人生に悩む君へ

「尖っていた過去」をふと思い出した。

「昔は尖っていた」という人って実はたくさんいるんじゃないかな?と思うんですよね。今、何かがあったというわけでもないのですが、

「昔は尖っていたなあ。」とふと思い出したんですよね。

 

尖っていた時の事なんて人間は忘れてしまうもので、友人から「あの当時は相当尖ってたよ」と言われて、そこで初めて「ああ、あの時って尖っていたんだ・・・」なんて感じる人が多いんじゃないかな?

 

私もそうです。当時は「自分が尖っている」なんて思わなかった。でも、数年立ってから友人に会ってみると、「あの時は尖っていたね。」なんて言われる事が多かったのです。

 

若い時はだいたい余裕がない

 

なぜ尖っていたのか?って要するに「若い時には余裕がないから」だと思うんですよね。耳の病気をしたりとか、浪人したりとか、

そんな事がたくさんあったし、若い時ってホルモンの関係なのかわからないのですが、全然自分の精神に余裕がないと思うのです。

 

そのせいで周りの人を傷つけてしまっていたり、家族にひどい事を言ってしまった事もあったように思う。当時はたぶん、周りの人たちよりもずっと尖っていた。

例えば、学校では「センパイ」という生物の地位が高いですよね。

 

でも、私は「年齢だけでヒエラルキーが決まるなんておかしい」と思っていたので、尊敬していない先輩には容赦なく、ひどい言葉を言っていたと思うし、

そこに何の怖さもなかった。一見、強いように見えるけど、今考えると、あの当時の方が精神的にずっと脆かったのかな?なんて思ったりもする。

 

若い時には精神的な余裕ってないものですよね。思春期の時とかだと特に、何に対してもイライラしていたように思うし、

それが普通だった。

 

でも、それでも「何となく」不安定な日常の中で、踠いていたんだと思うのです。生まれてきて、10年ちょっとです。

 

そんな当時はただただ尖っていた。「あの時はごめんなさい」と今なら言えるような気がする。

 

きっと皆さんにも尖っていた当時があるでしょう。そして、そんな時に誰かを傷つけてしまった事もあったのではないでしょうか?

傷つけ、傷つけられた、そんな青春時代を過ごす人って、本当はとっても多いものなんですよ。

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尖る事でしか、表現出来なかった

 

若い時は尖っていた、という人が多いと思うのですが、きっとその当時は自分を表現する事が下手くそだったんだな、と今では思っています。

 

大人になってからも辛い事なんてたくさんあるけど、でも、若い時は「辛い」と思わずともストレスを感じていたのだと思います。

 

でも、そういったストレスを表現する手段を多くは知っていなかったあの時。それがきっと「尖る」という表現になっていたと思うのです。

何となく社会を斜めに見ていて、自分は何かを出来るわけではないのに、出来ない誰かの事を馬鹿にしてみたり、そんな表現の仕方でしか、

あの当時は自分という人間を発散していく事が出来なかったのだと思うのです。

 

大人になっていくにしたがって、「自分の取り扱い方」というものを知っていくものですよね。どんな時にストレスが溜まって、

どんな対処をすれば良いのか?

 

そんな事を大人になったら、自然と理解するようになる。だからこそ、「尖っていた過去」とは違って、スマートにストレスを発散する事が出来るのです。

 

でも、若い時はそんなに器用に生きていく事は出来ないものです。

 

尖っていた過去において、「尖る」という選択肢しか与えられていなかった「少年」は尖る事でしか自分を表現する事が出来なかったのです。

 

よく少年犯罪とかってあるじゃないですか?あの類のものって、「尖った形」の問題じゃないかな?とも思う。周りの環境もありますけどね。

 

形が違うだけで、若い時はとにかく自分を表現する事が苦手な人が多いのです。中学2年生とか、いじめが多いです。

あれは「ちょうど中学2年生くらいが一番不安定」であるからであって、中々防ぎようのない事なのかな?と思うのです。

 

もちろん、いじめは良くない事だけれど、いじめた本人も「自分を表現する方法」がわからなかったのだと思う。

 

誰でも尖っていた時期ってあるよね。きっと。

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普通でいる事に疲れていたのかもしれない

 

大人になってみると、意外にも「自分らしい生き方」というものが要因される状況になるな、と思っているんですよね。

別にフリーターになったからといって、誰かに怒られるわけでもないし、一人で過ごしていたって何を言われるわけでもない。

結婚だってしなくても良い。

 

でも、学生時代には「普通でいる事」を強く求められていたように思います。普通の成績で普通の性格、普通の行動を学校や友達から求められてきたと思うのです。

 

だからこそ、あの当時は尖っていたのだと思うし、そうじゃないと、自分の人間性を保つ事が出来なかったのではないかな。

自分のアイデンティティとか、個性なんてものは、今ではそこまで興味はないのだけれど、あの当時はとにかく尖っていたし、

「自分の個性を守る事」に必死だった。

 

何の意味があるのか?なんてわからない。わからないけど、必死だった。だから、尖っていた。

でも、そんな過去があるから、今の生活があるのかな?とも思うのです。

 

尖っていた過去、今思えば恥ずかしいような、青い記憶ですが、「尖っていたあの時」もきっと私は必死に生きたていたんだろうな。

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ABOUT ME
まりも
まりもだよ(o'ー'o)ワーキングホリデービザでウィーン在住(2022年〜)の29歳。中高6年間男子校で生活。海外をふらふらしながらなんだかんだ生きています。応援は「アマゾン欲しいものリスト」からお願いします。