よく「嫌なことから逃げるのは良くない」と言ってくる人がいると思うんですよね。でも私たちは人間だし、本当は嫌なことから逃げるなんて当たり前のことだと思うんですよ。
目の前に怖い人がいたら逃げるじゃない。変な人がいたら避けるでしょう。
でも、私たちは仕事とか大事なことになると逃げてはいけないという価値観を押し付けられてしまうと思っているのです。
良いのですよ、逃げても。
どこか遠くへ逃げれば良い。
嫌な事から逃げてはいけないという価値観
「嫌なことから逃げるなんて良くないよ。」と言っている人は多い。そして、そんな意見が全て正しくないのか?というと、そうではない。
でも、嫌なことから逃げたくなってしまうのは、人間だから仕方ないんじゃないかな?と思うんですよね。嫌なことから逃げたくなってしまう時ってありませんか?
どうしようもなくつらくて、どうしようもなく逃げだしくなってしまう夜だってあると思うんですよね。
人間ってそんなものなんだよ。本当は。でも、周りの人たちが「嫌なことから逃げるな」と言うから逃げずに頑張るわけ。
でも、それってつらくないかな?と思ってしまうんですよね。
嫌なことから逃げるのは誰から見ても格好悪い事かもしれない。「あいつは逃げた人間なんだ」と思われてしまう事を嫌い人間だっているでしょうね。
私の周りにもいます。でも、身体に針が刺さってたら逃げるでしょう?
同じように、心が痛かったら、逃げても良いと思うんですよね。嫌なことから逃げるのは当たり前の事だし、嫌なことから逃げてはいけない、みたいな価値観って怖いと思うのです。
良いじゃない。別に逃げても。
嫌なことに耐えられるほど、人間は強くはない。本当は弱いのです。
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私はひたすら逃げた
私自身、嫌なことと闘って来たわけではないんですよ。私はひたすら逃げた来た方です。嫌なことがあったら逃げてしまう。
万人にとって「逃げる事」が正しいのかなんてわからないけど、私は仕事とか、プライベートでも逃げてばかりだったように思う。
嫌なことがあったら逃げる。嫌な人がいたら逃げる。そんな感じだったのです。立ち向かっていく人は格好良いけど、私はそうはなれなかった。
私は他人が思うよりも弱いんですよね。そんな事を自分でわかっているから、「もう無理だ」と思ったら逃げてしまうのです。
よくさ、「自分の限界を自分で決めるな」なんて言うけれど、自分の限界くらい自分で決めさせて欲しい。
私は自分の限界が他人よりも低い部分にあるという事を知っている。だからこそ、嫌なことから逃げるのですよ。
「これ以上頑張ったら精神的に参ってしまう」という感覚がわかるからこそ、私は嫌なことから逃げるのです。そうやって自分を守っているのだと思う。
自分を守って、きちんと自分が人間として健康的に生きられる地点を探しているだと思うのです。逃げて、逃げて、逃げまくった先に何かがある時もあるし、
「ああ、また逃げちゃっったな」と情けなくなる時もある。でも、それで良いんじゃないかね。嫌なことから逃げるのは概ね正しいよ。
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生きていれば良いじゃない
嫌なことから逃げる事は悪い事なのかもしれない。もっと正々堂々と闘っていく事が大切なのかもしれない。でも、それで死んでしまったら何の意味もないんじゃないのかな?と思うんですよね。
生きているだけで、たくさんの希望と出会える。たくさんの人と出会える。
でも、「嫌なことから逃げてはいけない」と思い込んでしまうと、時に自分が住んでいる世界、瞳に映る世界が曇ってしまう時があると思うのです。
そして、中には人生を終わらせてしまう人だっている。
だったら、嫌なことから逃げた方が良いんじゃないかな?って。そう思うんです。
嫌なことか逃げないで、頑張るのは格好良く見える。でも、死んでしまったら何の意味もないじゃない。
私たちは感情を持った人間として生まれた来たのです。ロボットではない。痛みもあるし、傷つく。だから、時には嫌なことから逃げる事だって大切なんですよ。
いつもいつも逃げている私みたいになってしまったら、少しだけ苦労する。でも、「頑張ろう。どうにかしよう。」と常に頑張っている人はある時、突然つらくなってしまう。
「もう無理だ。」と生きる事を諦めてしまう人だっているのです。
だからこそ、そんな人には少しだけ休む努力をして欲しい。嫌なことから逃げる努力をして欲しいのです。
正しく生きる必要なんてないんですよ。周りから賞賛されるような生き方だけが全てではない。周りから見たらだらしない生き方でも良いのです。
嫌なことから逃げるのも1つの手段。
人として逃げるのは当たり前の事でもあるんですよ。もっと自分らしく。もっと、心が落ち着く方へ帆を貼っていけば良いのです。