仕事に行くのが憂鬱で仕方ない。
そんな毎日を送っている人は多いのではないでしょうか。
仕事をしていると、つらいこと、嫌なこと、たくさんあるよね。
私にもありました。
仕事に行くのが憂鬱だった。仕事のことなんて考えたくもなかった。
上司の顔を想像するだけで吐き気がした。
でもさ、仕事が憂鬱なら行かなくても良いんだよ。
僕らはいつだって、自由なんだ。
とにかく仕事を想像すると憂鬱になっていた
当時、私は音楽系の会社で働いていました。
本当に典型的なサラリーマン生活をしていたと思います。
金曜日になると飲みに行って、ストレス発散。
日曜日の「サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」が始まるくらいの時間になると憂鬱になってくる。
「明日は仕事だ」と想像するだけで憂鬱な気持ちになるのです。
たまに「仕事で憂鬱になるとかあるの?」なんてサイコパスのような人がいるけど、私はそんなサイコパス型の人間ではないので、
シンプルにつらかったです。仕事が憂鬱でした。
職場に行けば、上司たちがいて、嫌いな上司が「ここは俺のナワバリだ」と言わんばかりにどっかりと座っている。
大手企業だったから、年齢がそのまま上下関係に繋がる。仕事ができる人もできない人も関係ない。
ただ年齢が上の人たちが上に立っていて、「俺の命令を聞くのだ!」という感じで存在しているのです。
そんな職場に行くことを想像するだけで、嫌になった。仕事を想像すると憂鬱になった。何かを忘れたくてお酒を飲んでいる毎日だったのかもしれない。
とにかく嫌だったんですよ。誰もが社会に出て働いている。
でも、本当はつらかったりするよね。当然のように働いているけど、ギリギリ働くことができている、という人が多いんじゃないかな、と思うのです。
一応社会人のような顔をしているけど、家では「ああ、明日も仕事だ。辞めたい……」なんて思っている人もきっといると思うんですよね。
でも、本当は行かなくても良いんですよね。嫌なら辞めても良いのです。辞めるという選択肢が見えなくなってしまう時もある。
私もそうでした。だから、ある程度続けてしまったんですよね……。
でもさ、本当は逃げても良いのよ。たまにはサボっても良いのよ。全てを完璧にこなす必要はない。
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世界には様々な人がいるのだから
世界には様々な人が住んでいる。でも、私たちは等しく「労働」を課せられる。憲法にも労働の義務がある。
人それぞれ違うじゃないですか。性格も出自も。何もかもが違う。
だから、本来は「働くことに向いていない人」とか「働きたくない人」もいると思うんですよね。
お金を稼ぐことができなければ認められない世の中。それはその通りだと思うよ。
でもさ、稼ぐことが好きではない人だっているでしょう?好きなことは「働くこと」ではない人だっていると思うんだよ。
そう考えると、仕事に行きたくなくて憂鬱になる人だって当然のようにいるよね、と思った。
だって人間だから。様々な種類の人間が同じ地球に住んで暮らしているわけ。社会を形成しているわけですよ。
そう思ったら、働くこと自体さ、ストレスに思う人だっていると思わない?
仕事で憂鬱になっている自分を責めてしまう人だって世の中にはいる。「あの子はできるのに、なぜ自分は普通に働くことができないのだろうか?」と悩むのです。
でも、仕事で憂鬱になるのは当たり前なんですよ。そういう人がいるのは当然のこと。
だって、バスケットが好きな人がいるように、サッカーが苦手な人がいるように、働くことが苦手な人がいるのが当たり前だから。
自分を責めなくても良いのです。人間らしく、「俺は仕事で憂鬱なんだ」と正しく感じれば良い。
そう思う。
行かないという選択肢を選ぶ恐怖
会社に行かない、という選択肢があること自体、頭ではわかっている。でも、実際に行動するとなると怖いよね。
だから、仕事に行きたくなくて憂鬱になっている時でも、何とか会社に行くわけです。多くの人が頑張って会社に行く。
死にそうな顔をして電車に乗って、気がつけば会社の最寄駅。
ぼーっとしながら出社するのです。わかる。自分もそうだったから。仕事が憂鬱だと思っても、行動に移すことができませんでした。
怖かったんですよね。きっと。変わることも怖かった。
でも、仕事に行くのが憂鬱なまま、人生が終わっても良いのかな、と思うんです。私はあのまま働いても、
その先に幸せなんてなかった。
仕事が憂鬱なら、行かなきゃ良い。逃げてしまえば良い。それから考えようよ。無責任に聞こえるかもしれないけど、
私は逃げてよかった。
真面目に働き続けていたら、きっとものすごく後悔していたと思うから……。
自分を大切にね。お父さん、お母さんからもらった命を大事にしてください。
命は1つしかないから。あなたという人間は1人しかいないから。
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