自分の感情とどれだけ向き合っているのだろうか?私たちは社会で生活をしていくために、感情を抑える。
心の中にある汚い感情、綺麗な感情。人間として生まれきたからこそ、私たちは生きていく中で様々な感情と出会う事になる。
でも、そんな感情に出会っても、私たちは見なかった事にする。なかった事にする。でも、それでは人間として生きていてつまらない。
もっと自由になれば良い。もっと自分の感情を味わう事を大切にすれば良い。
感情を抑える私たち
私たちは社会の中で生きている。社会で生きていくためには、理性を使う必要がある。
「会社で出世していくためにはどう振る舞えば良いのだろうか?」とか「この人に気に入られるにはどうすれば良いのか?」
と考えて生きていくわけ。これは何も仕事に限った話ではない。友人との関係においても同じ。友人と話している時にも自分の素を出せない人がたくさんいるのです。
自分の中に感情が出てきてしまっても、それを抑えて誰かと接する。そうやって社会生活を送っているのですよ。
でも、それが正しい姿なのかな?と思うんですよね。感情を味わうという事を私たちは疎かにしてしまっている。
感情が出てきても、すぐに抑え込む。なぜか?それは、その方がうまくいくと思っているから。
感情を味わう事なく、抑え込んだ方が円滑にコミュニケーションを取る事ができる。だからこそ、私たちは感情を味わう事なく、
抑え込んでしまうのです。でも、それって辛くないかな。感情を味わう事なく、ただ心の中に残しておく事で疲れてしまわないのかな?と思ってしまう。
家に帰ってきて、その日に起こった事を思い出す。そして、何だか暗い気持ちになるのです。1人になった時、私たちは自分が抑え込んでいた感情と出会う事になる。
そして、疲弊してしまうと思うのです。感情をもっと味わった方が良い。もっともっと自分の感情を大切にした方が良いと思うのです。
私たちはロボットじゃない
私たちは感情を持たないロボットではない。感情を持った人間という動物なのです。
汚い感情だって湧いてくるし、悲しいとか、寂しいとかそんな感情だって当然持っているんですよね。でも、そんな感情たちに私たちは向き合わない。
きちんと対話をしないままに、何となく過ごしてしまうのです。
でも、それでは人間として生まれて来た意味がないじゃないですか。人間は感情を持っているから素敵な生物だと思う。
複雑な感情を持って、相手に接する。他の動物よりも、ずっとずっと利口。
前世はカエルとか馬とかだったのかもしれない。今は人間として生まれて来ている。だからこそ、その間だけでも、一瞬の人生の間だけでも、
自分の感情を味わう事を大切にして欲しいのです。汚い感情でも良いじゃないですか。自分の事を嫌いになってしまっても良いじゃないですか。
人間として当然持ち合わせている感情に向き合った時、「こんなに醜い人間なんだ」と思ってしまう事だってある。
私にだってあります。「なんて愚かな人間なんだろうか」と思う事だってある。でも、それでも、私は私の感情を味わう事が好き。
辛い事だってあるけれど、それでも私は人間として生まれて来たから、どんな感情でもきちんと味わう事が大切だと思っているのです。
抑圧されたままの感情はいつか外に出てくる。ストレスとして身体を攻撃するかもしれない。だったら、向き合って、外に出してしまえば良い。
素直に自分の内面を出してしまえば良いのです。
コーヒーを飲むように感情を味わう
私たちは自分の感情を毛嫌いしてしまう事が多い。汚い感情には蓋をしてしまったり、我慢をしてしまう。
暗い気持ちになった時には「どうして暗くなるんだろうか?頑張らないと!」と無理をする。でも、そんな事をする必要はないんじゃないかな?と思うんです。
コーヒーを飲むように自分の感情を味わう事で、気持ちを咀嚼する事ができる。きちんと自分の感情と向き合った方が心は楽だし、
その方が生きていて気持ちが良いと思うのですよ。
私も昔はそうだったのかな?と思う時があります。昔は自分の感情をきちんと出す事ができなかったのかもしれないと思うのです。
でも、今はそんな事はない。自分の気持ちを表現するのが上手い方ではない。だから、こうやって文章に書いて誰かに伝えている。
ただ、昔よりはずっと自分らしく生きているような気がしているし、生きていて楽だと感じる事も多い。
自分ではない誰かになろうとしても、きっとそれは負担になるだけで、何も良い事はないんですよね。
自分に嘘をついて生きていく事で、生きやすくなると思っているけど、それが逆に自分の首をしめてしまっている事だってある。
だったら、もっと自由になった方が良いじゃない。感情を味わう人生にした方が良いんですよ。私たちは人間なのだから。