「時間の流れが早いなあ」なんて思う事ってありませんか?私にはあります。他人よりも私の方が時間の流れが早いのではないか?と思うくらい、
「時間の流れが早いな」と感じるのです。
時間が自分でも意識しない内に流れていってしまうと、何だか切ない気持ちになる。でも、それで良いんですよね。
時間の流れは早い。その中で一生懸命生きる。
記憶に残るニュースが気がついたら遥か昔の話になっている
皆さんにも記憶に残るニュースってあると思うんですよね。東日本大震災とか、芸能人の結婚ニュースとか、何でも良いのですが、
思っている以上に記憶に残るニュースは古くなる。なぜだろうか?それは時間の流れが早いからなんですよね。
例えば、5年とか10年とかって気がつかない内に過ぎていってしまうものなんですよ。この前冬だったような気がしていたのに、もう夏になってしまったり、
この前学校に入学したと思っていたのに、いつの間にか「あと1年で卒業」になってしまったり。時間の流れというものは残酷にも早いものなんですよね。
私たちが寝ている間に神様が世界時計を少しだけ早めているのかもしれない。そんな事を思ってしまうほど、私たちが体験している体感時間というものは短くなっているのです。
あと10年もあると思っていたものがだんだんと近づいてくる。次のイベントが終わると、また次のイベントが出て来る。
そんな繰り返しなんですよね、人生は。
人生のフルコースは意外にも短い。気がつくと、もう何年も経っているのが私たちの人生なんですよ。時間の流れが早いと感じるほど、
私たちはきっと幸せに生きている。
夢中になったゲームをやっている時のように、楽しい時がいつの間にか過ぎ去ってしまうように、人生というゲームの中で私たちは生きている。
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父は早くに亡くなった
私は父親は私が大学生の時に亡くなってしまった。だからこそ、私には「人生は早く終わってしまう」という危機感が常にあるような気がしている。
周りの人たちはきっと10年とか20年とか、そのくらいの尺を持って人生を俯瞰していると思う。でも、私は違う。
私の場合は、「明日はもうこの世にいないかもしれない」と思って生きているのです。別にそんな生き方をしたいと思っているわけではないし、
疲れてしまう事もある。でも、私の中には「早く好きな事をやらなければ」という危機感がずっとあるんですよね。
健康に生活をする事が出来る時間なんて限られている。生きていても、車椅子生活になってしまったら、秘境には行く事ができない。
だからこそ、元気な時に、やりたい事をやっていきたいと思っているのです。
周りからは「まだそんな年齢でもないんだから」と言われる。でも、私はそうは思えない。時間の流れが早いと感じるのはもちろん私の責任だけど、
「早くしないと、小さな砂時計の中の砂が全て落ちてしまう」ような気がするのです。
時間の流れが早いと感じていると、人の何倍もの情報を得たり、体験をする事ができる。私は人の何倍も歳を取っているような気がしますしね。
でも、そういう性分なんですよ。時間の流れが早いと感じながら走り続けるのです。そんな人生でも良いのかな?と私は思うのですよ。
走り続けると見えてくるものがある
時間の流れが早いと感じながら、人生を走り続けてみると、だんだんと見えてくる事だってあるんですよね。人間の感情とか、お金とか、
そんなものがだんだんと見えてくる時がやってくるのです。私がそうだったから。
時間の流れが早いと感じてしまう事は辛い事なのかもしれない。私はのんびりと生きていきたいと思っているけど、何となくそれができない。
性格ですからね。仕方ない。
でも、そんな私でも、走り続けた結果、見えてくる時がある。きっと皆さんも同じです。「時間の流れが早いなあ」なんて感じてくると、
怖くなってしまう事もある。
終わりに向かって歩いているのだ、と感じる事だってあるでしょう。ただ、走り続ける事でしか見えない事だってあるものなんですよ。
年齢を重ねた時にわかる事かもしれない。「こういう生き方をしてきたから今があるんだ」と思うかもしれない。
別に身体や精神をすり減らしてまで頑張る必要はどこにもない。無理のない範囲で良いと思う。でも、時間の流れを早く感じるほど一生懸命生きていると、
どこかで見えてくる時が来るのです。
人生なんて本当は短い。何かを達成しよう、成し遂げようと思ったら、人生は1度や2度では足りない。
でも、1度しかないのですよ。
だからこそ、1度切りの人生でやりたい事をやった方が良いのです。海外に住んでみたいなら住めば良い。
起業したいならすれば良い。秘境に行きたいなら行けば良い。人生の中で何をするのか?何に時間を捧げ、時間の流れを感じるのか?
選択していくべきなのです。