私たちは生まれた時の記憶を持っていませんよね。生まれる前の記憶だって持っていません。だからこそ、私たちは気が付いた時には生まれていて、
「これからは生きていかなければいけないんだよ」と何だか横暴な神様に突然命令されたような、そんな気がするんですよね。
でも、生きてみると、思ったよりも普通に生きる事さえ難しい社会で、「なんでこんなにも生きるのは難しい事なのだろうか?」と思ったものです。
生きていくためにはたくさんの障壁があって、その中で私たちは何とか生きていかなければならないのです。
生きる事は難しい事だけれど、きっとそこには意味があると思うから、私はそれでも生きようと思う。そんな事を書いてみようかな、なんて。
働かないと生活も出来ない
生きる事が難しいと思う1番の原因って、「労働の義務」だと思うんですよ。私たちが生きていくためには、お金が必要ですよね。
水道代、電気代、家賃等、生活に必要なお金って意外と多いものなんですよ。だからこそ、私たちは生きるために働くわけです。
でも、働くことって思っているよりも大変な事で、「生きるって難しいな」と私なんかは思ってしまったいたんですよね。
特にサラリーマンとして働いていた時なんかはもう最悪で、「ここまで精神と身体をすり減らして生きるなんて辛いよ」と思っていました。
精神も身体もボロボロになりながら、給料をもらって、そこまでして手に入れるものが「普通の生活」です。何が豪華わけでもない、
普通に生きるだけでも、実は私たちの社会は難しいと思うのです。みんな、当たり前のように働いているけれど、辛くないのかな?
何か生きるという事自体が我慢レースのような感じになっている気がするんですよね。
「定年まで我慢すれば、人生は安泰」
そんな過酷なレースのような気がしてしまうのです。サラリーマンとして働いていた当時は「生きる乗って難しいな」なんて毎日思っていました。
だからこそ、私は社会から離脱し、今は自衛なんですけどね。でも、多くの人は普通に生きるために、働いて、お金を稼ぐ。
これって実は大変な事なんですよ。別にきちんと働かなくても良いのに。
バイトでも良いし、起業しても良い。選択肢はあるんだよ、と伝えたい。
本当はテキトーなくらいがちょうど良い
生きるのが難しいと思っていた時、私は精神的にきつかった。そして、今でも生きるのが難しいと思っている人はたくさんいると思う。
私は今でも思う時がありますしね。ただ、前よりは生きる事自体が難しとは思わなくなったのです。なぜか?
それは「人生なんてテキトーくらいがちょうど良い」という事に気が付いたからです。私たちは自分の人生と他人の人生を比べて、
「どちらが優っているのか?」という事を考えてしまいがちですよね。でも、そんな必要はどこにもないのです。
テキトーに生きる事が出来なかったあの頃、私は何でも完璧にこなそうとしていました。何でもきちんと努力してやろうと思っていました。
でも、あの頃は今よりずっと、生きるのが難しいと思っていたのです。テキトーに生きる事って実はとても大切な事なんですよ。
別に人生なんて自分だけのものだから、どう生きても良いじゃないですか。
もっともっと私たちはテキトーに生きれば良いのですよ。普通に生きるのが難しい社会の中で、真面目に生きていく事が推奨されるような状況だと思います。
家族や友人からも真面目に生きていった方が褒められるでしょう。でも、私はある程度テキトーに生きるようになってからあらゆる事がうまくいくようになりました。
精神的に辛くならずに、自分のやりたい事を行う事ができるようになったのです。
だらしない自分を好きでいるくらいで、ちょうど良い。そんな社会なんじゃないかな。
関連記事:人生は暇つぶしなんだから、もっと自分の生きたいように生きれば良い。
それでも私は生きていく
普通に生きる事でさえも難しい社会です。会社から帰ってきて、「なんか生きるのに疲れたな」なんて思ってしまう人もたくさにるでしょう。
でも、それでも私は生きていた方が良いと思うのです。
どれだけ生きるのが難しくても、どれだけ生きるのが大変でも、やっぱり「生きていてよかったなあ」なんてしみじみと感じるような事が私にもあります。
それは何でもない事だったりもするんですよね。
- うまく自分の気持ちが相手に伝わった時
- ブログを読んでもらえた時
- 友人から励ましてもらった時
- 素敵な本を見つけた時
なんでもない事かもしれない。でも、幸せな瞬間って必ず訪れるものなのです。普通に生きる事でさえ難しい社会の中でも、
私たちは幸せな瞬間を体験する事ができるのです。
だから、いつか「幸せな瞬間」を味わうためにも、生きている必要がある。私にも「人生なんて辛い事ばっかりだな」と思った事があります。
数千万円の借金、数億円の借金があった時、父が亡くなった時。
どうしようもなく辛かった。でも、今こうやって生きてみて、「生きててよかった」と思えるのです。
生きるのが難しい社会の中だからこそ、私はそれでも生きていたい。