少し疲れたら、日本から逃げてしまえば良い。最近はそう思うようになりました。私にも疲れることはあるし、きっとみなさんにもあるでしょう?
人間関係とか、仕事とか、様々なしがらみの中で生きていると思う。
でも、そんな世界から少しだけ逃げ出してしまっても良いじゃない?今日だけは逃げちゃおうよ、という感じで世界へ旅をしても良い。
誰も知らない世界へ逃げちゃおう。どこまでも、どこまでも、見えなくなるまで逃げちゃおう。
日本で連絡が来る面倒臭さ
日本にいると、連絡が来る。「今日は何をしているの?飲みに行こうよ」とか。そういう誘いは嬉しい。男からしかそういう誘いはこないわけだけれど、
嬉しいわけ。
ただね、何となくそういう連絡とか、日頃の関係性から解き放たれたい時がある。なぜだろう。嫌いなわけではないのだけれど、1人っ子気質だからか、
時々逃げたくなってしまう。何もかもを忘れて、自分だけの時間をただ楽しんでいたい、と思ってしまうのです。変かな?
スマホが普及してさ、遠く離れた沖縄の友達とか、北海道の友達とも簡単に連絡が取れるようになった。「明日新宿で飲もうよ」と言えば、どうにか飲めるよね、遠くても。
つまり、インターネットの普及は私たちの人間関係を近くも遠くもした。不思議なものです。すい数十年前まではインターネットなんてなかったのにね。
でも、そんな気軽な関係性が面倒なこともあったりする。そういう時に、私は無性に外ごもりしたくなってしまうのです。
誰かから連絡が来ても、インターネット環境がないようなところだと連絡が届かない。ラインも見ることができない。
不便に感じることもあるのだけれど、それが何か好きなんですよね。孤独は嫌いだけれど、1人の時間は好き。スマホを持って、インターネットと常時接続されていると、
誰かと繋がってしまう。それが安心感に繋がることもあるけど、繋がりたくないことだってあるんですよね。
1人になって、あったかいコーヒーを飲んで、ゆったり空を飛ぶ鳥を眺めていたい、と思う時だってある。良いじゃない?それでも。
異国の地で逃げちゃおうよ。全てを投げ出してさ。
1人の自分として生きる
どこか遠い世界に逃げてしまえば、1人の自分として生きることができる。人間は相互的な生物だから、他者と自己の割り算で成り立ってしまう。
それはそれで面白い。でも、それが嫌になることだってあるよ。
自分が住んでいる世界、例えば日本から逃げてみる。そうすることで見えることがあったりするんですよね。1人の価値観と哲学で生きてみる。
そうすると、自分とはどういう人間だったのか?自分とはどんな夢を持っていたのか?
命とは何なのか?
そんなことを考えるようになる。そんな時間が私には大切。記事を書く上でも大切だし、私の生活においても大切。
よくわからない、説明できない感覚的なものではあるのかもしれないのだけれど、自分が住んでいる世界から少しだけ飛び出して、逃げて、
どこか遠くへ行くことで、「私」という1人の人間として生きていくことができるのです。
たまには良いでしょう?何もかもから解き放たれて、1人の人間として生きてみることだって大切だよ。会社とか、お金とか、そういうしがらみから少しだけ逃げてみるのも良いじゃない。
責任なんて考えなくて良い。何も考えず、外の世界に出てみれば良いのです。日本から旅に出て、外を感じてみれば良い。
自分という人間を感じてみれば良い。そんな時間も大切だよ。
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どこかへ、あてもなく
どこかへ、あてもなく、旅を出てしまえば良い。本当にそう思っているんです。自分という人間なんて自分でも半分も理解していない。
自分はどんな人間なのか?もわからない。ストレスを抱えているのか?だってわからない。そんな曖昧な存在だったりする。
神様がもっと綺麗に作ってくれれば良かった。そう思ってしまうことがあるよ。
でも、神様は、途中で疲れてしまったのか、私たち人間は完璧ではない。誰もが等しく人間の形をしている。足がない人でも、顔が悪い人でも、目が見えない人でも、
「あ、この人は人間だ」とわかるように作られている。
ただ、内面までは精巧には作られていない。そんな不完全な存在なのですよ。だから、時々わからなくなる。
自分という人間とか、世界のこととか、何でもそうなのだけれど、目の前の世界を認識することができなくなってしまうことがあるのです。
幸せとか、憎しみとか、喜ぶとか。そんなものを探すために旅に出ても良いじゃない。誰も知らない世界で、そっと過ごしてみる。
道端に落ちている小さな石のように、ただ何も考えずに過ごしても良い。そんな時間だって大事だよ。
たまには少しだけ離れようよ。
現実の世界から。外側の世界から。帰ってきたら、またその時に考えようよ。