ひとりで寂しい夜、なんてものは誰にでもあると思う。普段は明るい人でも、ひとりで寂しい夜を過ごす人はいるものなのですよ。
私だって同じ。ひとりで寂しい夜は、あるよ。
何となく孤独な感じがつらくなったり、何となく無気力な感じ。そう感じることがある。
でもさ、ひとりで寂しい夜にはコーヒーでも飲んで、流れる時を楽しもうよ。
私たちは「人」を求める
私たちはどんな時でも、「人」を求めるものだと思う。普段は「寂しい」という言葉を発さないような人でも、心の中には寂しさがあると思う。
たとえば、地球上に人類が自分だけだったらどうだろうか?
この世界には自分だけしかいない。ディズニーランドに行っても、居酒屋に行っても、自分だけしかいない。
私たちは、「人混みが嫌い」なんて言うけれど、地球上にいる人類が自分だけになってしまったら、きっとあなたは「寂しい」と感じる。
寂しくて、寂しくて、「神様お願いします。大嫌いな人でも良いから、話し相手を作ってください」と言うはず。
本当は誰しも「寂しい」という感情を持っているのです。ひとりで寂しい夜は、誰にでもあるものなのです。
たったひとりで、家の隅っこの方に座る。アロマでも焚いてみようか。動画でもつけてみようか。そんな風に寂しさを紛らわせようとしてみるけれど、
そんな余裕もない。
私たちはやっぱりひとりで寂しい夜には、人を求めてしまうものなのですよ。人の手とか、顔とか、声とかね。
そういう体温のすべてがきっと、安心感に繋がってくるのだと思う。ひとりで寂しい夜には、誰かのことを思い浮かべる。
「会いたいな」と心の中で思う。そんな夜の繰り返しなんじゃないの?本当は。
人間はそんなに強くはない。きっと誰かを求め続ける人生なんですよ。誰しも、「体温」を求めてしまうものなのですよ。
違う?
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隠れて泣いている私たち
私たちは、私たちが本当に人を必要としている時に、人を求めることができない。だから、孤独になってしまう。
たとえば、「夜ごはんを一緒に食べる人が欲しいけれど、ごはんだけで呼び出すのも悪いな」と思ってしまい、結局は誘わずに終わる。
たとえば、「会社を辞めたあとで、しんどい。でも、ネガティブな自分を見せるのが恥ずかしい」と思ってしまい、会えない。
そういう人が多いんじゃないかな。本当に必要としているにも関わらず、結局は人を求めることができずに、そのままひとりで寂しい夜を過ごすことになる。
私たちは「人を求める」ということに慣れていない。本当は求められたいものだと思うし、何かをしてあげたい、という気持ちは誰にでもある。
だから、誘ってみると、「最近会ってなかったよね。もっと会おうよ」なんて言われる。
つまり、本当は誰も嫌じゃないのですよ。ひとりで寂しい夜を過ごしているのは、きっと同じで、
人を求めることができないから、ひとりで寂しい夜を過ごし、悲しみに暮れてしまう。部屋のすみで泣いている。
そんな人もいるよ。人間はお金とか、名誉がなくなっただけでは死なないから。
そんなものではなく、「人の体温」とか「声」を身近で感じられなくなるほうが、よっぽど危険。命の炎は簡単に消えてしまうと思う。
ひとりで寂しい夜に、そっと別の世界へと旅立ってしまう人だっているのです。ひとりで寂しい夜には、やっぱり人が大事なんだ。
やっぱり人がいないと人間は生きてはいけない。人を求められるようにならなければいけないと思うのです。
そんな夜にそっとコーヒーをいれよう
ひとりで寂しい夜は誰にでもあるよね。そんな夜がやってきたら、コーヒーをいれようよ。
夜遅くでも良い。寂しくなったら、「温かいコーヒをいれたから、遊びにこない?」といってみれば良い。コーヒーを飲んだものだから、眠れない。
そうなってしまったら、星を観に行けば良い。
ひとりで寂しい夜をずっと我慢する必要なんてどこにもないよ。私たちは産まれながらも寂しがり屋なのだから、求めて良い。
「会いたいよ」という気持ちを相手に伝えて良いのです。その代わり、来てくれた人には、少しだけおもてなしをする。
「コーヒーの1杯でもどうぞ」とコーヒーをいれてあげる。穏やかに流れる夜の時間を仲間と共に楽しむ。
そんな日をできるだけたくさん作ってみれば良いと思うのです。
ひとりで寂しい夜、私にもありますよ。そんな時には、大好きな友達とか、恋人とか、声をかける。
そして、時間を共有する。
「ああ、もうこんな時間になっちゃったね」なんて言いながら、少しだけ外に出てみる。家に帰って来てみると、
「こんにちは」と言わんばかりに、家の階段に虫が止まっている。「もうこんな季節だね」と笑う。
ようやく2人分のコーヒーが出来た。
ごくごくごく。
ひとりで寂しい夜には、コーヒーでも飲んで、流れる時を楽しもうよ。