川が好きな人ってどれくらいいるのだろうか。川が好きで見に行く人って実は多いんじゃないかな、と思っている。
誰しも1人になって考えていたい時があるじゃないですか。自分がつらい時、悩み事がある時、何となくモヤモヤする時。
そんな時に私たちは何となく川を目指し、自然と触れ合うのではないでしょうか。私もその1人。
子供の頃から川に馴染みがある地域に住んでいたわけではないのに、なぜか好きになってしまったんですよね。
いつのまにか「川が好き」で川が「居場所」にもなっていたような気がする。そんな私の川談義。
何でもない話だから、つまらなさそうだな、と思った人はここで閉じてね。うん。大した話はしていないから。
川沿いには誰もいないから良いんだ
川が好きなのはね、川沿いには誰もいないからだったりするんですよ。川沿いってさ、基本的には誰もいないんですよ。
私なんか22時とか23時とか、割と遅い時間に行くから、ほとんど誰もいない。いるとすればジョギングをしている人くらい。
ジョギングをしている人もすぐにいなくなってしまうから、誰の目も気にせずにまったりとすることができるんですよ。
川好きな人以外にはわからないかなあ。わからないよね。
なんかね、もう切れてしまいそうなネオンとか、夜の遊園地とか、そんなところを自転車でサーっと過ぎていって、川に向かうのです。
そんな道中も何となく好きでね。誰もいない商店街とか、うん、何か好きなんですよ。
都内に住んでいると、常に人がいて、静かな場所を探すことって実は難しいのです。歌舞伎町なんてさ、朝から夜までずっと人がいる。
そんな大都市東京に住んでいるからこそ、私は静かな場所を探して、まったりとしたいのです。
地方都市に住んでいたら、川が好きになることもなかったのかな。もっと他のものを好きになったのかもしれない。
私が川を好きになって、川に行って星空を見たり、夜風に当たったりするようになったのは、都会の喧騒の中で過ごしてきたからかもしれないな。
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誰にでも居場所は必要
きっとさ、私たちには居場所が必要なんですよ。強靭な精神と肉体を持っているのであれば、居場所なんて必要ないのかもしれない。
でも、この世界には「強い人間」なんてものは多くはないじゃない?本当は弱い人間ばかりの世界だと思うのですよ。
だから、そんな私たちには居場所が必要なんです。私にとっては「川」が自分だけの場所で、居場所みたいになっていたから川が好きだった。
でも、他の人はそうじゃないかもしれない。自分の部屋が居場所になっていることもあるだろうし、公園かもしれない。喫煙所かもしれない。
それぞれに居場所みたいなものがあって、それぞれがそれぞれの場所で何とか生きていると思う。
私は川に1人で行くと、何か本当の意味で1人になれたような気がして、幸せだった。
「ああ、地球に住んでいるんだなあ」と地球の歴史を振り返ってみたりもする。そうすると、なんか私という人間が相対的に小さく思えてきて、安心するんです。
不思議だよね。わからない人もいるよね。でも、私は川が好きで、川でまったりとしながら、ぼーっとするのが好きだった。
今でも本当は好きなのかもしれない。でも、最近は行っていないなあ。川は好きだけど、最近は川に行く機会もなくなってしまった。
それは私が以前よりも、自分の居場所を見つけたからかもしれない。それは目に見える世界だけではなく、内的な居場所かもしれないよね。
自分にとっての居場所は「目に見える場所」だけではない、「思考」だって立派な居場所です。
何か特定の宗教を信仰しているわけではないけど、宗教だって同じだよね。考え方や思考が居場所になっている。
自分だけの特殊な行動があっても良いのよ
自分だけの特殊な行動だと思うんですよ。川が好きで川に行く、なんてことは。普通に考えたら、おかしいじゃないですか。
でも、私たちは違う生物で、違う存在で、好きな場所とかだって全然違うものなんですよ。
だから良いんじゃないかな、と思っている。私は川が好きだったり、星空が好きだったり、名曲喫茶が好きだったり。
まあ、少し特殊なものが好きだったりするんですよね。そこに行くと、なぜか心が穏やかになったりする。
自分ではなぜだかわからない。わからないけど、良いんですよね。きっと。
銭湯が自分だけの居場所になっていたり、学校の裏だけが居場所になっていたり。そんなことがあるんじゃないかな。
私たちは私たちの精神や身体と微妙な距離を保って良いバランスを作り出している。そのために必要な要素なのかもしれない。
私の場合は川が好きなんだよね。うん。最近行っていないから行こうかな。水の流れとか、水面にうつる月のゆらめきとか、そんなものを見にいきたい。
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