人間にはポジティブな人とネガティブな人が存在しているという事は、長い人生の中で皆さんも理解していると思います。
中学生とか高校生の時には「この人は暗いな」とか「この人は明るいな」なんて思った事は私もありませんでしたけど、
大学生とか社会人になったりすると、「凄くネガティブな人」が存在している事に気がつくのです。
で、まあさ、学生時代と違って、それぞれが違う人生を歩むようになるわけじゃないですか。
エリート街道を歩む人もいれば、ホームレスになる人もいる。最初は東証一部上場の大企業に勤めていた人でも、どこかで病んでしまって辞める人だっている。
そうするとね、落ちていった人たちは「俺の一生は負け犬人生だ」と思ってしまうようになる場合だってあるんですよね。
でも、負け犬人生だなんて思わなくても良いのです。自分は自分の人生を生きれば良いのです。
誰かと比較していると辛いよ
負け犬人生の定義とは何でしょうか?きっと負け犬人生に定義なんて存在していないと思うんですよね。では、どのようにして、
「自分の人生は負け犬同然だ」と思うのか?
それは「他人と比較する事」によってだと思うのです。他人と自分の人生を比較して、「あいつは良い人生を送っている勝ち組だけど、俺は負け犬人生を歩んでいる」と思ってしまうのです。
例えば、私の知人なのだけど、六本木の大手コンサルで働いて、彼女は「CA」さん。合コンばかりの毎日で女性からもモテモテ。給料なんてありえないくらいもらっている。
そんな人と自分を比較すると、「ああ、俺って何て情けない人間なんだ、俺の人生なんて負け犬人生だ」なんて思ってしまうことだってあるんじゃないかな。
でも、他人と比較する事自体、私は間違っていると思うのです。他人の事を羨ましいと思う気持ちはわかります。
私だって、最近はYouTubeをやっていて、「100万人」みたいなチャンネル登録者数を持っている人を見ると、「うわ〜!楽しそうだな」と思ったりはするよ。
ただ、そうやって誰かと自分の人生を比較するようになってしまうと、どこかで疲れてしまうと思うんですよね。負け犬人生かどうか、なんて実際には自分次第じゃないですか。
ホームレスでも、「この生活が俺には一番あっているんだ」と思っていれば、それは負け犬人生ではないわけで、その人の考え方次第で、
幸せにも不幸にもなると思うのです。他人から見て「あいつは不幸だ」と思う事柄や状態が本人にとっても不幸であるとは限らない。
人間はりんごを見れば「あれは赤色である」という共通事実を持つことができる。でも、その赤を「綺麗な色」と判断するのか、「汚い色」と判断するのか?はそれぞれ違うわけ。
幸せも同じでさ、自分にしか判断できないものなんですよ。他人と比較してどうこうできるものじゃない。
だからこそ、負け犬人生だと思ってしまっている人は、まず「他人と比較する事」をやめるべきなのですよ。
自分の人生は誰かと比べられるものではないし、自分には自分の幸せが、他人には他人の幸せがきっとあるはず。
負け犬人生だと思っているのは実は自分だけで、他人からしたら「なんて幸せな人なんだ」と思われている事だってあるのです。
私だって、「ブログが大きくなっていて羨ましい」と思ってくれる人もいるかもしれませんが、いや、それは嬉しいことなのだけど、その一方で「批判が多くなって面倒だな」とも思ったりするよ。笑
私には私しか持っていない「幸せの定規」みたいなものがあって、他人と自分の幸せなんて比較できるわけはなくて……。うん。
自分の人生を誰かの人生と比較し、「負け犬人生」だと思う必要性なんてどこにもないのですよ。
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人生はどこからでもやり直せる
負け犬人生だと思っているかもしれませんが、それは過去の事なんですよ。負け犬人生だ、ともしも確定させるのであれば、それは過去のことです。
だからこそ、もっと前を向いていくべきなのです。
人生ってうまい事出来ていて、どこからでもやり直す事が出来るのですよ。死んでしまったらそこで終わりだけど、生きてさえいれば、どこからでもやり直すことができる。
人生って本当にさ、うまいことができているよね。ゲームみたいに「セーブしたポイントまで戻る」なんてことはできないけれど、「この時点からやり直す」というのはできる。
人生とは、命とは、この世界とはなんて素敵なのだろうか。本当にそう思っちゃうね。笑
どれだけ大きな失敗をしたとしても、どれだけ辛い経験をしたとしても、
これからの未来は自分で作っていく事が出来るのです。私にだって辛い事がありました。2億円の借金が急に出来たり、父親が大学生の時に亡くなって、会社をやるようになったり?
