人生に悩む君へ

引きこもりになると、社会復帰が難しい世の中は少し生きづらい。

引きこもりになってしまう人は、今でもたくさんいる。私が中学、高校の時なんていじめが横行していたから、

途中から学校に来なくなってしまったり、自殺をはかる人だっていました。まあ正直いじめがない学校なんてのはゼロだと思うし、不登校になる人だって絶対にいる。

だから、特別なものではないんだけどね。

特に中学2年生くらいの時は、誰もが不安定な時期です。だからこそ、いじめたり、いじめられたり、引きこもってしまうことはあると思う。

 

だから、「引きこもる」なんてことは当たり前のことなのですよ。でも、そんな当たり前のことなのに、引きこもりになると、社会復帰が難しい。

 

そんな世の中は少しだけ生きづらくないかな?どう?

 

小学校から大学まで数えると16年間も共同生活をする

 

小学校から大学まで数えると、16年間も共同生活をすることになるんですよね。特に中学とか、高校なんてところは決まった時間に登校して、

決まった人たちと生活をするわけですよね。お昼の時間だって一緒なわけです。

 

そう考えると、卒業するだけでも大変なことじゃない?

多少、嫌なことがあったとしても、「引きこもりになったら親が悲しむ」とか「引きこもりになって、社会復帰が難しい状態になったらどうしよう」と思って、

 

頑張って通うわけですよ。どんなにつらくても通う。16年間も学業に勤しむのです。そうしなければ、社会のルールの中では「弱者」になってしまう。

だから頑張るのよね。おいおい社会ってそんなに厳しいのか?と思うけど、レールから外れた人には厳しかったりもするのが社会ですよね。気持ち悪いけど、それが社会。ふう。

 

でも、多くの人は思っているはず。「自分も引きこもりになる可能性があった」とね。

 

私にだってつらいことはあった。学校生活でのトラブルだってあったよ。「学校に行きたくないな」なんて思う事だってあった。

それくらい、ストレスフルな場所ではあると思う。でもって、「だからお前も我慢しろよ」なんて口が裂けても言えない。

 

私はたまたま運が良かったから、引きこもりにならなかっただけど、どこかのタイミングで間違えていたら、引きこもりになって、

今頃は社会復帰が難しい状態になってしまっていたかもしれない、と思うのです。本当に「たまたま」卒業できたというだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのよな。

引きこもりになって、社会復帰が難しくなる、なんて遠い国の話だと思っているかもしれないけれど、

 

実は身近な問題じゃないの?と思うわけよ。

関連記事:就活に失敗して引きこもりになったらするべき事。

1度でも失敗すると戻れない

 

1度でも失敗してしまうと、社会復帰が難しいのが日本だと思う。でも、それって何だかおかしくないかな?と思う。

なんで1度でも失敗したら、同じレールの上を歩いちゃいけないのさ。

引きこもりになるのは、別に学生時代だけではない。社会人になってからも、会社を辞めて引きこもりになるケースはある。だいたい40歳から65歳までの「中高年」の中の1%強くらいは引きこもりって統計知ってます?

60万人くらいは引きこもっているわけですよ。で、1度そういう状態になってしまうと中々外にでることができない。

 

日本で生きていると、「レールから外れる」ということが問題視されることが多いよね。引きこもりはダメなやつで、3年間同じ職場で働くことができない人は使えない。

 

そういうパラダイムがあるような気がする。

 

1度の失敗も許されない社会においては、「引きこもりになると、社会復帰が難しい。こわい。どうにかして生き残らないと」と懸命に頑張るわけですよ。

 

でもさ、そんな世界、めちゃくちゃ生きづらくないですか?私だったら生きづらいと感じてしまう。人間だからさ、やっぱりミスはするものですよ。

 

私にだってミスをした経験があるし、会社だって辞めているから、完全なる社会不適合者よね。今でも申し訳ないんだけど、会社の整理すべき資料とかテキトーな場所にいれたりしていたから、今頃困っているかもしれない。笑

 

みなさんはどうしているのでしょう。レールから外れずに生きている人は本当にすごいな、と思う。私にはできないことだったから。

 

引きこもりになって、社会復帰が難しい社会だと、普通に生きているだけでもつらくない?「いまは大丈夫だけれど、そのうちどうなるのかわからない」という不安を持ったまま生きていくわけだから。

 

もっと「失敗に寛容な社会」を作っていかなければ、生きづらさを抱えた子供たちが増えて来てしまうと思うのです。

周りの人も普通にずっと働いていて、ずっと頑張っている。「だからお前もやれよ」ってのはまあ論理としては正しいのかもしれんけど、私は無理だったなあ。

関連記事:普通に生きる事さえ難しい社会の中で、私はそれでも生きていく。

 

もう、このレースをやめませんか

 

我慢レースみたいなものは辞めれば良いのにな、と思うんですよね。引きこもりになると、社会復帰が難しい状態になってしまう。

それはある意味、競争社会においては仕方のないことなのかもしれない。競争に負けて落ちていく人、上がっていく人。

 

この2種類の人間がいるのは当然のこと。

 

でもさ、引きこもりになると社会復帰が難しいような社会に生きていて、つらくはならないのかな?本当は「次は自分もそうなるかもしれない……」と怯えているんじゃない?

 

違う?口には出さないかもしれないけれど、本当はそう思っている人がたくさんいると思うのです。

 

誰もが、このレースに疲れてきている。誰が考えてくれたんでしょうね。まあ私、資本主義派の人間というか、社会主義とか共産主義では全くなくて、新自由主義的な人間と言いますか……そこはあれなんですけど。

でも、レース自体には何だか疲れてきているような気がするんですよね……。「誰が楽しくてこのレースをやっているのだろうか?」と。

もっと、失敗することができる社会の方が良いじゃない?もっと、生きていることが楽しい社会の方が良いじゃない?

 

引きこもりになると社会復帰が難しい世の中だと、私たちは生きづらい。どうやっても息がつまる。

 

少しずつ世の中の流れは変わってきているように思うけれど、それでもまだ足りないよ。

 

レールから外れても良いじゃない。生き方が変でも良いじゃない。

 

多様な生き方を許容する社会になっていけば良いなあ、と思う

まあ、思うだけであって、このブログで書いたところで何の力になるわけでもないのだけど、1人の一般人が「こんなこと思っているよ」ってのがネット世界のどこかの誰かに伝われば、それはそれで意味があると思うからさ。

うん。

 

ではでは、まりもでした。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。