「こんな人生いらない。なんで俺のことを産んだんだよ?」
こんなネット上の投稿を偶然見かけてしまった。
彼はいま生きているのだろうか。あのブログの主はもうこの世界にはいないだろうか?
そんなことを思った。
“こんな人生“と呼ばれた人生はどれほどつらいものだったのだろう。でもね、「こんな人生いらない」と思っている人にこそ生きて欲しいよ。
周りから馬鹿にされても良い。いまがどうしようもなくつらくても良い。
それでも生きて欲しいんです。
世界は表と裏で出来たパラレルワールド
普段、生活している時には「人の闇」を見ることは少ないでしょう。
時々「死んでやる」と言っている人は見かけるけど、自分の周りにはいないだろうし、ネット上でも探さなければ見掛けなかったりする。
でも、私はよく「匿名ダイアリー」とか「知恵袋」をサーフィンしている。
すると、「こんな人生いらない」といった主旨の文章を見かけるのです。混沌としたネットの中だけの世界。紫色と緑色がウネウネしているような”あの”感じ。
世界は表と裏のパラレルワールド。
キラキラした表の世界では、誰もがクリスマスを楽しみ、バレンタインを楽しみ、飲み会を楽しむ。
その一方、裏の世界は違う。
孤独の中で闘い、「生まれてきた意味」を問うている。問い続けている。表ばかりを見ていると、さも「裏の世界」なんてないもののように思える。
表と裏が交差する地点や場所は、この世界には少ないからだ。
でも、裏の世界はたしかに存在していて、そこで息をして、そっと生きている人たちがいるのです。
私はよく街を歩いてみる。すると、悲しそうな顔をして歩いている人がたくさんいることに気がつく。
普段、普通の生活をしている時には気がつかないことも多いでしょう。何も感じずに、日々を過ごし、平和な毎日を送っているのかもしれない。
でも、世界は表と裏でできているのです。
「こん人生いらない」という内なる声を抱えた人たちが宇宙に広がる星のように無限に広がっている。
星と同じようにどこにいるのかなんてわからない。交わることはない。
音も聞こえない。無音のサイレントワールド。
でも、たしかに存在しているのです。
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生きているだけで幸せじゃないか
こんな人生いらない、と思うのかもしれない。普通の生活を送ることができずに、ただ命だけがなくなっていく毎日。
朝起きて、「また起きてしまったのか」と連綿と続く日常生活に疲れを感じているのかもしれない。
命には「後100日でおしまいです」みたいな期限がない。だから、何となく「ああ、今日も1日分の命が消えたな」と思いながら、仕方なく過ごす。
でも、生きているということ自体になぜ価値を感じないのだろうか?とも思う。たしかに、つらいだけの毎日だったら生きていたい、と思わないのかもしれない。
私は父親が亡くなって、数億という借金があって、毎日毎日貧乏な生活を送っていた時にはつらかった。
「なぜ普通の人が普通に買えるペットボトルでさえも買えないのだろうか」と疑問に思っていた。
小学生の頃は「コーラ」なんて自由に買えた。でも、大人になってみたら「コーラ」は高くて買えなくなっていた。突然そんな生活になってしまったのです。
でもね、それでも、「こんな人生いらない」とは思わなかったよ。人生にはつらい時がある。死にたくなる時だってある。
ただ、「生きていれば良いことがある」というのも事実なんですよね。「生きいれば良いことがある」なんて言葉は虚しくて、色のない言葉に見えるかもしれない。
でも、本当に生きていれば良いことがあるんです。
私はつらかったあの当時、「つらいまま何となく人生が終わっていくんだろうな」とネガティブな気持ちを持っていた。
希望を失ったわけではなかったけど、何となく絶望感があって、毎日がつらいだけだったんですよね。
「普通の人生」みたいなものがもしも目の前にあったならば、どれだけ嬉しいのだろうか?なんて思っていた。
あの頃、サンタさんにプレゼントをお願いするとしたら、「お願いします!贅沢な生活はいらないので、普通の生活をください!」と言っていたでしょう。
だってそうでしょう?
「普通に生きること」でさえも私にはできなかったのだから。
でもね、気がついたんですよ。私は生きてて、息を吸ってて、地球という星に存在しているということを。
周りには「明日死んでしまうかもしれない」みたいな人が本当はたくさんいる。
それなのに、私は生きている。息も吸えるし、笑える。それだけで「私は幸せなんだな」と思ったのです。
人生は「あと1日だけ生きよう」の集合体
私にもつらい時期があった。普通だったら自殺してしまうかもしれないほど、つらい時期だってあったんですよ。
夜になって、布団の中に入り、天井を眺める。すると、「なんでこうなってしまったのだろうか」と自分の数奇な人生を振り返ってしまう。
感情とは関係なく、なぜだか涙が出てくる。泣き顔をしているわけでもなく、無表情なのに涙が出てくる。まるで晴れた日に外を歩くと降ってくる”あの”不自然な雨のように。
「前は普通の生活を送ることができていたのに、いつから歯車が狂ってしまったのだろうか」なんて思っていました。
翌朝も借金を返すため、仕事に奔走。家に帰っても、自分の居場所はない。だから、当時オフィスのあった「赤坂」のカラオケ館でストレス発散をしていました。
ビッグカメラの横ね。
社員たちが帰ったあと、「じゃあ、ここで!」と言って、こっそりカラオケ館に戻る。
1人の時間を一生懸命作って、必死になって生きてきた。自分の心の安定を保つためにただただ必死だったんです。
そんな毎日で私を支えたのは「あと1日だけ生きよう」という心だったように思う。こんな人生いらない、と思うのではなく、「あと1日だけ生きよう」と思うことで変わった。
1年後も2年後も生きるのは難しいことのように思える。でも、1日だけだったら何とか生きることができるんですよ。
人生って「あと1日だけ生きよう」の集合体だから。
1日だけなら何とか生きることができるんですよ。
1日だけなら、必死になって過ごすことができる。そうやって生きていけば良いんじゃないかな。
「こんな人生いらない」と思うことはあるよ。誰しもつらいことの1つや2つはあるものだからね。
でも、生きていこうよ。どうしようもないこの世界でさ、生きてみようよ。
降り続ける雨の中で、歩き続けようよ。
私はここでずっと書き続けるよ。今という現実を。必死に生きて、つらくても生きて、「ああ、こんな人間でも生きるのね」と笑われていたいから。
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