に生きれば良いんです。
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