人生

自分が生きているのかわからないよね。

自分が生きているのかわからない、と感じることってない?

生きているのか、生きていないのか、そんなことは私たち人間にわからないじゃないですか。

五体満足で身体を持ち、脳から「手を動かせ」と電気を流せば手が動く。

いまこうやって記事を書いているのも、私が生きているから。

そう思っています。

でも、わからないよね。自分が生きているのかわからない。

もしかしたら、そんな感情を持つ人が世の中にはたくさんいるんじゃないかな、と思ってさ。

周りもみんな幽霊なんじゃないかな?と

 

自分が生きているのかわからない。だって、生きている証拠なんてないじゃないか。

1800年代のことなんて知らないし、紀元前のことなんて知る由もない。

歴史の本にはもっともらしく「1776年」にはアメリカがイギリスから独立した、なんて書いている。

でも、いまを生きている私たちはむかしのことなんて何も知らないんですよ。

そう考えると、いま生きているこの世界も、1度死んだ後、いや3回くらい死んだ後に住んでいる世界なんじゃないかな、とすら思えるんだ。

大好きな恋人とか、友達とか、そういうものも全部本当は幽霊みたいなもので、第三世界の人が見たら、「あ、幽霊同士が愛し合っている」としか思わないんじゃないかなって。

自分が生きているのかわからないじゃない?だから、自分が死んでいるのかもわからないのよ。

アダムとかイブを誰が見た?アフリカから世界へ散らばる人間を誰が見た?

本当は神様が作った「人間界」という観賞用の動物園で遊ばれているような気がしてならない。

神様がくしゃみをしたら雨が降り、神様が怒ったら雷が落ちる。

そんないたずらな世界なんじゃないかな、と時々思うんだ。私たちの存在を証明するものなんて何もない。

自分とキスをしている恋人も、レストランで食事を運んでくれるウェイターさんも、もしかしたらこの世界には存在しない、あるいは1度死んでしまった人なのかもしれないのです。

そう考えたら、幽霊の晩餐会みたいだよね。自分が生きているのかわからないからこその面白さもあるけどね。

「いま生きている」なんて思っているけど、本当は幽霊の舞踏会にたまたま招かれただけなのかもしれない。

身体や精神はたしかにこの世界に存在している。痛みを感じ、愛を育む。

でも、それは実は相対的な証明であって、絶対的な存在証明にはならないような気もする。

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「生きている」と感じる機会が少ない

 

単調な毎日を送っていたりすると、特にわからない。自分が生きているのか、なんて全然証明できない。

存在証明書」みたいなものを人間1人1人に配ってくれたら良いのに、そんなことはしない。

あなたは生きていますよ〜」なんて言われても困るけどね。逆に疑ってしまうかもしれない……。本当かなって。

だから、自分が生きているのかわからないんですよ。

私の恋人だって、家族だって幽霊かもしれないじゃないか。

闘病しているどこかのおじいちゃんも、苦しんでいるけど、本当はもう死んでいて、シミュレーションをしているだけかもしれない。

 

そう考えたら、この世界が不思議に思えてくる。

何光年と離れた範囲内には、地球以外に「生命体が存在する星」なんて存在しない。世界とは何だ?自分とは何者だ?そんなことを考えてしまう。

 

ねえ、みんなは何者なの?どこから来たの?記憶の始まりはどこにあるの?

日常生活を送っていても、私たちは生きているのかわからない。だから、私はできるだけ「」に出ることにしているのです。

年末にはヴェネツィアに行くし、来年の初旬にはアムステルダムにも行く。

知らない土地に行って、もしかしたら幽霊になっているかもしれない私を旅させる。

 

知らない土地に行ってみると、私はなぜだか「生きている」という感じがするんですよね。

ニュースでしか聞いたことがないような街に行ってみて、実際に街を歩いてみる。そうすると、普段の生活では出会うはずのない人たちと話し、コミュニケーションを取る。

その過程で「ああ、生きているんだ」と感じることがあるのです。

自分が生きているのかわからないから、海外に旅をして、まだ出会ったことのない人たちと話したり、知らない土地を歩いてみるのです。

だから私は旅を続けるのかな、って。

」なんてものが明確に存在を証明してくれるわけではない。

わからない。何もわからないかもしれない。

でも、生きている感じがするんだ。

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自分が生きているのかわからないから面白い人生にしたいんだ

 

私は自分が生きているのかわからない。もしかしたら、他の人には見えていないのかもしれないよね、私の存在自体。

たくさんの人とすれ違っているような気分になっているけど、本当はもっと別の階層にはたくさんの人がいて、お酒でもひっかけているかもしれない。

私は私の存在証明をすることができない。私は自分の存在を疑ってしまう。

 

だからね、私はできるだけ面白い人生にしようと思っているんです。平凡な人生を歩んでしまったら、私は生きているのかわからないまま死んでしまう。

90歳くらいになって、「もう死ぬぞ」という時になってもなお「自分が生きているのかわからない」みたいな状態になったら悲しいじゃないですか。

死ぬ前までに私は自分が生きている実感を得たいんです。

何ができるのかな。この世界のために何を考えることができるのだろうか。この広い世界の上で、小さな存在である私ができることなんて少ないのかもしれない。

 

でも、動き続けたいんだ。変化し続けたいんだ。

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水瀬まりも
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