極貧生活を経験したり。それでも人生は続くと知ったあの日から情熱だけで生きてきた。とかでも書いているから、良ければ読んでみてね。
でも、それでも今は「自分の人生は幸せだ」と思って過ごしているのです。他の人が経験しない辛さとか孤独とか悲しさとか、まあほんっとに嫌になるくらい経験したよ。
人の汚さだって知ってしまったし、何だか虚しくなることだって何度もあった。でも、今はこうやって生きているからね。
負け犬人生そのものだった私だけど、それでも頑張って生きてみて、頑張って前進してみた。
過去を変える事は出来ないけれど、未来を変えていく事は出来るのです。使い古された言葉かもしれないし、綺麗事に聞こえる事だってあると思う。
ただ、私は辛い状況を経験したけど、それでも今は生きていて良かったと思っているし、幸せな毎日を過ごす事が出来ていると思っているのです。
うん。できているよね?笑
たぶん。笑
私は何か特別な才能を持っているわけではないし、至って普通の人間です。だからこそ、同じように「負け犬人生」を歩んできた人たちも、
きっと未来を変えられると思っているのです。くっそみたいな人生だったとしてもさ、変えられるのよ。
人生は何度でも、どこからでもやり直す事が出来るのです。
綺麗事に聞こえるかもしれないけどさ、綺麗事を本気で信じて、本気で頑張れない世の中なんてそっちの方が虚しくない?
関連記事:人生は何度でもやり直せる事を私の経験から証明しよう。
ひどい人生だなと思われた時から始まる人生
自分にとって身近な人生と比較して「なんてくだらない人生だ」と思ったり、他人から「お前は負け組人生だな」なんて思われた。
こんな言葉を聞くと、嫌な気持ちになってくると思います。でも、周りから「お前は終わった」と思われた時から始まる人生だってきっとあると思うのです。
他人から見たら「ひどい人生そのもの」だったかもしれない。負け犬人生だったかもしれない。
でも、そうやって周りに馬鹿にされたところから新しい歴史を刻んでいく方が、「面白い人生」を作り出していけると思う。
無難な人生なんて歩まなくても良い。今、自分がもしも映画のヒロインなら「悲劇的なストーリーからの脱却」を描く、その瞬間だと思う。今この時がね。
だからこそ、負け犬人生だなんて思わなくても良いのです。だって、これからの人生はきっと良い方向に変わっていくから。
負け犬人生だと思っているかもしれませんが、皆さんの人生は常に暗かったのでしょうか?そんな事はないはず。
真っ暗な人生をずっと歩んできたわけじゃないじゃん??
小さな幸せも含めれば、「生きていて良かった」と思える瞬間があったはずです。何でも良いよ。例えば、私だったら、「サンドウィッチマンのコント」をみた時に爆笑したりね。
そういう瞬間だって、最高の時間よ。笑
その時の事を思い出して、自分で未来を構築していけば良いのです。
何もないところから、もう一度自分の人生を作り出していけば良いのです。
たった一度の人生です。どんな人生にするのか、なんて自分で決める事。でも、負け犬人生だと思い続けながら生きていくなんてあまりに辛くないか?
人生は何度でも、いつでも、やり直せるのです。
負け犬人生だ、と思いながら、ずっと卑屈になって生きていくのは簡単です。でも、それで誰が得をする?誰が報われる?
今日この瞬間から一生懸命生きれば良いんよ。
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