穏やかに生きたいと思っている人って実はたくさんいるんじゃないかな?と思うんですよね。日常生活に刺激を求める人ばかりが目立つけれど、
実際には穏やかに生きたいと思う人の方が多いものなんですよ。
穏やかに生きる事って思っている以上に大切。ただ、大切だけれど、実現する事が難しいものでもあるんですよね。
でも、少なくとも私は穏やかに生きたい。変化が嫌いなわけじゃない。変わっていくものだってあるよ。
ただ、穏やかには生きたいよね、そう思う。
刺激が欲しいと思うのは平和ボケ
よく「刺激が欲しい」と言って、危ない事をする人っているじゃないですか。まあ悪い例だと不倫をしたりとか、後は少し危ない事に手を出してしまったり。
でも、私のように起業していて、自分で会社を運営している側からすると、毎日が刺激的。だからこそ、日常生活は「穏やかに生きたい」と思ってしまうものなんですよね。
私なんかは海外にもよく行くので、刺激的な事がたくさん起こります。現地の若者に目をつけられたりとか、喧嘩を売られたり。
経営でもそうです。売上が下がってしまったり。人生そのものが刺激で溢れているのです。だからこそ、私は普段の生活においては、穏やかに生きたいと思ってしまうのです。
刺激が欲しい、なんて思っている人たちが羨ましいくらい。穏やかに生きるってやっぱり大切な事。激動の毎日を送っていると、
「ああ、1回休むのも良いな」と思ったりもするんですよね。
法人なので、銀行への返済もきちんとこなしていく必要があるし、銀行だけではなく、ビジネス自体もどうなるのかわからない。
d穏やかに生きたい、なんて思った事がない人だってたくさんいると思うけど、
本当は大切な事なんですよ。夏の暑い日に、何も考えずにかき氷を食べる事ができたり、鳥の鳴き声を聞きながら、空を眺めたり。
そんな穏やかな日常が大切なのです。
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もしも戦乱の時代に生まれていたら
私はよく「戦争が絶えない国に生まれたり、そういう時代に生まれていたらどうなっているのだろうか?」と考えます。
私が今住んでいるのが日本です。平和な国である日本。でも、昔は平和ではなかったはず。世界大戦があった頃には特攻隊だっていた。
戦乱の時代に生まれていたら、きっと穏やかに生きる事はできなかったのだろうな、と思うのです。私の祖父はシベリアに抑留されていました。
当時の事を書いた著書があるのですが、今はまだ何となく見れない。
もしも、私が同じ時代に生まれていたとしたら、どうなっていたのかな?と考えると、怖くなる。おそろしい。
今、私たちは平和な時代に生まれたから、穏やかに生きたいなんて思わない人が多い。人間は既に持っているものを「欲しい」とは思わない。
だから、既に持っている「平和」や「安寧」というものをあえて求める事はない。
しかし、今後はどうなるのかわからないわけ、歴史を振り返れば、戦争というものはいつの時代も起こっていた。皆さんも歴史を習いましたよね。
「戦争のない時代が続きました」なんて事はほとんどなくて、だいたいどこかで戦争が起こってしまう。つまり、それくらい「穏やかに生きる事」は当たり前ではない、という事なのです。
穏やかに生きたいと平和な時代に生まれた私が思うのはおかしな事なのかもしれない。でも、穏やかに生きたいよ。
誰もが平和に暮らせる世の中で、笑っていたいな、と心から思う。
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穏やかに生きたいと思う人が多くなれば良いな
穏やかに生きたいと思ってくれる人が多くなれば、きっと穏やかな日々は続いていくのだろうな、と思う。でも、今の時代、
「穏やかに生きたいな」なんて思う人はおそらく少ないでしょう。願わずとも渡される安寧が多くの人にはある。だから、あえて平和を願うような事はしないのです。
でも、穏やかに生きたいと思う人がいなくなってしまえば、いつか世の中が変わってしまうと思うのです。私の友人には「兵器を作ってみたい」と言っている人がいました。
「兵器を作って、戦争をしてみたい」と語っていた。私には到底理解できない内容だったけれど、きっと彼は本気で言っていた。
戦争を知らない私たち、動乱の世を知らない私たちは、ゲームの中でしか「平和や戦争」というワードを認識する事ができない。
中身を理解しているのか?というと、そうではない。平和は「HEIWA」と聞こえるだけ、戦争は「SENSOU」と聞こえるだけ、
意味を為さないただの文字列になってしまっているのです。当然、「穏やかに生きたい」なんて思う事ができない。平和の意味を理解できない。
でもね、穏やかに生きる事が何よりも大切なんです。穏やかに生きたい、と多くの人が思う事に意味があるのです。
誰もが人生を穏やかに生きる事ができるように、誰もが幸せな日常を送れるように、私たちは「穏やかに生きたい」という気持ちを持ち続けなければならない。